松下幸之助さんは、「人間は運が良くないといけない」と言ったらしいが、そう言うからには、運が良くなる心構えみたいなことも言っていたと思う。
また、豊臣秀吉が重鎮を採用するような時、「お前は自分は運が良いと思うか?」と尋ね、そう思うと答えた者を取り立てたという話を見た覚えがある。
運について書かれた本は多く、多くは成功した人が書いた本で、成功とは運なしに得られないので、それなりに信憑性があるが、とはいえ、そんな人たちも、なかなか運の本質に気付いておらず、心に刺さることを書いている人は少ない。
成功者というのではないが、本当に運が良いと思えるこんな人の話がある。
『誰でも勝てる! 完全「ケンカ」マニュアル』という本に書かれていたが、戦争中、乗っていた海軍の船が米軍の魚雷で5回も沈められながら生き延びた男の話だ。
船が沈む際、何らかの板に捕まりながら沈む船の渦巻に巻き込まれないよう離れ、そこから何日も漂流する。
ほとんどの者は何もない海の広大さやサメの恐怖などで一晩持たずに死んでしまうらしいが、その中で5回も生き延びたのだから大したものだが、この話で感じるのは、運とは生命力と関係するということだ。
この男が、なぜそれほど運が良かったのかというと、この音は部類の酒好きで、どれほど厳しい状況で海に漂っていても、必ず陸に戻ってもう一度酒を飲んでやるのだと執念を燃やしていたそうだ。
この欲望による生命力を馬鹿にすることは出来ない。
成功者の運の話と違い、この話は私の心に刺さった。
ごく偶然と思える運であれば、ホームラン世界記録の王貞治さんの話も印象深い。
彼が少年時代、草野球をしていた時に、たまたまプロ野球のコーチが通りかかり、たまたま王さんを見て、話しかけようという気になり、右打ちをしていた王さんに「左で打ちなさい」と言ったのだが、王さん自身が、そのことがなかったら野球選手になっていなかったと思うと話されていたのを見た覚えがある。
マックス・ギュンターの『運とつきあう』という本では、一貫して、「成功とはたまたまである」と書かれている。
そして、ギュンターは、そのたまたまを掴む方法をなんとかひねり出してはいるが、彼自身は、その方法は「沢山の人と付き合うこと。運は人を通してやってくるから」といったような、割合平凡なことを書いている。しかし、行間を読めば、運の本質が見えるように思う。
彼が取り上げた、本当に運が良い人は皆、謙虚で欲張らない人であり、そこに幸運の秘訣があるように思える。
こんな話がある。
自分が乗っていた列車が空爆に遭ったが、生き延びた男の話だ。
まさにこの男が乗っていた車両が空爆されたのだが、彼は、たまたま、その車両から離れていた。
彼は、その車両のトイレに行ったのだが、使用中だったので、他の車両のトイレに行ったから空爆を免れたのだ。
その体験から彼は、「世の中は偶然で出来ている」と言い、自分が生き延びたのも、たまたまの偶然と思った。
そう思ったから彼は、その後の人生で大成功した。
つまり、自分には運を支配するような力はないと謙虚になったのだ。
幸運の女神は謙虚な人が好きなのかもしれない。

AIアート392
「澄んだ空気」
Kay
ダンテの『神曲』に、幸運の女神に目を止めてもらえることについて書かれていて、私は非常に感銘を受けたことだけは憶えているが、内容を憶えていない。
きっと、自分ではどうしようもないことだったからだと思う。
やはり、我々は謙虚でなければならない。謙虚であるとは、何かを敬うことであり、それはつまり、自分より高いものがあることを認めることであると思う。
また、豊臣秀吉が重鎮を採用するような時、「お前は自分は運が良いと思うか?」と尋ね、そう思うと答えた者を取り立てたという話を見た覚えがある。
運について書かれた本は多く、多くは成功した人が書いた本で、成功とは運なしに得られないので、それなりに信憑性があるが、とはいえ、そんな人たちも、なかなか運の本質に気付いておらず、心に刺さることを書いている人は少ない。
成功者というのではないが、本当に運が良いと思えるこんな人の話がある。
『誰でも勝てる! 完全「ケンカ」マニュアル』という本に書かれていたが、戦争中、乗っていた海軍の船が米軍の魚雷で5回も沈められながら生き延びた男の話だ。
船が沈む際、何らかの板に捕まりながら沈む船の渦巻に巻き込まれないよう離れ、そこから何日も漂流する。
ほとんどの者は何もない海の広大さやサメの恐怖などで一晩持たずに死んでしまうらしいが、その中で5回も生き延びたのだから大したものだが、この話で感じるのは、運とは生命力と関係するということだ。
この男が、なぜそれほど運が良かったのかというと、この音は部類の酒好きで、どれほど厳しい状況で海に漂っていても、必ず陸に戻ってもう一度酒を飲んでやるのだと執念を燃やしていたそうだ。
この欲望による生命力を馬鹿にすることは出来ない。
成功者の運の話と違い、この話は私の心に刺さった。
ごく偶然と思える運であれば、ホームラン世界記録の王貞治さんの話も印象深い。
彼が少年時代、草野球をしていた時に、たまたまプロ野球のコーチが通りかかり、たまたま王さんを見て、話しかけようという気になり、右打ちをしていた王さんに「左で打ちなさい」と言ったのだが、王さん自身が、そのことがなかったら野球選手になっていなかったと思うと話されていたのを見た覚えがある。
マックス・ギュンターの『運とつきあう』という本では、一貫して、「成功とはたまたまである」と書かれている。
そして、ギュンターは、そのたまたまを掴む方法をなんとかひねり出してはいるが、彼自身は、その方法は「沢山の人と付き合うこと。運は人を通してやってくるから」といったような、割合平凡なことを書いている。しかし、行間を読めば、運の本質が見えるように思う。
彼が取り上げた、本当に運が良い人は皆、謙虚で欲張らない人であり、そこに幸運の秘訣があるように思える。
こんな話がある。
自分が乗っていた列車が空爆に遭ったが、生き延びた男の話だ。
まさにこの男が乗っていた車両が空爆されたのだが、彼は、たまたま、その車両から離れていた。
彼は、その車両のトイレに行ったのだが、使用中だったので、他の車両のトイレに行ったから空爆を免れたのだ。
その体験から彼は、「世の中は偶然で出来ている」と言い、自分が生き延びたのも、たまたまの偶然と思った。
そう思ったから彼は、その後の人生で大成功した。
つまり、自分には運を支配するような力はないと謙虚になったのだ。
幸運の女神は謙虚な人が好きなのかもしれない。

AIアート392
「澄んだ空気」
Kay
ダンテの『神曲』に、幸運の女神に目を止めてもらえることについて書かれていて、私は非常に感銘を受けたことだけは憶えているが、内容を憶えていない。
きっと、自分ではどうしようもないことだったからだと思う。
やはり、我々は謙虚でなければならない。謙虚であるとは、何かを敬うことであり、それはつまり、自分より高いものがあることを認めることであると思う。