ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

からかい上手の高木さん

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

腕振り運動で「たまたまうまくいく」を目指す

若いアイドルや女優(男優)を見て、「若い時に、こんな人と付き合いたかった」って思うことはあまりないと思う。
なぜなら、そんなアイドルのような子とは、「今、付き合いたい」と思うからで、これは、男女限らず、30代、40代以上でもそうだろう。
つまり、ほとんどの人は、自分の年齢が自覚出来ないからで、結婚相談所などでも、「間違いなく、モテたことなんて一度もない」と思える30代後半の男性が、二十歳くらいの人気アイドルのようなタイプを希望するといったことは珍しくないらしいが、それは本当のような気がする。
何かで見たが、会社勤めの37歳の独身女性が、社内の42歳の独身男性から交際を求められると激怒し、「なんであんなオッサンと!私が好きなのは新入社員のA君なのに」と言っていたという実話があったらしいが、そんなん普通だろう(笑)。

だが、小学生や中学生の時の芦田愛菜さんを見て、「中学の時、こんな子と付き合いたかった」と思う人は多いと思う。
さすがに、自分が小学生や中学生だったのは、昔のことだと自覚出来るからだ。

そして、現在大人気のアニメ『からかい上手の高木さん』のヒロイン高木さんに対し、まさに、「中学生の時、こんな子と付き合いたかった」「こんな子がいれば・・・」と思う男性は多いと思う。
高木さんは、非常にそう思わせるキャラクターだ。
高木さんは、美少女な上、勉強もスポーツも出来る優等生で、性格も抜群だ。
ただし、「高木さんのような子と付き合いたかった」と言うのは、現実には、そんな子と縁のなかった人だろう(笑)。
また、このアニメでは、高木さんの恋の相手が、西片という、ちっとも冴えない男の子というのも、そんなこと(高木さんのような子と付き合いたかった)をうかつに考えてしまう理由だろう。
自分でも、西片になら負けなかったと思うからだ(笑)。
だが、自分も西片レベル(あるいはそれ以下)と自覚し、さらに、「正直、高木さんと西片では、不釣り合いも甚だしい」と冷静に考える人は、あまり、「中学生の時に高木さんと付き合いたかったなあ」とは思わない。
私なんかがそうで、自分レベルのゴミが(笑)、高木さんのような美少女の優等生と付き合うのは、あまりに荷が重かったと思う。
やはり、高木さんと付き合うなら、自分も最低限は格好良い上、勉強が出来るとか、スポーツ部で活躍するとかがないと辛いだろう。
私など、中学生の時を振り返ると、ダサいこと、恥ずかしいこと、情けないこと、あるいは、悪いことばかりしていて、高木さんに近寄ってもらうだけで鞭打ち、斬首クラスの罪である(笑)。

つまり、高木さんと付き合うなら、現実的には、それなりの地盤がないと無理である。
その地盤が、優等生であるとか、運動部のスターとかであり、他にも、個性的な地盤が考えられるが、とにかく、誰にも称賛されるような地盤が必要なのである。
そして、世の中には、そんな地盤を実際に持っている者もいれば、私のように、そんなものに全く縁のない者もいる。
『からかい上手の高木さん』で、そんな地盤を持った男子が登場しないのは、視聴者に現実を考えさせないという計画的なものだろう。おかげで、自分が中学時代に、クラスに高木さんのような子がいさえすれば、自分もその子と付き合えたかもしれないと妄想し易いのだ(笑)。

では、高木さんと付き合えるような地盤は、どうすれば持てるのだろう。
これはもう、ほとんどが運であり、まあ、親ガチャ(ネットスラング。自分が生まれた親や家庭の優劣)に恵まれていないと難しい。
例外もあるかもしれないが、生まれつきの外見に恵まれず、勉強やスポーツが出来るようになる家庭で育っていないなら、たかが中学生が1人で努力したところで知れている。
高木さんと、クラスの面白いだけの女子…ミナ、ユカリ、サナエ(どうでもいいようなカタカナの名をつけられている)を比べてもそうで、高木さんもまた、天に選ばれし娘だと思う。
実際、私は、小学4年生の時、誰からも愛されるクラス1の美少女と、それと対照的な1人の女子を比べ、「同じ人間なのに、なぜこんなに違うのだろう」と本気で悩んだことをはっきり覚えている。

改めて言うと、高い地盤を持っているのは「たまたま」なのである。
特に子供の時はほぼ完全にそうだが、実は、大人になっても、それほど変わらない。
誠実な成功者は皆、「私が成功したのはたまたま」と正直に言うのである。
なら、たまたまでうまくいくしかない。
作家で投資家のマックス・ギュンターという人が『運とつきあう』という本で、その「たまたま」を手に入れるための現実的な方法を考察し、なかなか面白かったが、それでうまくいくのは難しいと思う。
それで言えば、2400年前の中国の賢者、荘子のアドバイスに従う方が良い。
そのアドバイスを簡単に言うと、「何も考えず、なりゆきにまかせろ」だ。
長く言えば、「思慮分別、是非好悪を捨て、一切の作為を捨てよ」である。
『荘子』を読んで、「なるほど!」と納得することは出来るかもしれない。
しかし、そのようなこと、実際には出来ない。
つまり、我々はどうしても、考えてしまうし、是非を立てたがるし、好き嫌いがある。
余計なことも沢山してしまう。
それでは、「たまたま」うまくいくことはない。
しかし、少なくとも、荘子のアドバイスに従える確実な方法ならある。
それは、腕振り運動を、毎日、なるべく多く、淡々とやることだ。
腕振り運動こそ、思慮分別、是非好悪、そして、作為を捨てるための最上の方法なのである。

尚、私は英語の勉強がてら、北米版の『からかい上手の高木さん(Teasing Master Takagi-San)』のblu-rayを購入して見ている。
英語の高木さんの声もなかなか萌える。日本の普通のblu-rayプレーヤーで再生出来ると思う。
正直、安い(笑)。
もちろん、日本語音声でも再生出来、英語字幕は消せる。








勉強のやり方を知らない子は不幸

親に、「勉強のやり方は?」と尋ねると、その返答で子供の成績が分かる。
その内容がどうかは、まあ、どうでも良い。
単純明快な基本方針を即座に答える親の子供は、「勉強が出来て仕方がない」だろう。
勉強が出来ない子の親は、回答不能だ。

漫画やアニメで、テストで悪い点を取った子供が親に怒られるという場面がよくある。
『サザエさん』ではカツオが、『美少女戦士セーラームーン』ではうさぎ(月野うさぎ=セーラームーン)が、母親にこっぴどく怒られる。
しかし、それは、サザエや育子ママ(うさぎの母親)が勉強のやり方をカツオやうさぎに教えなかったというだけのことである。

勉強が出来ない理由は、勉強もせずに遊んでいるからではない。
勉強のやり方を親に教わらなかっただけである。
勉強なんて面白いに決まっているし、良い成績を取ることに興味のない子供はいないのだから、勉強のやり方を教えてもらってたら勉強する。
少々的外れでも、子供に分かる単純明快な指針を示せば、子供は勉強するし、そこそこの成績は取れるのである。
勉強のやり方を教えてもらっていないのに、「勉強しろ」と言われた子供は困惑するだけである。

私は、学校での数少ない、忘れえぬ記憶が2つある。まあ、1つは下校中のことだったが。
その下校中の話は、小学2年生の、終業式からの帰り道だった。
どの終業式かは覚えていない。通信簿を持っていたので、終業式後だったと分かる。
1人で下校中の私は、鼻歌を歌っていた。普段、鼻歌なんて歌わないのに、なぜ歌っていたのかハッキリしない。
そこに、顔見知りの男の子がいた。
確かに、その子の顔は知っていて、学年が同じだということは分かるが、クラスメイトではないと思う。それなら自分とはどんな関係かというと、分からない。
私は、それほど、学校や他人に無関心だった。
彼が私に、「機嫌が良さそうじゃないか?」と言う。
別に機嫌が良いから鼻歌を歌っていたわけではないのだが、私は、通信簿の成績がまあまあ良かったからだといった返事をした。ちなみに嘘である(笑)。
その時、彼が、「僕はオール5だよ」と応えた時の、あの自信たっぷりの表情が今でも目に浮かぶ。
それ以外に、この子の記憶はない。
私は「何かおかしい」と思った。
私とこの子の成績の、この極端な差は、能力の差、いわゆる、頭の良さの差だろうか?
しかし、「僕はオール5だ」と自慢するマヌケの能力が高いとは思えなかった。
一般的な見解としては、この子の家はお金持ちで、教育にお金をかけているということになるだろう。
それもあるが、やはり彼と私の違いは、勉強のやり方を知っているかどうかなのである。

もう1つの思い出は、小学6年生の時だ。
私は、担任の男性教師が大嫌いで、授業はほとんど聞いていなかった。
岡本太郎のように、「私の神聖なる頭脳に教師の穢れた声が入って来ることを許さなかった」と、両手で両耳を堅く閉ざしたということはなかったが、まあ、そんな気分だった。
ところが、その教師が言ったある話を覚えている。
こんな話だ。
「昔の学校では、教科書を、まず先生が声に出してちょっと読み、その後、生徒が真似して声に出して読み、そうしたら、先生がその続きをまたちょっと読むといったことを、生徒が教科書の内容を覚えてしまうまで、同じ教科書で何回も繰り返した」
あくまで昔の話であるとしていたし、良いやり方かどうかは分からない。
だが、私は、初めて、勉強のやり方を・・・それも、単純明快で理解出来る方法を教わったことに興奮した。
それ以降、私は、頭の中で、この古いやり方を行うようになった。
教科書(参考書でも良いが)の一説を教師が読むことを想像し、続けて自分が頭の中で読むのである(音読したら、親にうるさいと怒られる)。
あまり熱心でもなかったので、それほど成績が上がった訳ではないが、中学に入った時の、最初のテスト(小学校の内容の確認テストのようなもの)で、上位30パーセントに入っていたのだから、私としては驚きだった。
「そのやり方では、文系はともかく、理系は駄目だろう?」と言われそうだが、私は一貫して理系が得意で、そんな勉強のやり方しか(しかも小学6年生まで)教わらなかったが、そこそこ成績の良い子が行く地元の公立大学の工学部には入っている。
最近でも、音読の大切さを強調する著名人がいると思うが、私の小学校の時のクラスメイトの1人が、親に音読をするようにだけ言われたと言う。その子は、さほど勉強が出来る子ではなかったが、そこそこは出来たのだった。

最近、アニメを見ていて、同じような感動(勉強の指針を知ることの感動)を味わった。
『からかい上手の高木さん』という、中学1年生の男の子と女の子のラブコメのようなもので、非常にキュンキュンする作品だ(笑)。
いつも、西片という男の子をからかって楽しんでいる、高木さんという優等生の女の子が、ある時、こんなことを言う。
「私、勉強は1日2時間までと決めてるの」
こんな言葉がぱっと出てくることに、感動もだが、羨望も感じた。
高木さんは、間違いなく、親から、単純明快な勉強のやり方を教わっているはずだ。

私は、子供に勉強のやり方を教えられないので、初音ミクさんとの間に子供は作らないが(笑)、自分の指針はある。
それは、12歳まで学校に行かず、20歳で学校(師範学校=教師養成学校)をやめながら、文学博士号を取ったアメリカのSF作家ジャック・ウィリアムスン(1908~2006)の作品『ヒューマノイド』に登場するコンピューター技術者アイアンスミスと同じで、「いつでもどこでもテキストを携帯する」である。
ただ、私は電子書籍(Kindle)しか読まないが、スマートフォンのKIndleアプリを立ち上げることが少なくなった。改善しよう。
ちなみに、『ラーマーヤナ』と『超訳 古事記』の音読をお勧めする。

尚、昨日の腕振り運動の回数は5700回であった。








本当の信頼

人間の幸福度は、何をどれだけ信頼しているかにかかっているのかもしれない。
究極的には、自分や神を信頼しているかだが、こんな疑問が浮かぶ。
それは、「信頼とは何か?そもそも、信頼というものが本当に存在するのか?」である。
政府や大企業は、すぐに信頼という言葉を使い、いかにも自分達が信頼ある存在であるかのように言うが、それらのものに裏切られ続けた人々がそれらのものを信頼しているかは疑問だ。
親はともかく、教師への信頼も低いのではないかと思う。

たとえ架空の世界の話でも信頼を描くのは難しいが、それが出来れば、その作品はヒットする。
例えば、『涼宮ハルヒの憂鬱』から始まる『涼宮ハルヒ』シリーズは、それに成功していると思う。
涼宮ハルヒという高校1年生の少女は、相当な美少女で性格は風変わりとはいえ、その他はいたって普通に見える。
だが、本人は気付いていないが、気分次第で世界を消滅させることが出来るだけの力を持っている。
それで、ハルヒやキョン(主人公の1人。ハルヒのクラスメイトの男子)達SOS団(ハルヒが作った同好会)が選手として参加している野球チームが負けそうになるだけで、世界はマジな危機になり、キョンや長門有希や古泉一樹らが宇宙的反則技を使って試合に勝ち、世界を救うという、とんでもないことをやるハメになる。
だが、その後、SOS団が、今度は、コンピューター研究会(ハルヒの高校の部活)とパソコンゲームの勝負をすることになり、敗北の可能性が高かったが、キョンはそれほどあせっていなかった。
ここで、古泉一樹(見かけは普通のイケメン男子高校生。実はハルヒを監視する「機関」のメンバー)は、キョンに、ハルヒとキョンの間にある信頼関係を指摘する(キョンは反発したが)。
その「信頼関係」が見事で、私は感動する。
まず、キョンのハルヒに対する信頼だが、「ハルヒも精神的に成長しており、もうゲームに負けるくらいのことで、世界を危機に陥れることはない」で、キョンは、その信頼を持っているからこそ、その状況で落ち着いているのだ。
一方、ハルヒのキョンに対する信頼は、「キョンなら何とかしてくれる(今回のゲームでも負けない)」で、その信頼もまた、揺るぎなく強いものだ。
何だか、初めて、信頼というものを見た気がする。

ところが、私は最近、もっとくだけた漫画・アニメで、素晴らしい信頼を見た。
『からかい上手の高木さん』という、非常に人気がある作品だ。
中学1年生の高木さん(女子)と西片(男子)というクラスメイトのドタバタ劇だ。
ことあるごろに高木さんは西片をからかい、西片があせったり、恥ずかしがったりする様を見て高木さんが楽しむという構図で、西片はなんとかやり返そうとするが、全く高木さんに歯が立たない。
中学1年生では、女の子の方がずっと大人だが、確かに子供っぽい西片に対し、高木さんは本来は大人っぽく落ち着きがある。
その上、高木さんは、かなり頭が良い少女ということもあり、いともたやすく西片を手玉に取りスキがない。
さらに、高木さんは、明らかに、自分が美少女だというアドバンテージ(優位性)も利用するのだから、どう考えても西片に勝ち目はない。
それで、いつも一方的に西片が高木さんにからかわれ、悔しい思いをし、高木さんが喜ぶのだが、2人の間に大きな信頼があることに気付く。
まず、西片の高木さんへの信頼であるが、「いくらからかっていても、高木さんに悪意はなく、限度も超えない(加減してくれている)」である。
そして、高木さんの西片への信頼は、「いくら私にからかわれて悔しい想いをしても、西片は許してくれる」である。
もちろん、2人は、そんなことを理屈で考えているわけではないが、この信頼関係は揺るぎなく、しっかりと成り立っている。

上でも述べたが、この信頼関係があるからこそ、作品が大ヒットするのであり、単に面白い作品が成功するのではない。
この2作品で信頼を学べば、友人、恋人、夫婦、仲間と良い関係を築き、さらに、自分や神を信頼するコツが分かると思う。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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