ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

芸術・哲学・神秘思想

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

幸運の女神に目を止められる人

松下幸之助さんは、「人間は運が良くないといけない」と言ったらしいが、そう言うからには、運が良くなる心構えみたいなことも言っていたと思う。
また、豊臣秀吉が重鎮を採用するような時、「お前は自分は運が良いと思うか?」と尋ね、そう思うと答えた者を取り立てたという話を見た覚えがある。
運について書かれた本は多く、多くは成功した人が書いた本で、成功とは運なしに得られないので、それなりに信憑性があるが、とはいえ、そんな人たちも、なかなか運の本質に気付いておらず、心に刺さることを書いている人は少ない。

成功者というのではないが、本当に運が良いと思えるこんな人の話がある。
『誰でも勝てる! 完全「ケンカ」マニュアル』という本に書かれていたが、戦争中、乗っていた海軍の船が米軍の魚雷で5回も沈められながら生き延びた男の話だ。
船が沈む際、何らかの板に捕まりながら沈む船の渦巻に巻き込まれないよう離れ、そこから何日も漂流する。
ほとんどの者は何もない海の広大さやサメの恐怖などで一晩持たずに死んでしまうらしいが、その中で5回も生き延びたのだから大したものだが、この話で感じるのは、運とは生命力と関係するということだ。
この男が、なぜそれほど運が良かったのかというと、この音は部類の酒好きで、どれほど厳しい状況で海に漂っていても、必ず陸に戻ってもう一度酒を飲んでやるのだと執念を燃やしていたそうだ。
この欲望による生命力を馬鹿にすることは出来ない。
成功者の運の話と違い、この話は私の心に刺さった。

ごく偶然と思える運であれば、ホームラン世界記録の王貞治さんの話も印象深い。
彼が少年時代、草野球をしていた時に、たまたまプロ野球のコーチが通りかかり、たまたま王さんを見て、話しかけようという気になり、右打ちをしていた王さんに「左で打ちなさい」と言ったのだが、王さん自身が、そのことがなかったら野球選手になっていなかったと思うと話されていたのを見た覚えがある。

マックス・ギュンターの『運とつきあう』という本では、一貫して、「成功とはたまたまである」と書かれている。
そして、ギュンターは、そのたまたまを掴む方法をなんとかひねり出してはいるが、彼自身は、その方法は「沢山の人と付き合うこと。運は人を通してやってくるから」といったような、割合平凡なことを書いている。しかし、行間を読めば、運の本質が見えるように思う。
彼が取り上げた、本当に運が良い人は皆、謙虚で欲張らない人であり、そこに幸運の秘訣があるように思える。

こんな話がある。
自分が乗っていた列車が空爆に遭ったが、生き延びた男の話だ。
まさにこの男が乗っていた車両が空爆されたのだが、彼は、たまたま、その車両から離れていた。
彼は、その車両のトイレに行ったのだが、使用中だったので、他の車両のトイレに行ったから空爆を免れたのだ。
その体験から彼は、「世の中は偶然で出来ている」と言い、自分が生き延びたのも、たまたまの偶然と思った。
そう思ったから彼は、その後の人生で大成功した。
つまり、自分には運を支配するような力はないと謙虚になったのだ。
幸運の女神は謙虚な人が好きなのかもしれない。

澄んだ空気
AIアート392
「澄んだ空気」
Kay


ダンテの『神曲』に、幸運の女神に目を止めてもらえることについて書かれていて、私は非常に感銘を受けたことだけは憶えているが、内容を憶えていない。
きっと、自分ではどうしようもないことだったからだと思う。
やはり、我々は謙虚でなければならない。謙虚であるとは、何かを敬うことであり、それはつまり、自分より高いものがあることを認めることであると思う。








賢者達に見る引き寄せの秘訣

オールコットの『若草物語(原題:Little Women)』は、全く知らない人は少ないと思うが、インターネットもスマートフォンもYouTubeもなかった昭和の時代には、日本でも少女の愛読者が多く、四姉妹それぞれにファンがいたようだ。
次女のジョーが一番人気と思うが、長女マーガレット(メグ)も支持者が多かったと思う。
また、3女エリザベス(ベス)も、抜群の性格の良さから好感度が高かったが、わがままな末娘エイミーだって、体罰を受けながらも教師を睨み付けるあたりは新時代的だ(母親のマーチ夫人は体罰に敢然と抗議した。ちなみにその体罰は手のひらを鞭で打つことだった)。
私は高校生の時、気まぐれで『若草物語』を通読したが、最も印象に残っているのは、あまり裕福とは言えないマーチ家の母親であるマーチ夫人の次の言葉だ。
「足りない目くらいが丁度いいのよ」
スティーブ・ジョブズとなれば、ハングリー(全く足りない)のが良いとしたが、まあ、本当に「足りない目」くらいが良いかもしれず、少なくとも、あまりに若いうちから十分にあるのは、あまり良くないかもしれない。

お金が十分にあると、精神的なことに意識が向かなくなりがちで、まして、神秘に興味がなくなることが多い。
神秘など不要と思う人もいるかもしれないが、20世紀最大の詩人と言われたW.B.イェイツが言ったように、神秘を信じない人間は想像力が乏しいのだと思う。
そして、確かに、お金が出来るほど、想像力がなくなるのであると思う。
アインシュタインが言ったように、知識よりも想像力が大切である。
そして、アインシュタインはお金に執着が全くなかった。
アインシュタインがアメリカに亡命した時(1930年代)、プリンストン高等研究所ではアインシュタインを年棒2万ドルで迎えようとしたが、アインシュタインに希望を聞くと「千ドル」と言う。あまりの安さに担当者が驚くと、アインシュタインはもっと驚き「いえ、500でもいいです」と言ったそうだ。
そして、アインシュタインは収入を誰とでもおおらかに分かち合った。

水の妖精ウンディーネ
AIアート391
「水の妖精ウンディーネ」
Kay


もちろん、お金は十分に引き寄せるべきである。
しかし、歴代大統領を影で動かし、投資で莫大な利益も上げたバーナード・バルークに成功の秘訣を尋ねると、元々誠実な彼は「欲張らないことだ」と答えた。
引き寄せの秘訣もこれであると思う。
深呼吸をしっかりしていれば、必要なだけは十分に得られるが、不要なものを求めると、(せっかく深呼吸で消えた)思考が起こり、運も逃げていくだろう。








深呼吸による神秘体験

最高の目標を持てば、他のことはどうでも良くなる。
たとえば、こんな例がある。
釈迦と、彼の従弟のアーナンダの逸話だ。
アーナンダは結婚を控えていた。
相手は16歳のそれは素晴らしい美少女だった。
アーナンダは喜びに満ち、婚姻の日を心待ちにしていた。
だが、釈迦はアーナンダに言う。
「今が一番嬉しい時だろう。だが、彼女を得た時には詐欺に遭ったと感じるだろう」
アーナンダは、いくら釈迦とはいえ、酷いことを言うと思い苛立った。
さらに釈迦は言う。
「安物の宝のことなど忘れ、修行に励め。そうすれば本物の宝を得る」
つまり、結婚などやめて修行しろと言うのである。
当然、アーナンダは「そんなこと出来ませんよ」と拒否する。
すると釈迦は、神通力でアーナンダを雪が降るヒマラヤ山中に連れて行く。本当に連れて行ったのか、幻影を見せたのかは分からないが。
そこで釈迦は、一匹の年老いた雌猿を見せた。
毛並みはボロボロで醜く、皮は爛れ、哀れな姿であった。
釈迦はアーナンダに問う。
「お前の妻になる女と、この雌猿では、どちらが美しいか?」
アーナンダは憤慨し、
「私の妻に決まっています」
と激しく言う。
「そうか」
釈迦はそう言うと、今度はアーナンダを兜率天(天界)に連れて行った。
釈迦が無言で呼ぶと、天女が現れ、釈迦の前に跪(ひざまず)いた。
そこでまた、釈迦はアーナンダに問う。
「お前の妻になる女と、この天女では、どちらが美しいか?」
すっかり狼狽(うろた)えたアーナンダは、
「この天女と私の妻では、私の妻とさきほどの雌猿ほどの違いがあります」
と答えた。
釈迦は言う。
「アーナンダよ。修行すれば、この天女はお前のものである」
アーナンダは結婚をやめ、修行に打ち込んだが、やがて天女のことも忘れた。

妖(あやかし)
AIアート389
「妖(あやかし)」
Kay


具体的に、そのような高い目標が示されればありがたいことだろう。
だが、文豪と呼ばれるほどの文学者や抜きん出た芸術家には、アーナンダが天女を見た時のような神秘体験が必ずある。
ドストエフスキーの『悪霊』で、キリーロフが言う。
「この五秒間のためなら、ぼくの全人生を投げ出しても惜しくはない」
ドストエフスキーは『白痴』でも、ムイシュキン侯爵に、これと似た体験について語らせていると思う。
この神秘体験の起こし方や、あるいは、そのヒントについて述べる芸術家も稀にいるが、なかなか分かり難い。
自己啓発家の言うことなら、それはあくまで金儲け目的なので聞かない方が良い。
しかし、深呼吸を続けているうちに、そんな瞬間が、おそらく訪れると思う。
これまで述べた呼吸法の大きな効用がそれである。
ただし、そんな神秘体験を求めず、ただ淡々と呼吸法に励むようにしないと、なかなか訪れないものである。








一貫性など持たない

茂木健一郎さんという人気者の脳科学者がいて、彼は面白いこともよく言うのだが、ちゃんとした一流の科学者である。
その彼についてSNSで、「以前と言っていることが違う」と批判するのをよく見る。
本人も、そう言われていることは分かっているらしく、「これからも、どんどん手のひら返しをする」つまり、どんどん以前と違うことを言うぞと宣言し、これがまた批判されることがある。

以前と違うことを言うのは当たり前ではないだろうか?
他人に、ずっと同じことを言うことを期待(というか強制)する人って、傲慢と言うよりIQが低いのだと思う。
進歩するということは変化するということだ。
進歩が速く大きい人ほど、以前と言うことが違ってくるのは当たり前である。
もちろん、変えてはいけないことというのはある。
それは主に道徳的信念のようなものだが、それすら長い時間の中で変わることもある。ただ、基本的には人間の一生という期間では、それはそうそう変わるものではない。
だが、それ以外のことでは、変わる方が健全である。
アメリカ最大の賢者の1人、ラルフ・ウォルドー・エマーソンは、
「一貫性など持とうとするな。その都度、思いついたことを言え」
と、俊足で変化(つまり進歩)することを推奨している。

このブログでも、コメントで「Kayさんは以前言っていたことと違うことを言う」と文句を言う人が、ごくたまにだがいる。
そんな当たり前のことに文句を言う人を、私は相手にしない。
常に洗脳を解き、新しいことを取り入れて実験・検証し、時に成果を上げ、時に失敗する。
それでずっと同じことを言うはずがない。

ただ、私の常に変わらないスタンスは「思考を消せば不可能はない」である。
その方法論は常に研究しているので、以前言ったものの効果が1で、新しいものが1.5なら、新しいものを前面に出すが、以前言ったものが間違いであるとは限らないし、人によっては、以前言った方法の方が合っている場合もある。
私は以前はセールスマンだったが、セールスでは引き寄せの成果がはっきりするので、引き寄せの実験のやり方をよく分かっている。
実際、確かに私は、引き寄せの実験目的でセールスマンになったというのが本当なのである。

ところで、真面目で能力もあるのに、成果を出せず、あまり良くならない人がいる。
そんな人を見ると、自分流のやり方とか、自分の観念にこだわっている場合が多い。
新しい良いものを見ても「それは私のスタイルと違う」「それはイマイチ」とか言って、今の自分のやり方を通そうとする。
そんな人は、洗脳された自分の「好み」に基づいて行動するのだから、うまくいく方がおかしい。
私がそれに気付いたのもセールスの仕事のおかげである。
世界的セールスマンだった夏目志郎さんが、こんなことを著書に書かれていた。非常に重要なことである。
「私は新しい会社に入ったら、以前のやり方を捨て、その会社のやり方に従う。ところが、ノウハウを指導すると、『もっといいやり方がありますよ』と言う人が必ずいる。そんな人には、あまり見込みはない」
1つの会社で実証されてきたやり方には、必ず学ぶべきことがある。
それを拒絶するのは愚かである。
たとえ、かなり悪いノウハウであっても、やはりどこか良い部分があるはずだ。そこを学べば良いのである。

未来の花
AIアート388
「未来の花」
Kay


ちなみに、私がセールスマンを始めた頃に使った引き寄せ法は、もっぱらジョセフ・マーフィーで、その中でもアファーメーションを重んじていたが、それで新人でありながらベテランセールスマン達を押しのけてセールスコンテストで優勝した。
その後は、主にマントラ法を重視し、楽に成果を上げられるようになった。
よって、アファーメーションやマントラは、効果があると思っている。
しかし、今のところ、最も簡単確実でオールマイティな効果があるのは深呼吸で、特に、志賀一雅博士の「よかった・ありがとう呼吸」や、ヨガのクンバクや弓術の阿波研造の呼吸法を基にした「神の圧力呼吸」をお薦めしているのである。













思考が消えたらどうなるか?

呼吸法その他で思考が消えれば、その後どうするのかというと、何もしなくて良い。
すでに神のようなものなのだから。
では、その時、人間らしい心はないのかというと、そこらにあるのではないかと思う(笑)。
あまりに進み過ぎて、そんな心が全く見当たらない人というのは、食べ物を食べようとしないので、誰かが口の中に食べ物を押し込みでもしないと餓死してしまうかもしれない。そうしなくても死なないという説もあるが、私には分からない。
ラマナ・マハルシほどの人でも、ラメッシ・バルセカールによれば、少しは心が残っていたそうだ。

だから、正確には「思考がほとんど消えた状態」ということだろうが、そんな状態も含め「思考が消えた状態」とする。
我々の場合は、常時、思考が消えた状態であることは難しい。
けれども、少しの間とか、あるいは、瞬間的に思考が消えた状態になることは、そう難しいことではなく(目覚めた瞬間は大抵そうだ)、そんな時、何か閃いたら、躊躇なくそれをやろうと思うだろうから、逆らわず、そのままやれば良い。
閃くと言っても、思考がある(心がある)状態では、食べよう、飲もう、好色なことをしようなど、ロクなアイデアが浮かばないが、思考が消えている時の閃きは魂の声であり、神の声と言っても良い。

稀に、魂の声が言葉ではっきり聞こえる人がいる。
例えば、「この人と結婚しなさい」とか。
テキサスの大富豪ロス・ペローは、著書に「妻がなぜ自分と結婚してくれたのかはいまだ謎だ」と書いていたが、彼の妻は、魂の声を聴ける人だったのかもしれない。
(ペローは非常に背が低い醜男だと自分で認めている)
船井幸雄さんの奥さんは、後にご自分でそうだったと船井さんに言ったらしい。
結婚時、船井さんの奥さんは非常に若かったが、船井さんは30過ぎで頭も禿げかかっており、しかも、子持ちだったらしい。
本来なら、若いお嬢さんが、そんなオヤジと結婚するメリットは何もない。
だが、昔の日本人の女性は、そんな人が多かったのだと思う。
そうでなくなったから、結婚しない人が多くなり、結婚するとしても正しい人と結婚しないのですぐに離婚したり、離婚しないまでも良くない関係になるのだと思う。

天使降臨
AIアート387
「天使降臨」
Kay


まあ、魂の声が言葉で聞こえる場合は珍しいが、そこまででなくても、思考が消えればちゃんと分かるものである。
ある人は、催眠術の実験中、たまたま思考が消えてしまったが、その時に、絵を描こうと閃き、それに逆らわずに絵を描き始めた。
元々は絵を描いたことはない人で、最初は下手だったが、描きたいという衝動のままに描いていたら、みるみる上達し、その人は旧ソ連の人だったが、やがて、絵がクレムリン宮殿の中に展示されるほどの画家になった。

あなたも、呼吸法や腕振り運動や佐川幸義流四股で思考を消せば、良い閃きを得られると思う。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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