現在、世界に危機が迫っているという話があり、その内容が、強力な影の支配者が登場するものである場合は「陰謀論」と呼ばれる。
ただ、大昔から(少なくともキリストの時代には)世界に危機はあるし、強力な影の支配者も存在する。
確かに、現在の陰謀論には怪しいものが多いのだが、それも、世界の危機を感じてのものであることは、少しは認めても良いかもしれない。
ただ、頭の悪い者が、おかしな陰謀論を唱えるから迷惑なのだが。
直接、陰謀論と言うのではないが、ミヒャエル・エンデの世界的ベストセラー『はてしない物語』(1979)の映画化作品である『ネバーエンディング・ストーリー』を見たことがあるが、あの中で、世界の危機について、かなり適切に語っていた。
(ちなみに、エンデは、『はてしない物語』の翻訳者である佐藤真理子氏と結婚している)
世界の危機とは、世界が「虚無」に飲み込まれることだ。
しかし、映画の中で、虚無の正体は語られていなかった。おそらく、原作の方もそうだと思う(一応、児童小説なので)。
しかし、私は、ジョセフ・マーフィーの『あなたは不安なく生きられる』(1959)を読んで、ピンときた。
虚無とは、世間の教義・信念に染まった大衆の集合意識だ。
簡単に言えば、虚無とは、世俗意識の集合体で、確かに、それに飲み込まれて、人類は滅びそうになっているのである。
世俗意識とは、個性を持たない人間の意識の総体である。
テレビや新聞を毎日見ている者の意識の集合体と言えば、大体当たっている。
だが、私やあなたも、確固とした個性を持たなければ(たとえテレビを見なくても)、そんな虚無に飲み込まれ、ファントムゾーンとも言える暗黒郷で亡者のようになるしかない。
だが、光るダイヤモンドのような個性を持つ者の魂を虚無は飲み込むことは出来ない。
我々は、世間の教義や信念、つまり、世俗の権威や価値観に従うことをやめ、自分の道を行かなければならない。
それには、いつも言う通り、個性を磨くことである。
『はてしない物語』で、バスチアン少年は、個性がない弱い存在だったが、世俗の価値観に背を向け、ファルコンを駆る者となった。
現在、虚無は力を増している。
今回も1つ、個性について言っておくと、例えば、毎朝必ず5時以前に起きる者で個性のない者はいない。
毎日、必ず腕振り運動を2千回やる者も、それだけで個性的である。
個性がある者には、引き寄せは容易い。
ただ、大昔から(少なくともキリストの時代には)世界に危機はあるし、強力な影の支配者も存在する。
確かに、現在の陰謀論には怪しいものが多いのだが、それも、世界の危機を感じてのものであることは、少しは認めても良いかもしれない。
ただ、頭の悪い者が、おかしな陰謀論を唱えるから迷惑なのだが。
直接、陰謀論と言うのではないが、ミヒャエル・エンデの世界的ベストセラー『はてしない物語』(1979)の映画化作品である『ネバーエンディング・ストーリー』を見たことがあるが、あの中で、世界の危機について、かなり適切に語っていた。
(ちなみに、エンデは、『はてしない物語』の翻訳者である佐藤真理子氏と結婚している)
世界の危機とは、世界が「虚無」に飲み込まれることだ。
しかし、映画の中で、虚無の正体は語られていなかった。おそらく、原作の方もそうだと思う(一応、児童小説なので)。
しかし、私は、ジョセフ・マーフィーの『あなたは不安なく生きられる』(1959)を読んで、ピンときた。
虚無とは、世間の教義・信念に染まった大衆の集合意識だ。
簡単に言えば、虚無とは、世俗意識の集合体で、確かに、それに飲み込まれて、人類は滅びそうになっているのである。
世俗意識とは、個性を持たない人間の意識の総体である。
テレビや新聞を毎日見ている者の意識の集合体と言えば、大体当たっている。
だが、私やあなたも、確固とした個性を持たなければ(たとえテレビを見なくても)、そんな虚無に飲み込まれ、ファントムゾーンとも言える暗黒郷で亡者のようになるしかない。
だが、光るダイヤモンドのような個性を持つ者の魂を虚無は飲み込むことは出来ない。
我々は、世間の教義や信念、つまり、世俗の権威や価値観に従うことをやめ、自分の道を行かなければならない。
それには、いつも言う通り、個性を磨くことである。
『はてしない物語』で、バスチアン少年は、個性がない弱い存在だったが、世俗の価値観に背を向け、ファルコンを駆る者となった。
現在、虚無は力を増している。
今回も1つ、個性について言っておくと、例えば、毎朝必ず5時以前に起きる者で個性のない者はいない。
毎日、必ず腕振り運動を2千回やる者も、それだけで個性的である。
個性がある者には、引き寄せは容易い。