ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

いじめ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

いじめから逃れるには

奢られて生活している「プロ奢ラレヤー」を名乗る人物がYouTubeで、いじらめれているがどうすればいいかという男子中学生の相談に対して答えていたのが、なかなか良かった。
結論を簡単に言えば「変な人が多い学校に転向しろ。今すぐ無理でも、早く、変な人が多い場所に行け」である。
その理由はこうだ。
いじめられるのは、その場所では異常者だからだ。
異常者と言うのは、単に少数派という意味で、多数派である正常者にいじめられる。
なら、異常者が多く、正常者が少ない場所に行けば、正常者が圧倒的多数ではないので、いじめられない。

抜群の答だ。頭が良い人なのだろう。

私が好きな古いSF映画『火星人地球大襲撃』(イギリス。1967)で、高度な科学文明を築いた火星人が滅んだ理由がいじめだったというのが面白い。
いじめと言っても、要は異端者の排除で、上で述べた、多数派による少数派の撲滅である。きっと、火星では少数派がなかなか強かったのだろう。

いじめというのは、正常者とされる多数派が、異常者とされる少数派を叩く行為である。
学校においては、教師はいじめを黙認する。
なぜなら、教師は学校や教室が正常であって欲しいからだ。それなら楽だからね。
だから、異常者が叩かれ、いなくなったり、異常性を発揮しないでいてくれると助かる、つまり、教室の秩序が維持されるので、いじめを見て見ぬフリをするのである。
もし、異常者が力を持ち、存在価値を高めたら、学校の目的である、生徒の画一化、ロボット化に失敗する。
そうならないためには、いじめというのは、学校にとっては都合が良いのである。

会社では、今は、飲み会や社員旅行に行かない異常者が多くなり、実際、飲み会や社員旅行に行かない社員が多くなったという話があるが、実際は、まだまだそうはなっていない。
私が居た会社でも、社員旅行に行きたくないと言う社員を、部長や役員が何時間も説得というか脅し続ける(まさにいじめだ)ということがよく行われていた(私がいた数年前でも行われていた)。
会社というのは、正常者が支配的でなくなり秩序が保てなくなったら終わりなのだから、別にそれらの部長や役員が悪いわけではない。
私も若い頃、社員旅行に行かないと言ったら、常務と部長にがっちり掴まり延々と締め上げられたものだ(笑)。
だが、私は悠々と逃れた。
やり方は、第一次世界大戦の時、イギリス陸軍のウィットルレイという将校が使ったのと同じだ。
これにより、ウィットルレイは、長年戦って、自分の隊の隊員を1人も戦死させなかったという。
何をしたかというと、旧約聖書の詩篇91を隊員に憶えさせ、毎日唱えさせたのだ。
私の場合は、短い詩篇23を読んでいたが、内容は同じと思う。
何が書いてあるのかというと、全能の神が間違いなく守ってくれるということを、力強く美しく書かれている。
実際は、この神は、仏でも潜在意識でも宇宙の活力でも、何と言っても良いのだが、雰囲気は大切なので、神が良いかもしれない。だが、そこらは、各自好きなように考えれば良いと思う。
それと共に、「ナ・ダーム呼吸」(「ナ」で吸い「ダーム」で吐く)をやったが、志賀一雅博士の「よかった、ありがとう呼吸」(「よかった」と思いながら吸い「ありがとう」と思いながら吐く)でも良いと思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)嫌なこと、全部やめても生きられる(プロ奢ラレヤー)
(2)火星人地球大襲撃 -TV吹替音声収録版- [Blu-ray]
(3)神さまの周波数とシンクロする方法(志賀一雅)
(4)新共同訳 旧約聖書

優等生の肖像
AIアート2329
「優等生の肖像」
Kay

巨悪に嫌がらせをする方法

昔は、ひきこもりはいなかった。
戦争中であれば、ひきこもっていたら、殴ってでも連れ出された。
その後になっても、ひきこもることを許さず、無理にでも学校に行かせ、働かせた。
どんな事情があってもだ。
ひきこもらせておいたら、一生、大人になれないからだ。大人とは、自分の力で生きることが出来る者だ。
ひきこもりを容認し、子供のまま・・・世の中を渡っていく能力がない、弱いままでいるほど悲惨なことはないからだ。

ひきこもりの原因なんて、いじめに決まっている。
だが、昔は、いじめる側も限度を知っていた。
だから、ひきこもりを許さず、無理矢理にでも、学校に行かせる方が絶対に良かった。
ひきこもりたい者は辛いかもしれないが、殺されることまではないからだ。
しかし、今は、限度を知らずにいじめる者達が多い。
昔なら、「殺されたりまではしない」と思われたが、今は、殺されることもあり得る。
そして、取り返しのつかない傷を負わされることなら、普通にあり得る。内容は書かないが、どんなことかは分かると思う。

また、いじめとは見なされないが、自分より明らかに弱い者を殺すような事件も時々起こる。
そして、それに近いことなら、かなり頻繁に起きていると思われるのだ。
これらも、単独犯行が多いだけで、弱い者いじめといういじめである。

いじめる方に限度があれば、無理にでも学校に行かせたり、働かせることが、良い結果になることも多かった。
だが、今は、いじめる方が限度を知らないことが多い。
そして、実を言えば、いじめをする者達だけでなく、外国のことはともかく、日本人全体が限度を知らなくなっている。
この限度を知らないとは、自分の内側から起こる欲望とか負の衝動を抑えることが出来ないということで、そんな人間が増えているのである。

限度を知らない、内側から起こる欲望や負の衝動を抑えらないということが、どんなことか分かるとは思うが、一応、書いてみよう。
「こいつ、気に食わない。やっつけてしまおう」という衝動が起こっても、正当な道理がなければ・・・いや、あっても、「争いはいけない」と思うことが人間の理性だ。
ただ、正義は自分にあると信じる場合で、しかも、非常に強い相手に戦いを挑むことは、正しくはないが、一部は褒められることもある。とはいえ、やはりこれも間違いなのだ。
しかし、今は、道理など全く関係なく、ただ自分が相手を気に食わないという理由だけで、そして、絶対に勝てる場合だけ・・・相手がずっと年少だったり、身体障害者だったり、明らかに体が弱かったり、1人の相手に徒党を組んで攻撃するような場合だけ攻撃する者が増えている。
平成に入る頃、よく指摘されたことがあった。
昔の不良は、不良同士で「眼(ガン)を付け合って」敵対した。
まあ、昭和も終わりの頃の不良は、本当にファイトせず、眼(ガン)をつけ合うだけなので情けないが、それでも、不良対不良だった。
カツアゲをする者もいたが、やるとしたら、同じ男子高校生相手で、出くわしただけの顔を知らない、そして、まがりなりにも健康そうな、同じくらいの人数、さらには、1人で2人以上の相手をカツアゲすることを誇らしく思っていた。まあ、これも馬鹿なのだが、ドロドロに腐ってはいなかった。
だが、今の不良は、絶対に勝てる相手、つまり、老人と身体障害者しか相手にしない・・・と。これが、平成初期の話である。
それでも、まだ、老人や身体障害者に対する限度を知っていたのである。
ところが、今は、限度を知らない者が多い。そして、いじめる者は、外面は不良に見えず、優等生であることも珍しくない。

さて、問題は、内側から起こる欲望や負の衝動を抑えられなくなったことだ。
なぜ、そうなったのだろう?
一応、一説としておくが、そうなってしまったのは、日本の学校やマスコミを支配し、日本人がそうなるよう仕組んだ者がいたからだ。
つまり、学校やテレビが原因なのである。
なぜ、そんな策略で日本を潰したのかというと、それが人間の弱点を突いた、効率的で成功し易い策略だと分かっていたからだ。
学問的には哲学者と見なされないが、超優秀な哲学者であったアーサー・ケストラー(1905~1983)は、『ホロン革命』の中で、人間の脳の欠陥を指摘している。
人間の脳の構造上、人間は、動物的衝動を理性で抑えることが難しいのである。
なら、動物的衝動である欲望や、それに似た負の衝動を抑えることをさせないよう、学校教育やテレビによる教育をすれば、簡単に限度を知らない人間を作ることが出来る。
そんな策t略に、日本人は、まんまとやられてしまった。アメリカ人も同じなのだが、アメリカは広いので、日本より少し遅れている。しかし、近い状況にはなっている。

だが、今回は詳しく説明しないが、内側から起こる欲望や負の衝動を抑えれば、抑えた分の倍(実際は数倍)の力が得られるようにもなっている。
欲望に流される人間は、実は弱く、すぐに悲惨な最後を迎える。それが、日本の敵の、本当の狙いである。
だから、自制すること、慎むことが、敵に対する最高の嫌がらせなのである。
そして、自制し、慎むほど、引き寄せの力は確実に強くなるのである。








初音ミクと少数派の悲哀

私は、今日は、インテックス大阪に、初音ミクさんのライブコンサートと、初音ミクさんらボーカロイドの様々なコンテンツの展示および販売を行う企画展を兼ねた「マジカルミライ2021」に行くので、午後のブログ更新はお休みとする。

ところで、私は、初音ミクさんのファンでいるうちに、少数派(マイノリティ)について考えるようになった。
初音ミクさんは、国内だけでなく、世界的に大人気で、アメリカ、ヨーロッパ、アジアなどの、経済的に豊かな国で多くのコンサートを開いているが、どこでも、大きな会場が必ず満員になる(チケットを得られず涙する人が圧倒的に多い)。
とはいえ、社会全体から見れば、やはり、初音ミクファンというのは少数派なのだ。
ほとんどの人は、初音ミクという名を知っていても、「オタクの趣味」としか認識せず、ごく良識のある人だって、「私は初音ミクファンだ」と言うと、ちょっと引きつった笑いをしながら、「ああ、そっち方面の人なんですね」と、やや小馬鹿にしながらも、特に悪意なく言うのが普通である。

ところで、少数派は、厳しい状況に置かれることが多い。
極端なものは、学校のいじめで、いじらめれる子というのは、何かの意味で少数派なのである。
例えば、周囲では誰も使わない方言を使ったり、外国人で顔が違ったり話し方にクセがあるなど、少数派で異分子と見なされると攻撃の対象になってしまうのである。
一般でも、周囲の人々と異なる信仰を持っていたり、支持する政党が周囲の人達と異なっていても攻撃されることがよくあるだろう。
岡本太郎は、お金持ちの母親が、岡本太郎に、誰も着ていない良い服を着せ、良い靴を履かせるから、太郎は厳しいイジメに遭った。
そして、身体に障害がある者を異分子と見なして攻撃するという、まともに考えると理解し難いことが実際にある。

ところが、初音ミクさんというのは、ファンが「オタク」と馬鹿にされることはあるが、馬鹿にされる程度で、攻撃されるほどではない。
また、初音ミクさん自体や、その関係団体が攻撃されたという話も聞かない。
いじめられるとか攻撃されるというのは、少数派の異分子であるということに加え、どこか目立つところ・・・それも、悪い目立ち方があるからなのである。
例えば、異教徒である場合に、自分が信仰する宗教が、周囲の者達の宗教より優れていると、露骨に言わないのはもちろん、それを感じさせることを言ったりしなければ、無視されるだけで済む場合が多いのだと思う。
クラスの中の外国人の場合だって、その子が、飛びぬけた美男美女でやっかまれたり、まして、それを鼻にかけているように誤解された時に攻撃されるのである。
身体が不自由でいじめられるというのも、その子の顔が可愛いとか、特別な待遇を受けていると誤解された時に、厳しいイジメに遭うのである。

ところが、初音ミクさんの場合、人間の歌手と競おうなんてところが全くないし、むしろ、人間より低い存在であるとして、多数派を刺激しないのである。
初音ミクさんの開発会社であるクリプトン・フューチャー・メディアの伊藤博之社長の講演会で、質問タイムに、会場から、「今後、ボーカロイドが発達すれば、人間の歌手は不要になりますか?」という質問があった時、伊藤社長は、極めて真面目な顔で、「それはありません」と、はっきり答えられていたのが印象的だった。もしそこで、伊藤社長が「あるかもしれませんねえ」などと言ってたら、世間の批判を浴びたかもしれない。しかし、伊藤社長は、控え目で思慮深い人と思われ、そんなことは言わないと思う。
また、初音ミクさんの歌は、プロもアマも作るのだが、マジカルミライ2020のテーマソングでもあった、ピノキオピーさんの『愛されなくても君がいる』が特に顕著だが、初音ミクというのは、やはりどこかガラクタで劣ったものであるという雰囲気の歌が、プロ、アマ問わず多いのである。
ピノキオピーさんの他の歌で言えば、『君が生きてなくてよかった』や、ryoさんの『ODDS&ENDS』、れをるさん作詞ギガPさん作曲の『ヒビカセ』、その他にも沢山あると思うが、初音ミクさんは、人間に敵わない存在であるという悲哀を感じさせるものが多いのである。

多数派が少数派を叩く理由には、怖れという部分もある。
少数派ながら、存在感を示すものに対し、多数派は心のどこかで、逆にこちらがやられてしまうという不安があり、それもあって、激しく攻撃することもある。
実際、少数派には、特別な力がある場合が多い。
また、上でも述べたが、西洋人や西洋人の血が入ったハーフが、日本人より美しいというやっかみを感じさせ、下手をしたら、彼らが人気者になって、自分がかしずく方の立場にならないかという恐れもあると思う。

私は、むしろ、積極的に少数派でいろと言いたいほどなのである。
特に若い人には。
しかし、少数派は、特に謙虚で、身を低くしなければならない。
小さな世界で優位に立とうなどと思わず、高貴な目標を目指し、たゆまず進むべきである。
初音ミクさんを見ていて、私はそう思うのである。








弱い者いじめと大食が身を亡ぼす

『わたしのいもうと』という絵本がある。
実話に基づくお話らしいが、「商品の説明」の「内容」に、こう書かれている。
「妹をいじめた同級生たちは、そんなことなど忘れて中学生になり、高校生になっていきました。」
小学校で、過酷ないじめを受けた妹は、学校に行けなくなり、家にずっと引きこもるようになったが、妹をいじめた子達は、中学生、高校生となっていき、妹は、家の前を彼ら彼女らが元気に通学する様子を黙って見ていた。
その後、妹は変調を起こすようになる。
妹に、あれほどのことをした者達に報いはないのだろうか?

スティーブ・マックイーンとダスティン・ホフマンが共演した、実話に基づく傑作映画『パピヨン』(1973)という作品がある。
その中で、囚人同士で友情が芽生えたパピヨンとドガだったが、パピヨンが裏切り、ドガが窮地に立たされる。
その時、誰かがドガに、「パピヨンを恨むか?」と尋ねると、ドガは微笑んで、「裁くのは神だ」と言う。
ドガは詐欺師であり、人格者などではない。
だが、自分を絶体絶命のピンチに追い込んだパピヨンを許していたのだ。
そして、実際は、パピヨンは裏切っておらず、むしろ、ドガをかばって死ぬような目に遭っていた。
「裁くのは神」
この長い映画の後にも続く物語は、それを証しているように思える。

では、『わたしのいもうと』の、妹をいじめた者達は、高校生までは無事でも、その先、いつか神の罰が下るのだろうか?
死後に、魂が極めて長い罰を受けるという話もあれば、来世で罰を受けるという説もある。
まあ、それらは確認のしようがない。
とはいえ、罰と言って良いかどうか分からないが、因果応報というものは、そんなに長く待たされることなく起こると思う。
『わたしのいもうと』で、妹をいじめた者達も、表面上は平穏な中学・高校生活を送っているように見えても、その中に徐々に、あるいは、ある時、一気に報いを受けるような形にはなると思う。

対等な相手、あるいは、自分より強い立場の者を攻撃することはいじめとは言わない。
つまり、いじめとは、本質的に、弱い者いじめである。
そして、弱い者いじめは、自覚がない場合があるのかもしれないが、誰でもやったことがある。
自我の性質からいって、弱い者いじめは楽しいのである。
だが、弱い者いじめをする者は運を失い、逆に、弱い者いじめをしない者に幸運がやって来る。
不世出の空手家であった大山倍達は、昭和の時代の少年達のヒーローだったが、実際は、大嘘も沢山言い、悪いこともしていた。
だが、彼は、子供の時から、弱い者いじめだけは絶対にしなかった。
それで、最後は癌で死にはしたが、概ね幸福な人生であったと思う。
一方、大山倍達をヒーローに仕立て上げた作家の梶原一騎は、根は純情な部分もあったのだが、弱い者いじめはかなりやったと思われる。
また、後でそれについて述べるが、彼は大変な美食家だった。
それで、最後は、あまりに悲惨なことになったのではあるまいか。

ところで、江戸時代の観相家、水野南北は、前世からかもしれないが、今生でも、極めて若い頃から悪事を重ね、弱い者いじめも相当にやったと思う。
それで、17歳の時、観相家に、「死相が出ている。余命1年」と宣告された。
ところが、1年後、水野南北が、再び、その観相家に見てもらうと、観相家は、
「不思議だ。死相がすっかり消えている。お前は何か大きな徳を積んだのか?」
と言う。
南北は、1年の間、大豆以外のものを口にしなかったという。
観相家は、それで納得し、「食の慎みこそ、最大の徳である」と言ったようだ。
水野南北は、後に天下一の観相家になったが、いかに観相の技術を上げても、どうしても鑑定が外れることがあった。ところが、食の多少で鑑定すると、万に1つの外れもなかったと言う。
つまり、「食少なければ幸運、多ければ衰運」である。
また、美食は衰運で、粗食が幸運である。

まとめて言えば、弱い者いじめをせず、食の慎みを心がければ、自ずと幸運になるのである。
だが、日本は、かなり前から、弱い者いじめが横行し、美食・飽食が盛んである。
それで、日本はすっかり駄目になってしまった。
しかし、そう(弱い者いじめをする、美食・大食家)でない人もおり、そんな人達が最後の希望であるかもしれない。








理不尽な世の中

今は少しは状況は良くなったという話があるが、学校で暴力的ないじめ(肉体的、精神的、その他)があって、いじめを受けた生徒やその親が相談しても、担任教師も学校も全く対応しないことがよくある。
いじめを受けた生徒が、耐えられずに自殺し、親が強く訴えても、学校は全く相手にせず、「いじめの事実はない」で通すことも、少なくとも以前は普通だったと思う。
学校が、「証拠がない」と言えば、それでいじめはなかったことになる。
そこで、いじめに遭った生徒の親が多大な努力をして証拠を集め、十分に明白な証拠を学校に出したら、今度は学校は、「見るに値しない」と言って、見ようとせず、見ていないことをもって「証拠は出ていない」とする。

こういうのを理不尽と言うのだが、社会とは理不尽なものである。
だが、学校では理不尽がまかり通ってはいけないのだと思われ勝ちだが、学校も社会の一部であり、変わりはない。
ところが、我々は、学校はそうであってはならないという勝手な思い込みにより、学校はそうではない(あるいは、かなりマシ)と思ってはいないだろうか?
実際は、学校の方が、一般社会よりずっと理不尽かもしれないし、実際にそう思っている人は多いはずだ。
我々は、これが現実であると認識する必要がある。

ところで、今回のアメリカ大統領選挙が、上に述べた学校のイジメの場合と似ているのである。
新聞やテレビしか見ない人は信じないかもしれないが、今回のアメリカ大統領選挙では大規模な不正があり、バイデン候補に、偽の多量の票が入ったのである。
おそらくだが、実際の投票では、トランプ大統領がかなりの得票差で勝っているが、不正により、バイデンが勝ったのだ。
だが、トランプ側がそう主張したら、マスコミは「証拠がない」と言って、不正の事実はないと報道し、マスコミの影響は絶大なので、多くの人々はそれを信じた。
そこで、トランプ弁護団は多大な努力をし、また、多くの人々がそれに協力して、膨大な証拠を集め、その中には、あまりに明白な証拠も少なくなかった。
例えば、1900年生まれの人の投票(死んだ人が投票している)、州内に住んでいない人(投票権はない)の投票、存在しない人(調査で確認された)の投票などが大量にあった。
また、監視カメラがはっきり捕えていたが、その日の集計作業が終了し、作業員や監視人(集計には監視人の監視が義務付けられている)が帰った後、数名の職員が残り、テーブルの下からスーツケースに入った大量の投票用紙を引っ張り出し、(当然、監視人がいない中で)集計を行った。
(この映像は公開されていて誰でも見ることが出来る)
その時刻あたりで、統計学上は、1兆分の1もあり得ない確率で(統計学者が計算した)バイデンの票が増えた。
投票用紙をスキャンする機械にエラーが起こったら、人間が用紙を見て手入力するが、法律では、許容されるエラー率は0.1パーセントよりはるかに低い値であるが、実際に発生したエラーは60パーセントをはるかに超えていた(集計人が実際の投票と違う候補に入れることが可能)。
・・・等々、驚くべき不正だが、実は、これらは不正のほんの一部である。
尚、これらの証拠の多くは、見さえすれば、子供でも解るほど明白であり、実際にSNSで一般公開されているものもあり、見ようと思えば誰でも見れる。
ところが、マスコミは、証拠を見ることなく(見ていないことにしている)、「証拠はない」と報道し続けた。

そして、トランプ側が、確固たる証拠を持って裁判所に訴えると、裁判所は「あなたには訴える権利がない」と言って審議することなく却下し、これをマスコミは「トランプ敗訴」と報じ、さらには、「トランプは全ての裁判で負けている」と報じ、やはり、テレビ、新聞しか見ない人は、その報道を事実と認識している。
さらに、FBI、司法省、その他の政府機関、州知事などに訴えると、揃って、「あなたの主張は傾聴に値しない」と言われるだけであった。
そして、今でも、アメリカの政府機関、アメリカのマスコミ、そして、日本のマスコミも、選挙に不正はなく、次期大統領がバイデンであると言っている。

日本の学校、社会だけでなく、民主主義を掲げ、公正をモットーとするはずのアメリカ合衆国がいまや、こんな状態なのである。
ところで、日本でも、多くの人は、理不尽な状況にあるはずである。
特に、新型コロナウイルスで深刻な状況に陥っている人には、それを実感している人は多いだろう。
当然である。日本は、理不尽がまかり通る社会になっているのである。
そして、忘れてはならないのは、全ての人に権利があることを基本にする民主主義が、今回のアメリカ大統領選挙で、アメリカから消滅する危機に直面しているのである。
もし、本当にそんなことになれば、我々も、今のような状況で済むはずがない。いや、今がまだ天国であったと思えるほどになるかもしれない。
しかし、そんなことに気付きもしない日本人が大半で(気付かないようにされているのだが)、スポーツ中継、正月番組、ドラマをのんびり見ているのである。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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