さだまさしさんの1979年の曲で、『親父の一番長い日』という、12分30秒にもなる長い曲がある(オリコンシングルチャート1位を獲得した曲では、現時点では史上2番目に長いらしい)。
実は私は、この歌を通して聴いたことはないのだが、だいたいの内容として、娘を嫁に欲しいという青年が挨拶に来た頑固親父の悲哀を、シリアスながら、ちょっとユーモラスに描いたような歌だったと思う。
歌の最後のあたりで、父親は、「分かった、娘はくれてやるから、君を一発殴らせろ」といったようなことを言うのだったはずだ。
これを聴いて、娘を持つ世の父親達が共感を覚えるのはまあ仕方ないかもしれないが、この親父のことを、「娘を愛しているのだなあ」という馬鹿なことを考えてはいけない。
この「親父」は、ちっとも娘を愛してなどいない。
「いや、そんなことはない。私も娘を愛する父親だから分かるぞ」
などという者がいるなら、君は大嘘つきなのだ。
ただ、自分で嘘に気付いていないだけだ。
こんな父親は娘を愛してなどはいない。
単に、娘を自分の所有物だと思っているだけだ。
特に近年では、娘、息子に関わらず、結婚相手に強い不快感を持つのは、むしろ母親の方だ。
無論、こんな母親も娘や息子を全く愛してなどいない。
多くの母親は、自分の子供を自分のものだとしか考えられないのであり、特に、現代はこれが極端になってきている。
ますます、母親に愛が無くなってきているのだ。
もし、本物の嘘発見器があったとして、夫婦や恋人達に、お互いを愛しているかというテストをしたら、間違いなく「嘘」の判定が出る。
どんなに電車の中でベタベタしているカップル達も同じで、むしろ、そんな者達は、なおさら相手を愛してなどいないのである。
親から子供への愛、子供から親への愛も同じことだ。
シェイクスピアの『リア王』で、リヤ王の末娘は正直に、父王のリアに対し、「お父様として当たり前に愛しているが、それ以上でも以下でもない」と言ったのが、まずまずの良い答と言える。
つまり、彼女は、父親に対して特別な想いはない・・・つまり、父であるリア王は、彼女にとって、それほど大事なものではないと言っているのだ。
そして、それが当たり前なのである。
別に、嫌いとも言っていない。父のことは、他の全ての人達と同じくらい大切に思うと、末娘は言っているのだ。
素晴らしいことだ!
それで十分ではないか?
それ以上、何を求めると言うのだろう?
そして、リア王の姉娘達は、「お父様は私にとって特別な人です」といった意味のことを饒舌に述べてリア王を喜ばせるが、実際は、彼女達は、リア王を「これっぽっち」も愛していなかった。
そして、間違いなく、姉娘達は、他の全ての人達も、父王同様、少しも愛してなどいないのだ。
姉娘達が愛しているのは自分だけである。
さあ、少しは、世間の愛の幻想に気付けただろうか?
多くの歌で、「愛してる」「愛してます」「愛してるぜ」などと歌うが、そんなのを聴くと、悲しいほど気が滅入る。
真っ赤な嘘を聴いて楽しいはずがない。
人間が「愛してる」というのは、全て嘘なのだから。
だが、初音ミクが歌う限りは嘘ではない。
彼女は人間ではないのだから。
では、ミクのために、そんな歌を創った人達が嘘をついているかというとそうではない。
ミクの歌を創る人達は、自分の名を出さず、奇妙なアーチスト名を名乗っている。
つまり、ミクの歌は無記名と言って良い。
芸術作品というものは、無記名であるべきものだ。
なぜなら、本当に、その人が創っているのではないからだ。
アーチストが、自分が創っているという意識がなく、アートストはただの道具である時に、芸術は生まれる。
フランス国歌は、事実上無記名の曲だ。あの歌の作者など、ほとんど誰も知らない。
音楽家でも何でもない、ただ音楽が趣味であるだけの1人の職業軍人(技術軍人)が、天啓を得て、一晩で創ったのがあの名曲なのだ。
アマチュアが創ったミクの歌にだって、同じくらいの作品はゴロゴロあると思う。
ところで、本当に娘を愛している父親とは、どんな父親だろう?
自分でよく考えてみると良い。
本当に良い男を選べるよう、きちんと娘を教育する父親だろうか?
そんなことができると思うのは、愛するとか以前に、どうしようもない愚か者で馬鹿である。
また、どんなに賢い娘になったとしても、間違った男を選んでしまうものなのだ。
君だって、真面目な素晴らしい女性を騙したことがあるのではないのか?私はいっぱいあるぞ。
では、そんな相手の男の本性を察知して、その男をやっつける父親が、娘を愛する父親であろうか?
父親にそんなことが分かるものか。
父親は、娘以上に間違うのだ。
答えは既に述べている。
それは、リア王の末娘の言ったことである。
自分の娘は別に特別ではない。
世界中の娘達、あるいは、人々と同じように、当たり前に自分の娘を大切に思っている父親が、本当に愛することができるのだ。
そんな父親なら、どれほど美男子で若い娘にもてても、彼女達を騙そうとはしないだろう。
どの娘も、自分の娘と同じなのだから。
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実は私は、この歌を通して聴いたことはないのだが、だいたいの内容として、娘を嫁に欲しいという青年が挨拶に来た頑固親父の悲哀を、シリアスながら、ちょっとユーモラスに描いたような歌だったと思う。
歌の最後のあたりで、父親は、「分かった、娘はくれてやるから、君を一発殴らせろ」といったようなことを言うのだったはずだ。
これを聴いて、娘を持つ世の父親達が共感を覚えるのはまあ仕方ないかもしれないが、この親父のことを、「娘を愛しているのだなあ」という馬鹿なことを考えてはいけない。
この「親父」は、ちっとも娘を愛してなどいない。
「いや、そんなことはない。私も娘を愛する父親だから分かるぞ」
などという者がいるなら、君は大嘘つきなのだ。
ただ、自分で嘘に気付いていないだけだ。
こんな父親は娘を愛してなどはいない。
単に、娘を自分の所有物だと思っているだけだ。
特に近年では、娘、息子に関わらず、結婚相手に強い不快感を持つのは、むしろ母親の方だ。
無論、こんな母親も娘や息子を全く愛してなどいない。
多くの母親は、自分の子供を自分のものだとしか考えられないのであり、特に、現代はこれが極端になってきている。
ますます、母親に愛が無くなってきているのだ。
もし、本物の嘘発見器があったとして、夫婦や恋人達に、お互いを愛しているかというテストをしたら、間違いなく「嘘」の判定が出る。
どんなに電車の中でベタベタしているカップル達も同じで、むしろ、そんな者達は、なおさら相手を愛してなどいないのである。
親から子供への愛、子供から親への愛も同じことだ。
シェイクスピアの『リア王』で、リヤ王の末娘は正直に、父王のリアに対し、「お父様として当たり前に愛しているが、それ以上でも以下でもない」と言ったのが、まずまずの良い答と言える。
つまり、彼女は、父親に対して特別な想いはない・・・つまり、父であるリア王は、彼女にとって、それほど大事なものではないと言っているのだ。
そして、それが当たり前なのである。
別に、嫌いとも言っていない。父のことは、他の全ての人達と同じくらい大切に思うと、末娘は言っているのだ。
素晴らしいことだ!
それで十分ではないか?
それ以上、何を求めると言うのだろう?
そして、リア王の姉娘達は、「お父様は私にとって特別な人です」といった意味のことを饒舌に述べてリア王を喜ばせるが、実際は、彼女達は、リア王を「これっぽっち」も愛していなかった。
そして、間違いなく、姉娘達は、他の全ての人達も、父王同様、少しも愛してなどいないのだ。
姉娘達が愛しているのは自分だけである。
さあ、少しは、世間の愛の幻想に気付けただろうか?
多くの歌で、「愛してる」「愛してます」「愛してるぜ」などと歌うが、そんなのを聴くと、悲しいほど気が滅入る。
真っ赤な嘘を聴いて楽しいはずがない。
人間が「愛してる」というのは、全て嘘なのだから。
だが、初音ミクが歌う限りは嘘ではない。
彼女は人間ではないのだから。
では、ミクのために、そんな歌を創った人達が嘘をついているかというとそうではない。
ミクの歌を創る人達は、自分の名を出さず、奇妙なアーチスト名を名乗っている。
つまり、ミクの歌は無記名と言って良い。
芸術作品というものは、無記名であるべきものだ。
なぜなら、本当に、その人が創っているのではないからだ。
アーチストが、自分が創っているという意識がなく、アートストはただの道具である時に、芸術は生まれる。
フランス国歌は、事実上無記名の曲だ。あの歌の作者など、ほとんど誰も知らない。
音楽家でも何でもない、ただ音楽が趣味であるだけの1人の職業軍人(技術軍人)が、天啓を得て、一晩で創ったのがあの名曲なのだ。
アマチュアが創ったミクの歌にだって、同じくらいの作品はゴロゴロあると思う。
ところで、本当に娘を愛している父親とは、どんな父親だろう?
自分でよく考えてみると良い。
本当に良い男を選べるよう、きちんと娘を教育する父親だろうか?
そんなことができると思うのは、愛するとか以前に、どうしようもない愚か者で馬鹿である。
また、どんなに賢い娘になったとしても、間違った男を選んでしまうものなのだ。
君だって、真面目な素晴らしい女性を騙したことがあるのではないのか?私はいっぱいあるぞ。
では、そんな相手の男の本性を察知して、その男をやっつける父親が、娘を愛する父親であろうか?
父親にそんなことが分かるものか。
父親は、娘以上に間違うのだ。
答えは既に述べている。
それは、リア王の末娘の言ったことである。
自分の娘は別に特別ではない。
世界中の娘達、あるいは、人々と同じように、当たり前に自分の娘を大切に思っている父親が、本当に愛することができるのだ。
そんな父親なら、どれほど美男子で若い娘にもてても、彼女達を騙そうとはしないだろう。
どの娘も、自分の娘と同じなのだから。
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