ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ひきこもり

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

楽観主義しか勝たない

ひきこもり、ニートになる原因は、「親のように優しく接してくれない人達の中に入るのが恐い」からである。
学校がそんな場所なのだが、学校では、比較的、他人との接触を避け易い。
だが、ママ以外が恐い子が、学校で他人と関わる必要が多いと登校拒否になり、鍛えられる機会を逃してしまう。

そして、なぜ、他人が恐いのかというと、それは分かり切っていて、甘やかしてくれる親が構い過ぎたからだ。
だから、ひきこもり、ニートになったのは、親が悪い。これは確実と思う。
しかし、そんな親が責任を取ることは出来ない。
子供を甘やかして危機的な状態にした親は死刑に値すると思うが、そんなことを言っても意味はない。
今から、甘やかしてくれない、過度に優しくしてくれない普通の人の中に入って鍛えるしかない。
他に方法は全くない。
そして、それを始めるのが遅くなればなるほど、つまり、歳を取れば取るほど、その鍛錬は厳しくなる。
せいぜい22、23歳までなら、周囲の人達は、親のようにとまではいかなくても、少しは優しく扱ってくれる。
ひきこもりは若く(というか幼く)見える者が多く、私がカウンセリングをしたひきこもりは、25歳ならまるで学生のようだった。
実際、ギリ25歳までなら間に合うかもしれない。
だが、そこまでだ。それ以降は相当厳しくなる(それでもやるしかないが)。

よく、「今の時代、他人と関わらずに出来る仕事がある」と言う者がいる。
いや、今のネット時代でなくても、思想家の吉本隆明が著書で「重いひきこもりは、他人と会わずに出来る仕事を探すしかない」と書いていた。
だが、ネットの時代、AIの時代であっても、そんな仕事はない。
他人と関わる訓練を十分にした後なら、ある程度は1人で仕事をすることも出来るが、訓練が出来ていない者に出来たりはしないのだ。

ひきこもっていると、つまり、他人を恐がっているとIQ(知能指数)が落ちる。
そもそも、ビクビクしているとIQは落ち、無能状態になるのだ。
よって、何も恐れない者は強い。
なぜ、人が他人を威圧したり、マウントを取るのが好きなのかと言うと、そうやって他人をビビらせてIQを落とせば(無能状態にすれば)、相対的に自分が有利になることを本能的に知っているからだ。
それで、自分に力がない者ほど、大きな高い車に乗りたがり、信号待ちで停車する時は、前の車より大きく右側に止めて前の車の運転者を威圧した気になるのである。何とも哀れだ。
自分に自信がある者は、小さな古い車に乗り、信号待ちでは周囲の交通がスムーズになることを配慮した位置(普通はなるべく左)に停車するのである。

まずは楽観的になって、IQを出来るだけ上げなければならない。
ヘレン・ケラーが著書『楽天主義(原題:オプティミズム)』で、楽天的(楽観的)であることの重要性を強調しているが、どうすれば楽観的になれるのかの記述が弱い。
しかし、楽観的であれば、目が見えず、耳が聴こえなくても恐れないのだ。
私も22歳までひきこもりだったが、楽観的になって社会に出て、ずっと概ね楽しくやっている。
どうやって楽観的になったのかというと、間違いなくジョセフ・マーフィーの本を読んだからだ。
あれに書いていることが本当なら、何も恐れる必要はないし、あれに書いてあることは全部本当だ。
私が最初に読んだのは『あなたも幸せになれる(文庫版:努力嫌いの成功法)』だが、どれもだいたい同じと思う(翻訳者の桑名一央氏もそう書いていた)。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)オプティミスト : 楽観的に生きるということ(ヘレン・ケラー)
(2)あなたも幸せになれる(ジョセフ・マーフィー)
(3)人生に奇跡をおこす(ジョセフ・マーフィー)
(4)あなたも金持になれる(ジョセフ・マーフィー)
(5)人生は思うように変えられる(ジョセフ・マーフィー)

恐がり
AIアート3019
「怖がり」
Kay

『老子』第47章を一言で言えば「ひきこもれ」

今回は『老子』第47章である。
この章を一言で言えば「ひきこもれ」である。

世の中では、ひきこもることは極めて悪いことであるとされている。
しかし、本当は、ひきこもりこそ、人間の理想の姿である。
あの『バガヴァッド・ギーター』にも、「亀が手足を甲羅の中に引き込む」ようにひきこもれと教えているのである。

そして、ひきこもれば、世の中のことも、天地自然の理も何でも分かり、奥深いことを理解し、いかなることでも成し遂げる。
これは逆に言っても良い。
ひきこもらず、外に行けば行くほど、世の中のことも、天地自然の理も分からず、少し奥深くなると全く理解出来ず、何も成し遂げない。

だが、上のように言うと、世間の人は、
「そんな馬鹿な!ひきこもりには何も出来ないに決まっている」
と言う。
まあ、それは良い。
だが、ひきこもりの者自体が、自分は何も分からず、何も出来ないと思っていることが問題なのだ。

誰かがラマナ・マハルシに言った。
「あなたはなぜ講演会をしないのですか?」
マハルシは答えた。
「私は毎日、演壇に登り熱弁を振るっている」
沈黙以上の雄弁はないのだ。
また、マハルシ以上のひきこもりはいない。

重責を担う政治家や軍人はひきこもることで責務を全うし、偉大な事業家はひきこもることで大きな事業を完成する。
彼らは、見かけは激しく活動しているかもしれない。
しかし、彼らは何もしていない。
身体や心が何をしていようが、それはどうでも良いことである。
また、マハルシは、こう言ったらしい。
「イエスは自分の超能力に気付いていなかった」
まあ、これはおそらく、正確には、イエスは、自分の超能力を気に留めなかった…どうでも良いと思っていたということだろう。

30年以上も前だろうか。
当時、マイクロソフトの社長だったビル・ゲイツは、社長室に5日、ひきこもった。
それをしなければ、かつて、世界一のビッグテック企業であったロータスやノベルが消滅したように、マイクロソフトも、なくなっていたはずだ。
だが、ゲイツはひきこもることで本当の仕事をしたのだ。

これらを、頭で理解しようとしてはいけないし、そもそも、人間の馬鹿な頭に理解出来ることではない。
我々も、本当にひきこもれば分かることだ。
そして、本当にひきこもるには、「私は誰か?」と自分に問うことだ。
これほどのひきこもりはない。
意思は、胸の中、心の中、意識の中にひきこもり、そして、魂と会合する。
これを喩え、「神殿(身体や心)の中で神(真の自分。全知全能の魂)と食事をする」と言うことがよくある。

「私は誰か?」と自分に問うことが、『バガヴァッド・ギーター』の秘儀、『新約聖書・福音書』の秘儀、そして、『老子』の秘儀を実際に行うことである。








巨悪に嫌がらせをする方法

昔は、ひきこもりはいなかった。
戦争中であれば、ひきこもっていたら、殴ってでも連れ出された。
その後になっても、ひきこもることを許さず、無理にでも学校に行かせ、働かせた。
どんな事情があってもだ。
ひきこもらせておいたら、一生、大人になれないからだ。大人とは、自分の力で生きることが出来る者だ。
ひきこもりを容認し、子供のまま・・・世の中を渡っていく能力がない、弱いままでいるほど悲惨なことはないからだ。

ひきこもりの原因なんて、いじめに決まっている。
だが、昔は、いじめる側も限度を知っていた。
だから、ひきこもりを許さず、無理矢理にでも、学校に行かせる方が絶対に良かった。
ひきこもりたい者は辛いかもしれないが、殺されることまではないからだ。
しかし、今は、限度を知らずにいじめる者達が多い。
昔なら、「殺されたりまではしない」と思われたが、今は、殺されることもあり得る。
そして、取り返しのつかない傷を負わされることなら、普通にあり得る。内容は書かないが、どんなことかは分かると思う。

また、いじめとは見なされないが、自分より明らかに弱い者を殺すような事件も時々起こる。
そして、それに近いことなら、かなり頻繁に起きていると思われるのだ。
これらも、単独犯行が多いだけで、弱い者いじめといういじめである。

いじめる方に限度があれば、無理にでも学校に行かせたり、働かせることが、良い結果になることも多かった。
だが、今は、いじめる方が限度を知らないことが多い。
そして、実を言えば、いじめをする者達だけでなく、外国のことはともかく、日本人全体が限度を知らなくなっている。
この限度を知らないとは、自分の内側から起こる欲望とか負の衝動を抑えることが出来ないということで、そんな人間が増えているのである。

限度を知らない、内側から起こる欲望や負の衝動を抑えらないということが、どんなことか分かるとは思うが、一応、書いてみよう。
「こいつ、気に食わない。やっつけてしまおう」という衝動が起こっても、正当な道理がなければ・・・いや、あっても、「争いはいけない」と思うことが人間の理性だ。
ただ、正義は自分にあると信じる場合で、しかも、非常に強い相手に戦いを挑むことは、正しくはないが、一部は褒められることもある。とはいえ、やはりこれも間違いなのだ。
しかし、今は、道理など全く関係なく、ただ自分が相手を気に食わないという理由だけで、そして、絶対に勝てる場合だけ・・・相手がずっと年少だったり、身体障害者だったり、明らかに体が弱かったり、1人の相手に徒党を組んで攻撃するような場合だけ攻撃する者が増えている。
平成に入る頃、よく指摘されたことがあった。
昔の不良は、不良同士で「眼(ガン)を付け合って」敵対した。
まあ、昭和も終わりの頃の不良は、本当にファイトせず、眼(ガン)をつけ合うだけなので情けないが、それでも、不良対不良だった。
カツアゲをする者もいたが、やるとしたら、同じ男子高校生相手で、出くわしただけの顔を知らない、そして、まがりなりにも健康そうな、同じくらいの人数、さらには、1人で2人以上の相手をカツアゲすることを誇らしく思っていた。まあ、これも馬鹿なのだが、ドロドロに腐ってはいなかった。
だが、今の不良は、絶対に勝てる相手、つまり、老人と身体障害者しか相手にしない・・・と。これが、平成初期の話である。
それでも、まだ、老人や身体障害者に対する限度を知っていたのである。
ところが、今は、限度を知らない者が多い。そして、いじめる者は、外面は不良に見えず、優等生であることも珍しくない。

さて、問題は、内側から起こる欲望や負の衝動を抑えられなくなったことだ。
なぜ、そうなったのだろう?
一応、一説としておくが、そうなってしまったのは、日本の学校やマスコミを支配し、日本人がそうなるよう仕組んだ者がいたからだ。
つまり、学校やテレビが原因なのである。
なぜ、そんな策略で日本を潰したのかというと、それが人間の弱点を突いた、効率的で成功し易い策略だと分かっていたからだ。
学問的には哲学者と見なされないが、超優秀な哲学者であったアーサー・ケストラー(1905~1983)は、『ホロン革命』の中で、人間の脳の欠陥を指摘している。
人間の脳の構造上、人間は、動物的衝動を理性で抑えることが難しいのである。
なら、動物的衝動である欲望や、それに似た負の衝動を抑えることをさせないよう、学校教育やテレビによる教育をすれば、簡単に限度を知らない人間を作ることが出来る。
そんな策t略に、日本人は、まんまとやられてしまった。アメリカ人も同じなのだが、アメリカは広いので、日本より少し遅れている。しかし、近い状況にはなっている。

だが、今回は詳しく説明しないが、内側から起こる欲望や負の衝動を抑えれば、抑えた分の倍(実際は数倍)の力が得られるようにもなっている。
欲望に流される人間は、実は弱く、すぐに悲惨な最後を迎える。それが、日本の敵の、本当の狙いである。
だから、自制すること、慎むことが、敵に対する最高の嫌がらせなのである。
そして、自制し、慎むほど、引き寄せの力は確実に強くなるのである。








ヴァーチャル充のすゝめ

本格的に引きこもりの時代になってきた。
もちろん、引きこもりが楽しく生きる時代だ。
引きこもりにしか出来ない、人々、あるいは、世の中の役に立てることが増えてきたのだ。
これは、インターネットとAIの発達の良い面である。
少し前までは、たとえ天才であっても、引きこもりが能力を発揮することは難しく、引きこもりは不遇だった。
そして、世の中に存在を示せないまま50代、60代になった人もいる。だが、そんな人達だって、逆転出来るかもしれない。

人間には、ものを作るのが好きな人、直接販売等の交渉が好きな人、あるいは、マッサージ等の直接サービスを提供するのが好きな人がいる。
そんなリア充な人達は、もちろん、そのままリアル世界でがんばっていただきたい。そんな人達はもちろん、これからも沢山必要だ。
しかし、今後の時代は、創造的な引きこもり・・・即ち、ヴァーチャル充が必要不可欠であり、しかも、多く必要になる。
リアルな活動が向いてないからといって、本来は自分を卑下する必要はないのだが、これまでは、リアルな活動でしかお金を稼げず、生活していけないので、引きこもりは低い場所に身を置かざるを得なかった。
だが、武道家の多くは球技が苦手と聞くが、だからといって武道家が自分を恥じないように、引きこもりもバーチャルな世界で特技があれば、それで良いのである。
そもそも、あらゆる意味で(哲学的、宗教的、科学的等)、リアルとバーチャルの優劣はなくなってきている。
まあ、リアルとバーチャルの両方を股にかける変な人(笑)も多くなるが、それも単に1つの役割であり、リア充やヴァーチャル充より偉い訳ではなく、どちらかというと、器用貧乏という感じすらする・・・まあ、そんなこともないかもしれないが・・・

バーチャル充は、精神的に研ぎ澄まされるべきである。
例えば、ゲームに打ち込むことによって・・・別に冗談ではない。
ただし、惰性でゲームをやるだけでは、やはり駄目である。
ゲームも本当に達人になれば、他の者には得られない特別なものを得ているが、それが、他の人、あるいは、世界の役に立つのである。
ゲームに限らず、バーチャル充は、オタクでなければならない。
本当は、リア充もオタクであった方が良いのだが、日本の大企業とマスメディアの社会では、オタクは禁止され、学校で事実上殺されていたので、オタクスキルを伸ばすのが難しかった。
しかし、これからは、リア充もオタクになれば良いと思う。

ヴァーチャル充は、自分が英雄であることを自覚しなければならない。
これは突飛なことではない。
世界最高の賢者であったラルフ・ウォルドー・エマーソンは、『歴史』というエッセイの中で、英雄の物語を読む時は、それが、自分について書かれたものであると思わねばならないと書いている。
全くその通りだ。
だからまず、英雄の物語を読むと良い。物語の中の英雄こそが自分の本当の姿である。

今後は、ヴァーチャル充の有利さが際立ってくる。
なぜなら、世界は深層の心が生み出した幻想に過ぎず、ヴァーチャル充である引きこもりの方が、世界創造の場に近いからだ。

ただ、ナポレオン・ヒルも述べていた通り、性エネルギーの浪費を犯してはならない。
性エネルギーこそ、あらゆる創造力の源であり、それが足りないと、思考や行動の力が弱まる。
思考はもちろん、行動力もヴァーチャル充に必要だ。ただし、それは、会社や学校での行動とは全く異なり、パソコンやスマートフォンで出来ることが多い。
例えば、YouTubeやバーチャルYouTuber(VTuber)としての活動もそれに含まれるが、他にもいくらでもある。
今は、SNSで生計を立てている人も少なくないが、高収益であれば長時間労働だ。ただし、それは、会社や学校の仕事や勉強と違って、楽しいこと、面白いことをやれば良いのである。
そして、その多くは、リア充には不可能で、ヴァーチャル充にしか出来ないのである。
「神様の奇跡が起こる」などの口癖を忘れず、なるべく心配せずに励めば、引きこもりのヴァーチャル充にだって世界を動かせることが解るだろう。
それどころか、先程も少し示唆したが(ヴァーチャル充が有利になるという話で)、今後は、引きこもりのヴァーチャル充「こそが」世界を動かすかもしれないのである。
とはいえ、リア充とヴァーチャル充は敵同士ではない。お互い仲良く共存する世界こそが、人類が立派に存続していける未来世界なのである。








自信は美徳

出来た!
・自信は美徳
・自信があれば実力は後からついてくる
・自信は幻想で良い

何でも良いから、自信があれば勝ちである。
引きこもりは、なぜ引きこもるのかというと自信がないからだ。ただ、それだけである。
自信は、何か1つで良い。

確かに、東大を出た(入ったで十分だが)というのは自信になる。
だが、東大出身者は、偏差値の割には成功しない。
なぜかというと、自信はツールであって商品でも売り物でもないからだ。
東大卒を自信にするのは良いことだが、それを売り物にし、それだけが売り物になり、それにすがると、必ず、売り物というのはこき下ろされるのだから、東大卒の自信がなくなるだけでなく、それがアイデンティティーになってしまっている自分に自信を失くし・・・ジ・エンドだ。哀れとしか言いようがない。

昔の『空手バカ一代』という、実在した空手家の大山倍達を主人公にした伝記漫画(ただし、創作が多くて自伝とは言い難い)に、こんな場面がある。
大山が、庭で鍛錬をしていたが、その中で、左右の親指だけを地面につけた逆立ちをする。
そして、妻に言う。
「親指だけの逆立ちが出来る間は、どんな敵が来ようが、まあ、恐れることはない」
私は、なんと美しい言葉かと思った。
しかし、「親指だけの逆立ちが出来る=無敵」の根拠などない。
それは、大山さんの自信であり、根拠のない幻想・・・言ってしまえば妄想である。
しかし、その自信が、大山さんを強く支えていたのだ。
また、別の本で(書いたのはゴーストライターだろうが)、「親指だけの腕立て伏せ百回出来れば無敵」のようなことも書かれていた。
大山さんが、指と実力との関係に確信を持ち、その指が徹底して強い自分に自信を持っていたのは本当ではないかと思う。
大山さんが、喧嘩ファイトで相当な実力があったのは確かで、その力の源は、やはり自信なのだ。

私も、こんな思い出がある。
信号無視で警察に捕まったが、当時、毎日欠かさずTM(超越瞑想)をしていた私は、「TMをやっている俺に逆らえるはずがないじゃないか」という、妙としか言えないが、そんな自信が湧き上がってきた。
もちろん、無罪放免であった。
TM自体の効用については何も言わない(私は今はやっていない)。
しかし、自信があれば、超能力で警官も支配出来ることが分かった。
その自信をつけてくれたTMを作ったマハリシ・マヘーシュ・ヨーギは大物である(実際にTMを作ったのは、彼の師であるらしいが)。

引きこもりは、何とか、1つのプログラミング言語をがっしり習得し、「プログラミングが出来る俺はイケてる」という自信を持てば、どこでも生きていける。
実は私がそうだった。
昔の話であるが、私は、BASICをマスターしただけでは自信が出来なかったので、苦労してC言語をマスターした。すると、「C言語が出来る俺って格好良い」と思うことが出来て自信がつき、後は何でもうまくいった。他愛ないものよのう(笑)。
今なら、Excelマクロ(VBAプログラミング)を十分にマスターすれば良いと思う。
いや、実際は、PHPでもJavaでも、最近流行のPythonやJavaScriptでも良い。
しかし、Excelマクロはすぐに実用になり、便利である。
今後、AIを作るのにも役に立つ。だがまあ、何でも良い。
筋トレでも良いのである。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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