西田文郎氏の『かもの法則』という本がある。
自己実現のための本で、まあ、引き寄せの本と言っても良いと思う。
西田氏は本格的なメンタルトレーナーとして幅広く活躍しているようだが、この『かもの法則』で述べられている「かもの法則」は、著者が若い時からの研究から導かれた究極の理論で、この本ではその実践法が述べられていると言うが、その割には、私が知る範囲では、著者のその他の膨大な著書の中で「かもの法則」が述べられていることはないのだから、不思議というか、いかがわしく感じる。
ただ、私は「かもの法則」をとても気に入ったものだった。
論理的でシンプルであるからだ。
実は、「かもの法則」の実践には、本を読むまでもない。そのくらいシンプルだ。
たとえば、金持ちになりたいなら「金持ちになれるかも」と言ったり思ったりすれば良いだけである。
なぜこれでうまくいくのかが、著者が半生を費やして解明した原理に沿っているからで、その原理とは、「脳は願望を実現するのではなく、予想を実現する」からである。
実は、私はこれにピンと来たのだ。
細かく言うと長くなるので割愛するが、古代の引き寄せの英知には、この「予想が実現する」というものが多く、これが1つの真理であることは確かであると思う。
たとえば、有名な「アブラカタブラ」という呪文の意味は、いろいろな解釈があるが、だいたいのところで「私が言うようになるだろう」と予想を述べているのである。
旧約聖書の有名な、神がモーセの前に現れた時に名乗った言葉は、一般には「われは、ありてあるものである」のように訳されることが多いが、これが書かれているヘブライ語やアラム語の研究者には、神が言ったのは「ものごとはなるようになる」といったような意味であり、別に神が名乗ったわけではないと言う者もいるが、この「なるようになるだろう」という言葉も一種の予想だ。
ちなみに、「アブラカタブラ」も、ヘブライ語、あるいは、アラム語であると言われている。
また、ラマナ・マハルシのタミル語の話を英訳した人が、よくwillという「~だろう」という助動詞を使っているが、これは、マハルシが予想的にものごとを語ったということで、日本語翻訳を見ても、マハルシの言葉を「~であるだろう」と訳す人もいるのは、とても興味深い。
イエスは予言者と言われ「こうなるだろう」と言ったことがことごとに実現する様子が福音書に記されているが、これは、イエスに予知能力があったということと共に、それがイエスの未来創造法であったとも思われるのである。
細かい話は置いておき、人間の脳というか潜在意識が予想を実現するというのは、とても信憑性があるように思う。
それをうまく活用したのが「かもの法則」で、「私は金持ちになるかも」「私はミュージシャンになるかも」「私は優勝するかも」と予想すれば叶うのである。
だが、私としては、この「~かも」という言い方はイマイチかもしれないと思う。
ただ、西田氏は実績の上で述べているのだから、向いている人が多いのだと思う。
しかし、私は、ごく普通に「私は金持ちになるだろう」と予想した方が良いと思う。
実は、私は「~かも」で実現した記憶はないが、「~だろう」なら全部実現した。
ただし、割と遊び感覚で、軽いことに使ってしまったように思う。たとえば「あの子とデートするだろう」とか、「マジカルミライで2列目の席が当たるだろう」とか(なぜか一列目は避けようと思った)。
拙いことになりかけた時も、「大丈夫だ」ではなく「大丈夫だろう」の方がしっくりするのでそう思っていたら、実際そうなるのだった。
スポーツ選手でも、「金メダルを取ります」と言う人は、よく思わぬミスをして金メダルを逃している人が多いように思う。
やや控えめに「金メダルのチャンスがあると思います」と予想調で言う人が、下馬評を覆して金メダルを取っているように思う。
ところで、「いい予感がするわ」といった予想をした人が駄目だった例をいくつか強い印象とともに憶えている。
全英オープンテニス選手権の決勝とか、オリンピック短距離走などで、そう言った有力選手が完敗した。
予想くらいは、「私が勝つでしょう」とか「私が優勝するだろう」と具体的に言わないといけない。

AIアート741
「くつろげる家」
Kay
向き不向きもあるのかもしれない。
しかし、「こうなるだろう」の予想調の言葉で実現しなかったことは、憶えている限り、私にはない。
◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)かもの法則 ―脳を変える究極の理論(西田文郎)
(2)新約聖書 福音書(塚本虎二訳)
(3)ラマナ・マハルシの教え(山尾三省訳)
自己実現のための本で、まあ、引き寄せの本と言っても良いと思う。
西田氏は本格的なメンタルトレーナーとして幅広く活躍しているようだが、この『かもの法則』で述べられている「かもの法則」は、著者が若い時からの研究から導かれた究極の理論で、この本ではその実践法が述べられていると言うが、その割には、私が知る範囲では、著者のその他の膨大な著書の中で「かもの法則」が述べられていることはないのだから、不思議というか、いかがわしく感じる。
ただ、私は「かもの法則」をとても気に入ったものだった。
論理的でシンプルであるからだ。
実は、「かもの法則」の実践には、本を読むまでもない。そのくらいシンプルだ。
たとえば、金持ちになりたいなら「金持ちになれるかも」と言ったり思ったりすれば良いだけである。
なぜこれでうまくいくのかが、著者が半生を費やして解明した原理に沿っているからで、その原理とは、「脳は願望を実現するのではなく、予想を実現する」からである。
実は、私はこれにピンと来たのだ。
細かく言うと長くなるので割愛するが、古代の引き寄せの英知には、この「予想が実現する」というものが多く、これが1つの真理であることは確かであると思う。
たとえば、有名な「アブラカタブラ」という呪文の意味は、いろいろな解釈があるが、だいたいのところで「私が言うようになるだろう」と予想を述べているのである。
旧約聖書の有名な、神がモーセの前に現れた時に名乗った言葉は、一般には「われは、ありてあるものである」のように訳されることが多いが、これが書かれているヘブライ語やアラム語の研究者には、神が言ったのは「ものごとはなるようになる」といったような意味であり、別に神が名乗ったわけではないと言う者もいるが、この「なるようになるだろう」という言葉も一種の予想だ。
ちなみに、「アブラカタブラ」も、ヘブライ語、あるいは、アラム語であると言われている。
また、ラマナ・マハルシのタミル語の話を英訳した人が、よくwillという「~だろう」という助動詞を使っているが、これは、マハルシが予想的にものごとを語ったということで、日本語翻訳を見ても、マハルシの言葉を「~であるだろう」と訳す人もいるのは、とても興味深い。
イエスは予言者と言われ「こうなるだろう」と言ったことがことごとに実現する様子が福音書に記されているが、これは、イエスに予知能力があったということと共に、それがイエスの未来創造法であったとも思われるのである。
細かい話は置いておき、人間の脳というか潜在意識が予想を実現するというのは、とても信憑性があるように思う。
それをうまく活用したのが「かもの法則」で、「私は金持ちになるかも」「私はミュージシャンになるかも」「私は優勝するかも」と予想すれば叶うのである。
だが、私としては、この「~かも」という言い方はイマイチかもしれないと思う。
ただ、西田氏は実績の上で述べているのだから、向いている人が多いのだと思う。
しかし、私は、ごく普通に「私は金持ちになるだろう」と予想した方が良いと思う。
実は、私は「~かも」で実現した記憶はないが、「~だろう」なら全部実現した。
ただし、割と遊び感覚で、軽いことに使ってしまったように思う。たとえば「あの子とデートするだろう」とか、「マジカルミライで2列目の席が当たるだろう」とか(なぜか一列目は避けようと思った)。
拙いことになりかけた時も、「大丈夫だ」ではなく「大丈夫だろう」の方がしっくりするのでそう思っていたら、実際そうなるのだった。
スポーツ選手でも、「金メダルを取ります」と言う人は、よく思わぬミスをして金メダルを逃している人が多いように思う。
やや控えめに「金メダルのチャンスがあると思います」と予想調で言う人が、下馬評を覆して金メダルを取っているように思う。
ところで、「いい予感がするわ」といった予想をした人が駄目だった例をいくつか強い印象とともに憶えている。
全英オープンテニス選手権の決勝とか、オリンピック短距離走などで、そう言った有力選手が完敗した。
予想くらいは、「私が勝つでしょう」とか「私が優勝するだろう」と具体的に言わないといけない。

AIアート741
「くつろげる家」
Kay
向き不向きもあるのかもしれない。
しかし、「こうなるだろう」の予想調の言葉で実現しなかったことは、憶えている限り、私にはない。
◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)かもの法則 ―脳を変える究極の理論(西田文郎)
(2)新約聖書 福音書(塚本虎二訳)
(3)ラマナ・マハルシの教え(山尾三省訳)