ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

おとぎ話

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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おとぎ話は正しかった

おとぎ話では、正直者、善人が最後に報われるが、「正直者は馬鹿を見る」と主張する者が多い。
「それはおとぎ話だ」という言い方は、正直者、善人が報われるというのは現実的ではないという皮肉的な意味だが、その考え方が広く支持されている。
だが、おとぎ話は何を教えているのだろうか?
正直であること、優しいこと、欲がないことが大切だという単純なことだ。
しかし、それでは現実ではうまくいかないと言う者達は、嘘つきで、意地悪で、欲張りだ。

『浦島太郎』で、亀をいじめていた子供達のような人間はどこにでもいるだろう。
そんな人間は、一時的には良い想いをしても、結局は地獄への坂道を進み、最後は地獄に転げ落ちる。
一方、浦島太郎のような者は滅多にいない。
亀が可哀そうだと思う者は多いが、ほとんどの者が何もしない。
浦島太郎は、少々の金を出しただけだが、大多数の者は、その程度のこともしない。わずかでも損をしたくないのだ。

『舌切り雀』で、正直者のお爺さんは、小さな宝箱を選んだ。
だが、そのことを知っている者でも、大きな得と小さな得があったら、大きな得を選ぶのだ。
そしていつか、大きな得は化け物だと知る。
実は、小さな得は無限の得だ。

『一寸法師』では、身体は小さくても、いつもシャンとしていた一寸法師が鬼を倒し、ハッピーエンドとなった。
だが、このお話を知っていながら、自分が抱えた不利な条件を嘆き弱音を吐く者だらけだ。

おとぎ話の正直者のように、優しく、欲がなく、そして、ヒーロー一寸法師のようにシャンとすれば世界は意のままだ。
そう言われてせせら笑う者は、結局は、亀をいじめて快楽に耽る者で、そんな者達は、嘘つきで意地悪で欲張りで、そして、泣き言を言ういくじなしだ。

ただ、日本のおとぎ話では、一寸法師のように、シャンとすることの大切さを描いたものが少ない。
グリム童話の『ヘンゼルとグレーテル』の真意は、心理学者の河合隼雄さんによればこんな感じだ。
グレーテルは兄のヘンゼルを頼るだけの弱い女の子だったが、自分で魔女をストーブの中に押し込める戦うオンナに成長した時に勝利を掴んだのだ。
このように、西洋の童話では、シャンとすることを重要視する。
シンデレラは、自分をいじめた継母や義姉達に報復をせず、むしろ、良くしてやった。
だが、シンデレラが優しいだけのうじうじした女の子だったら幸せにはなれなかった。
舞踏会に出かけるだけの心意気があったから良かったのであり、それはなかなかの勇気が必要だ。
シンデレラは、いざという時はシャンとすることが出来たのだ。

だが、童話、おとぎ話の歪んだ受け取り方をする者がなんと多いことか。
これが、庶民を奴隷状態に留めるための闇の支配者の陰謀ではないかと思うほどである。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)昔話の深層 ユング心理学とグリム童話(河合隼雄)
(2)日本昔話百選
(3)新版 遠野物語 付・遠野物語拾遺 柳田国男コレクション (角川ソフィア文庫)
(4)ペロー童話集
(5)グリム童話集(上)

星の人
AIアート1231
「星の人」
Kay

サンタの嘘は早くばらせ

「子供だまし」なんて言葉があるが、子供は、騙したつもりでもなかなか騙されないし、また、本当に本当のことだが、騙してはいけない。
『涼宮ハルヒの憂鬱』から始まる『涼宮ハルヒ』シリーズと言われるヒット小説があるが、この小説の始まりは、高校に入学した男子であるキョンが、
「サンタをいつまで信じていたか?」
と語るところから始まる。
キョンはこれを「どーでもいい話だが」と前置きしてから語り始めるが、どうでも良くない。
サンタこそ、犯罪的子供だましであると私は思う。
幸い、キョンは、「実のところ、最初から信じていなかった」と言う。
賢い子供だ。
一方、私はというと、サンタを信じていた。
私が、サンタは本当はいないと知ったのは、幼稚園に行く通園バスを待っている時、1人の男の子に、
「サンタは本当はいない。プレゼントを持ってくるのは親」
と言われた時だった。
そう言った男の子の思いつめたような顔をよく憶えているし、その時の自分のショックも憶えている。
だが、ショックではあったが、私だって、少なくとも、薄々は気付いていたのだ。
サンタを信じている子供に真実をばらしてはいけないと思っている人は多いかもしれない。
ところが、サンタを信じている子に本当のことを言うと、その子はショックを受けるかもしれないが、複雑な表情をすることが多い。それはやはり、その子も、サンタが本当は実在しないことを、薄々と、あるいは、本当のところははっきりと気付いていたからだ。

キョンはサンタを馬鹿にしていたが、彼は本当に賢い。彼は小説の中では凡人ということになっているが、それは絶対ない。彼はかなりの大物だ。彼は元々、高IQだったのだが、サンタを信じさせない家庭環境が彼を高IQにしたのかもしれない。
あくまで子供時点でだが、サンタを早く信じない子供ほどIQが高いのである。
ちなみに、私がなぜ、実際はサンタを疑っていたのかというと、親がサンタにプレゼントのリクエストをしたという話が噓臭かったからだ。

サンタの話は有害だ。
あれは、コカ・コーラ社が商売のために考案したもので、子供の精神を害することなど全く配慮せずに広めたものだ。
そして、IQが低い大人達が平気で、子供の頭を悪くすることに協力したのである。
と私は思うのだが。

『赤い鳥小鳥』という童謡をご存じと思う。

赤い鳥 小鳥
なぜなぜ赤い
赤い実を食べた

から始まり、白い鳥、青い鳥も同様であると歌う。
大正時代に、なんとあの北原白秋が書いた詩だ。
幼稚園時代のキョンなら、この歌を聞いたら、「そんなアホな!」と言いそうだ。
残念ながら私は、「え?本当?」という奇妙な感情は感じたが、嘘だと否定するには至らなかった。
何も感じなかったら、その時点ではIQが低い。そして、この歌を聞くことでさらに低くなる。

これらのような、子供を騙す悪い嘘が蔓延し、子供の頭を駄目にしている。
レコード、カセットテープ、CD、インターネット用デバイスとメディアは変わったが、それらが普及した昭和30年代あたりから、子供のIQは下がっている。
これらを一緒に聞くような賢い親であれば良いが、多くの馬鹿な親は子供に聞かせっぱなしなのだろうし、今は、子供が何をしていようが親はスマホを見ているのだろう。親のIQも低いが、子供のIQもますます下がる。

私は、幼稚園の紙芝居でこんなものを見た。
(現代の小説『変態王子と笑わない猫。』で紙芝居の話があったので、今も紙芝居はあるのかもしれないが)
その紙芝居の中で、宝物を地中に隠した男が、隠し場所が分かる目印を決めるため周囲を見たら、空に白い雲があったので、目印を「白い雲の下」と決める。
超アホなやつである。
そして後日、宝物を掘りに行ったが、雲が沢山出ていて、「彼にはどの雲か分かりません」と語られる。
子供の脳を破壊するにもほどがある極悪犯罪級のお話である。
まず、賢い子供なら、雲が一時的にも目印にならないことが分かる(私は疑問に思っただけだが)。
そんな賢い子供の知能すら引き落としかねない。
そして、後日、沢山の雲がある状況に対し、そのアホな男が「どの雲か分からないや」と言ったのならともかく、語り手が「彼にはどの雲か分かりませんでした」と・・・よくもしらふで言えたものである。
これには、幼稚園の時の私も呆れたものだったが、私より頭が悪い子供もいて、そんな子供の脳を修復不能なほど恐しかねない。

妖精
AIアート418
「妖精」
Kay


童話やおとぎ話(正確には、日本の童話のことをおとぎ話と言う)、あるいは、怪異譚(かいいたん。おおよそ怪談のこと)が悪いと言うのではない。これらは、子供の想像力を育てる良いものである。
しかし、闇の勢力(一応、こう言う)は、子供の脳を破壊するためのお話を、良い童話の中に巧みに滑り込ませて普及させているのである。
また、悪意のない童話の中にも、害のある話は少なくない。
私は、高校生の時、いい年をして童話を読み直し、自分で誤った観念を修正したので、少しはマシな脳になったように思う。
この作業をしてこそ、童話や昔話が知恵になる。私はそう思う。








おとぎ話は引き寄せの教科書

どんな国、どんな民族も、おとぎ話や神話を持つ。
おとぎ話は、教訓を伝えるものであるとか、あるいは、もっと深い人間や世界の真理が隠されているものだとも言われる。
神話や伝説に関しては、神話が伝えられなくなったら、その国や民族は滅ぶと言う人もおり、その民族を護る重要な教えが神話の中に秘められているという主張もある。
※「おとぎ話」は「日本の童話」という意味だが、ここでは、両者を区別しない。

神話となると、何か壮大なものが込められているのかもしれないが、多くの場合、おとぎ話は、引き寄せの方法を子供に教えるために作られたのである。
とはいえ、意図しておとぎ話の中に引き寄せの方法を入れたと言うよりは、自然にそうなったのであり、その分、押しつけがましさがなく、子供達は自然に引き寄せを覚えていたのである。
神話は壮大であると言ったが、むしろ、壮大な引き寄せの秘法であるかもしれない。その点、将来大物になる子供向けであるし、大人向けでもある。

幼い頃に、おとぎ話に親しんだ人は、自然に引き寄せのノウハウが身に付いており、一生、概ね安楽である。
神話に親しんだ子供は大物になる可能性が高い。
おとぎ話というのは、だいたいがハッピーエンドであるが、ハッピーエンドを導く要因がどれも美しく、その美しいものを身に付けてしまえば、人生勝ったも同然なのである。
例えば、グリムの『ヘンゼルとグレーテル』で、兄妹は、なぜ魔女に勝利出来たのだろう?
それは、妹のグレーテルが、魔女をかまどに押し込む勇気と行動によってである。
幼くて、兄を頼るだけで、自分では何も出来なかったグレーテルが、兄の助けを得られない状況で、行動を起こしたから勝利したのである。
まさに、「キャシャーンがやらねば誰がやる」である(「キャシャーン」知らない方、御免なさい)。

グリムの『星の銀貨』には、やや微妙さはあるが、別にこれを教訓として教えるのではなく、童話としてマインドを導くためのお話である。
優しい女の子が、持っているものを欲しがっている人に次々にあげ、最後には、着ている下着まであげてしまい、全てを失ったが、その時、神様が沢山の銀貨と、新しい上等の服をくれるのである。
これは、イエスの言う「与えるものは与えられる」を、自然に教えるお話である。

グリム版、ペロー版がある『シンデレラ(サンドリヨン、灰かぶり)』は、辛い状況が訪れても、耐えて真面目に務めた方が良いことを、まず教えている。
そうやって培う、忍耐、技術、要領(合理性)、礼儀などは一生の宝であり、シンデレラも、そういったものを身に付けたからこそ、美しさを引き立て、王子様の目にも留まったのである。
そして、12時までに帰らないといけないといったように、楽しむことにも制限があることを認識し、勝手きままさを抑えることが重要である。
シンデレラの足が、小さなガラスの靴に収まるほど小さいのは、足の大きさというのは、実は、放埓(ほうらつ。勝手きままなこと)さが小さいことを示しているのである。
シンデレラの義姉達は、放埓に過ごした、つまり、足が大きいので、王子様に相応しくないのである。

伝説ではなく、アンデルセン童話のように、1人の作家が作ったものにだって価値がない訳ではない。
童話の形で語られる物語は、やはり、貴重な精神法則、つまり、引き寄せのテクニックなのである。
『マッチ売りの少女』のように、あきらかに大人を含む全ての人への教訓を込めたものもあるが、それにだって深い精神法則が込められている。
それは、心が持つ驚くべき力だ。普通の人は、それを見過ごし、ないがしろにしているが、この物語を子供の時に味わった人は、そうはならないのである。
『人魚姫』では、人魚姫は髪で身体を隠す慎み深さを持ち、声を出して自己主張をせず(声を失って、話すことが出来なかったのだが)、最後は、王子様を殺すよりは自分が犠牲になった。
海の泡となった人魚姫であるが、神様によって高次の存在にされ、そして、誰からも愛される永遠の乙女になったのであり、この物語を胸に秘めている者も、そうなるのである。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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