ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

芸術・哲学・神秘思想

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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願掛けは簡単な方が良い理由

引き寄せメソッドのいろいろな話をしているが、再度確認しておいた方が良いことがある。
それは、メソッドは何でも良いし、メソッドがなくても良いことだ。
私は、親や祖父母から引き寄せのやり方を教わったわけではないが、幼い時から、奇跡を頻繁に起こしていたし、それは10歳くらいの時には自覚していた。それは、感じとしては「意識を向けたものが近くに現れる」というものだった。
決ったメソッドがないということは、勝手に決めても良いわけである。
いや、決めた方が良いかもしれない。
というのは、学校やテレビを見ているうちに、引き寄せみたいなものはないという世間的思想に洗脳されていくからである。
そのままでは、いくら引き寄せの本を読んだりしても、引き寄せはないという固定観念が邪魔をして、引き寄せが出来なくなる。
固定観念を回避するには、思考を消せば良いのだが、同時に、願いの火花とでもいうものを発する必要がある。
有名なベートーヴェンの第九交響曲の、シラーの詩を合唱曲にした『歓喜に寄せて』の、「神の霊感」とか「楽園の乙女」と呼ばれるものである。

本来、子供は、思考を消し、霊感を感じることが得意なので、私のように、大人から見ればあり得ない奇跡を起こす。
だが、今の、幼い時から、どこに行くにも自動車で行き、冷暖房で暑さ寒さを知らず、また、回転寿司のように、やたら美味しいものが自動で出てくるような環境に馴染んだ子供は、大人と変わらない部分が多い。
また、精神に圧迫を受けている子供も、物質に縛られていて、世界を動かせない。

そこで、これもメソッドと言えばメソッドなのだが、極めて簡単でありながら合理性のある引き寄せ法を上げるなら、人差し指を立てることである。
禅で「一指禅」と呼ばれるもので、『無門関』の中の『倶胝竪指(ぐていじゅし)』と同じようなものだ。もちろん、そこでは、これが引き寄せメソッドというふうには言われていない。
倶胝(ぐてい)という僧は、どんな相談を受けても、指を1本立てるだけだったが、それを見ている小坊主が真似をするようになった。
それを知った倶胝は、その小坊主の人差し指を切り落とした。
あくまで禅語の作り話だが、これがどんな意味かが公案(禅の問題)になっていて、いろんな先生方がいろんな解説をしている。
まあ、誰か正解を言ったかどうかは知らないが、倶胝は「人差し指を立てることだけが良い方法ではない。何でも良い。だから、人差し指がなくても同じだ」と言っているのだろう。
たとえば、私が好きなもので言えば、「薄目をする」でも、「口元だけで微かに笑う」でも、「息を止める」でも良いのである。
米津玄師さんは『シン・ウルトラマン』のテーマ曲『M八七』で「微かに笑え、あの星のように」と美しく表現していた。
ただ、人差し指は、武道では「師匠預けの指」として使わないが、人差し指を握らず力を抜くと思考が消えることから、倶胝の師の天竜は、特にこのやり方を教えたのかもしれない。
とはいえ、何でもいいと言えば何でも良いのである。
自分が、「これが魔法の杖」と設定すれば。
たとえばだが、「チョコレートを食べれば願いが叶う」などである。何でも良いのである。
「願掛けは何でも良い」である。
「髪を伸ばせば願いが叶う」とか「嗜好品を絶てば願いが叶う(いわゆる断ち物)」というのも、実は何でも良いのである。
まあ、簡単であればあるほど良いと思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)現代語訳 無門関 禅問答四十八章 (角川ソフィア文庫)
(2)数霊のメッセージ(佐々木将人)
(3)新釈 荘子 (PHP文庫)
(4)マーフィー成功の法則100(渡部昇一)

精神集中
AIアート1217
「精神集中」
Kay

修行は本当は楽しい

修行と言ったら、嫌なイメージを持っている人が多いが、これは、テレビドラマやアニメや映画での、馬鹿げた特訓シーンが記憶にあるからだろう。
また、やはり馬鹿なのか、そんなものをベースにした学校の部活の特訓みたいなものがあり、それを、見たり、あるいは、体験した人もいると思う。
特訓アニメ、特訓ドラマは、教育委員会や文部省が称賛し推薦することがよくあった。やはり馬鹿なのだろう。
特訓なんてものが続くはずがない。
超人武道家と言われる大東流合気柔術の佐川幸義も「僕は特訓なんてしない」と言っていたようだ。
彼が弟子達に推奨し、自らも熱心に行っていた佐川流四股は、足踏みのようなもので、多少の根気は必要とするだろうが、少しも無理のある訓練ではない。
私も毎日2千回以上やっているが、シンドイことなど全くない。

引き寄せにも、修行とか訓練があり、その中には、特訓じみたものもある。
しかし、そんな特訓じみたものが続く人は、極めてわずかで、普通は、そんなものに手を出すと間違いなく挫折する。
私が聞いた、成果を上げている人の修行で最も簡単なのは、朝晩の30秒の深呼吸だ。
普通には、深呼吸なら、なんとか、食事前に3回~5回ずつでもやれば良いと思う。

ヒックス夫妻の『引き寄せの法則』では、1日10分、自分の呼吸を意識するだけという、今で言うマインドフルネス呼吸によって、高次の存在とつながることが出来るようになったのだと思う。
政木和三さんは、小学3年生くらいの時だったが、根性があったのか、腹式呼吸を毎日1時間やったらしいが、私は毎日5分ほどやっていたことがある。

各自、自分に向いたことをやれば良い。
一応、私のお薦めは「今今メソッド」だ。これは、今この瞬間を感じるというだけのもので、やり方は特にない。
最も簡単には、心の中で、「今、今、今、今、・・・」とつぶやき続ければ良い。
同じことを、エックハルト・トールは、非常に複雑に難解に書いているが、あれでは、誰もやらないし続けない。
それよりも、ただ「今、今、今」と心で唱えた方が良いと思う。

『葬送のフリーレン』という人気アニメがあるが、私は、このアニメに登場するフェルンという少女を見ていると、修行する気が湧いてくる。
彼女は魔法の天才と言われているが、何のことはない。単に、誰でも出来ることを、誰よりも長時間やっただけである。
彼女の修行の実際は分からないが、今今メソッドだと勝手に思い込んでも良いと思う。
実際、結果は同じと思う。
それに、釈迦も言ったではないか。
「修行すればフェルンはお前のものだ」
※正しくは、釈迦は従弟のアーナンダに、超絶美しい天女を見せ、「アーナンダよ、修行すれば、この天女はお前のものである」と言ったのである。

今今メソッドをやろう。
ついでに、身体に良いので、佐川流四股もやろう。
・・・と、一応推奨するが、自分の好きなことをやるように。
こう言うと、「これは修行になりますか?」と尋ねる者が時々いる。
それが修行だと自分が決めれば、それは修行である。
大切なことは、1年365日、絶対に1日も欠かさずやることだけである。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)佐川幸義 神業の合気
(2)人生が楽になる 超シンプルなさとり方(エックハルト・トール)
(3)引き寄せの法則 エイブラハムとの対話(ヒックス夫妻)
(4)葬送のフリーレン ※Amazon Prime Video

恵みの森
AIアート1216
「恵みの森」
Kay

見ていなければ月は存在しない

状況は疑えば消える。
そこで、良い状況ではなく、悪い状況・・・というか嫌な状況を疑って、嫌な状況を消すことを「マイナスを疑うメソッド」とした。
しかし、「マイナスを疑うメソッド」をやった人達からは「消えない」と言われることもある。
「嫌なやつらが消えないんです」
「お金がない状態が消えないんです」
「モテないことを疑ってもモテないんです」
こういった訴えに対する当たり前の解答は、
「消そうとしてメソッドをやっているからだ。ただ疑うだけにしないといけない」
である。
とはいえ、嫌なやつらは、どうしても消えて欲しいし、お金もどうしても欲しい。
嫌なやつらを消そうとか、お金が欲しいと、どうしても思ってしまう。

そういう人達の問題は、執着が強いということもあるが、五感を信用し過ぎているのである。
見ることも聴くことも出来ないヘレン・ケラーが「五感は幻想」、早い話が、五感で捉えられることは嘘だと分かったのだが、我々には、そこがどうしても分からない。
デカルトは「単に本当だと思えることは全て嘘だとすることに決めた」のだが、我々にはそれが出来ない。

アリストテレス以来の大論理学者と言われる数学者、哲学者であるバートラント・ラッセルは、イギリスの田舎に住む、あるお婆さんに、世界が亀の背中の上であることを、どうしても疑わせることは出来なかった。
「では、その亀の下はどうなっているのですかね?」
「あら、なかなかオツムがよろしいのね、お若いのに。でもね、亀の下はずーっと亀なのよ」
スティーブン・ホーキング博士は、我々とこのお婆さんに差はないと言ったが、それが本当であることを、ほとんどの人が認めない。
我々は、地球が自転しつつ、太陽の周りを回っていることを知っているからだ。
しかし、そんなことは教科書で教わったに過ぎない。
我々は、地球が止まっていることを、本当は疑っていない。本当は地球は静止していると思っているはずだ。
我々は、五感を信用している。
嫌なあいつがそこにいること、お金がないこと、モテないことを信じてしまっていて、本当に疑うことは出来ない。

ガリレイは言ったらしい。「それでも地球は動く」と。
インドの詩聖タゴールは言ったらしい。「見ていなければ月は存在しない」と。

このことが本当に納得出来れば、世界が幻想であることが分かる。
それを分からせるために、発明家の中山正和さんの旧制中学の先生は中山さんに「道元の『正法眼蔵』の『現成公案』だけを一生読め」と言ったのだと思う。
あるいは、ラマナ・マハルシの『私は誰か?』という短い文章を読めば良い。『私は誰か?』は、『ラマナ・マハルシの教え』『あるがままに』に収録されている。

私の場合、漫画の『天動のシンギュラリティ』で、香々地アイリスが、「それでも地球は動く」とイタリア語で言う場面を思い出しながら、「それでも地球は動く」と思う。彼女はタイプだからね(笑)。
あるいは、「私が見ていなければ月は存在していない」と唱える。

コリン・ウィルソンによれば、人類は少なくとも3千年は騙されてきたのだ。
そのくらいはやっても良いと思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)現代訳 正法眼蔵(禅文化学院)
(2)天動のシンギュラリティ(1)
(3)ラマナ・マハルシの教え(山尾三省訳)
(4)あるがままに ― ラマナ・マハルシの教え
(5)方法序説 (デカルト)
(6)オプティミスト(ヘレン・ケラー)

忘却の夏
AIアート1215
「忘却の夏」
Kay

そいつが死んでも恨み続けるか?

存在を疑えば、それは存在を失う。
よって、嫌な状況を疑えば、その嫌な状況は消える。
ただし、良い状況だって、疑えばやはり消える。

疑えば消えるということについて、興味深いと思われる話をする。
たとえば、会社で、嫌な上司や同僚が居るといった場合である。
これも、「この上司、本当に居るのか?」と疑えば消えてしまう。
ただ、こんな場合がある。
ある若い社員が、自分の上司が嫌で仕方がなかった。
その理由を聞くと、
「理由がある遅刻でもねちねち説教するし、仕事中、ちょっとスマホを見ただけで怒ってやめさせる」
といったものだった。
だが、理由があっても遅刻しないのが立派な社会人だし、仕事中のスマホが良いかどうかではなく、禁止されたら従うしかない。
では、この若い社員が、「この上司、本当は居ないのではないか?」と疑ったらどうなるかというと、やはり、その上司は居なくなる。

その若い社員は、疑うことで、その上司のいないパラレルワールド(並行宇宙)に移行するだけである。
私も、若い時は、本当に嫌な上司や同僚が居たが、次々と消し去ったものだった。
だが、それで明らかに起こったことは、消した上司や同僚とそっくりの者が、必ず現れることだった。
そんな、復活したような嫌な者を消しても、さらにまた現れるのである。
これは、別に、私が悪いから、天の戒めとか修行の意味で、また現れるとかではないと思う。
同じタイプの嫌な者を作り出す要因が私の中にあるのだ。
だが、何度も消すうちに、私の中の要因も消えるし、その嫌な者のおかげで、痛い目に遭いながらも経験を積むうちに、自分の欠点も消える。
ただ、嫌な相手への恨みが強いと、悪い要因が消えるのに時間がかかる。
「いや、あいつだけは、居なくなっても許せない」と思うほど嫌な者もいるかもしれない。
だが、死者は恨まないのが道理だ。
その者は、自分にとっては死者なのだ。
「確かに嫌いだが、死んでも恨むだろうか?」と思うと良いかもしれない。
それでも恨むと言うなら仕方がない。
自分が死ぬまでに、恨みを忘れることが出来るかもしれない。だが、苦労が多い人生になると思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)投影された宇宙(マイケル・タルボット)
(2)ラマナ・マハルシの教え(山尾三省訳)
(3)新装第二版 あなたはこうして成功する ~マーフィーの成功法則~(大島淳一)
(4)アシュターヴァクラ・ギーター(トーマス・バイロン)

秋風
AIアート1214
「秋風」
Kay

密教の引き寄せ

今の新興宗教にも通じるが、あらゆる国や時代に存在した密教は、仏教やキリスト教のように、悟りを開いたり、魂を救うことよりは現世利益が目的である場合が多いと思う。つまり、言ってみれば、引き寄せをいかに強力に行えるかを探求しているのである。
仏教やキリスト教の宗派の中にも、引き寄せを主眼にしたものも、昔から沢山あったと思う。
それらの密教で、長く続いているものには、かなり強力な引き寄せ法を持っているものもあるが、ほとんどの場合、その方法は門外不出である。
ジョセフ・マーフィーだって、キリスト教系の密教とも言える宗派の牧師だったし、中村天風もヨガの中の密教を学んでいたことは、講話の内容からも想像出来るのである。
霞が関書房の『ローム太霊講話集』という本には、いろいろな密教の秘法が書かれていて興味深く、良いと思うものを取り入れれば益があると思う。

いろんな密教の中から、特に準備なく、誰でも出来るものを説明する。
誰にでも、「妙に懐かしい」と思う場所がある。
その場所のことを思うと、胸がかきむしられるような強いノスタルジー(旅愁)を感じるような場所である。
それは、多くの場合、幼い時を過ごした家とか、幼い時に通った学校のようなものであるが、想像上の場所である場合もある。
二コラ・テスラの場合は、空想と言える村のような場所であったようだ。
それほど強い感情が起こるわけではなくとも、そんな「妙に懐かしい」場所が1つや2つはあるだろう。
どうしても思い浮かばないなら、小学生の時の通学路といったように、子供の時の記憶にある場所で懐かしく思う場所を思い出すと良い。
落ち着いた気分の時に、想像の中で、そんな場所に入っていくのである。記憶にある昔の光景である。
その光景に入り込むことが出来れば、肉体は現世にありながら、意識は異次元に居るのである。
完全にその光景に入り込まなくても、入り込む度合いに応じて、異次元世界に入っている。
異次元と言うよりは高次元である。
意識がそこにある時は、普段と比べ、物質的制約が少なく、魂の力が発揮され、簡単に言えば、あらゆる引き寄せメソッドの効果は数倍から数千倍にもなる。
記憶や想像の場所ではなく、絵の中に入り込むという方法もあるが、起こることは同じである。
当然ながら、その絵は、是非、入り込みたいと思うような絵であることが必要だろう。別に小さな絵でも構わないし、モノクロでも良いだろう。
好ましい絵を見て、恍惚としたり、気分が高揚している時には、ある程度はその絵の中に入り込んでいる。それを意図的に行う(入り込む)のである。
以上は、密教の中で行われている、割と一般的な方法で、間違いなく効果があると思う。
高次元世界では、17歳くらいに若返ったり、あるいは自分の好きな年齢の姿になり、また、仙人的な力や魔法を行使出来るものであるが、その感覚に馴染むと、どうせ現世は幻想のようなもの(ホログラムのようなもの)なので、現世でもそうなっていく。
やっていると、なかなか楽しいものである。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)ローム太霊講話集
(2)ニコラ・テスラ 秘密の告白(二コラ・テスラ)
(3)幸福なる人生(中村天風講演録)
(4)人類史上最大の発見(ジョセフ・マーフィー)
(5)無限供給の鍵(谷口雅春)
(6)投影された宇宙(マイケル・タルボット)

緑の瞳の少女
AIアート1213
「緑の瞳の少女」
Kay

プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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