引き寄せでお金が入ったという話では、具体的にどんなことでお金が入ってきたかを言うことは少ない。
その理由は、私のごくざっくりとした推測で言えば、(紙の)書籍の場合は5割、YouTubeの場合は8割が作り話で、後のほとんどは、「ちょっと言い難い」ものだからだ。
つまり、本当にお金を引き寄せたとしても、危ない話とか言うのではなく、本人にしてみれば言うのは気が引けるのである。
私の場合もそうだ。
ジョセフ・マーフィーの本の場合、お金が入った経緯の大半は「仕事で昇給した」「宝くじが当たった」「もらった」だと思う。
「もらった」にしても、婚約者が豊かだったとか、親からもらったという場合がほとんどと思う。
これでは読んでいて、物凄くテンションが上がるということはないが、実際、そんなものなのだ。
私の場合、駆け出しセールスマンの時に爆売れしてコミッションを得たとか、転職で給料が爆上がりしたということもあったが、それすら、どこかもらった感じなのだ。
つまり、セールスで売れたのは、買ってくれた人からもらったようなものだし、給料が一気に上がったのも、転職先の社長にもらったように感じるのだ。
「いや、お前の実力で得たものだ」と言う人もいるかもしれないが、本人としては、そこまで自信がないと言うか、自惚れてはいないのである。
私はセールスマン時代は、沢山の強豪セールスマンの本を読んだが、住宅分野で日本一だったセールスマンが「セールスマンなんて乞食と同じ」と書いていたのが印象深い。
「俺は日本一だ」なんてプライドなどない。自分はただもらうだけの者なのだと分かっているのだ。
今は言うと支障があるかもしれないが、「坊主と乞食は3日やったらやめられない」という言葉が昔からある。
「役者と乞食は3日やったらやめられない」「医者と乞食は3日やったらやめられない」というバージョンもある。
乞食だけは全部入っている。よほど良い職業なのだろう(笑)。
ただし、たっぷりもらえる場合だけだ。
実際、金持ちの乞食というのは結構いたらしいのだ。
それでいえば、しっかり与えられているニートなら「ニートと乞食は3日やったらやめられない」になるはずだ。
信者には怒られるかもしれないが、イエスも釈迦も乞食だったと言う人は少なくない。
イエスは、「俺が病気を治してやった」とか「俺が大勢の人々に食事を与えた」とは言わない。
自分を通したかもしれないが、実際にやったのは神だと思っていた。
釈迦はもらったもので生活していたが、「俺がいいことを言うからもらうのだ」なんて決して言わなかった。
自分が乞食だと自覚すれば天が必ず与えてくれるのである。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)新装版 人生に奇跡をおこす(ジョセフ・マーフィー)
(2)心配するな、なんとかなる(無能唱元)
(3)王子と乞食(マーク・ トウェーン)
(4)さびしい乞食(北杜夫)

AIアート3230
「柔らかな肌」
Kay
その理由は、私のごくざっくりとした推測で言えば、(紙の)書籍の場合は5割、YouTubeの場合は8割が作り話で、後のほとんどは、「ちょっと言い難い」ものだからだ。
つまり、本当にお金を引き寄せたとしても、危ない話とか言うのではなく、本人にしてみれば言うのは気が引けるのである。
私の場合もそうだ。
ジョセフ・マーフィーの本の場合、お金が入った経緯の大半は「仕事で昇給した」「宝くじが当たった」「もらった」だと思う。
「もらった」にしても、婚約者が豊かだったとか、親からもらったという場合がほとんどと思う。
これでは読んでいて、物凄くテンションが上がるということはないが、実際、そんなものなのだ。
私の場合、駆け出しセールスマンの時に爆売れしてコミッションを得たとか、転職で給料が爆上がりしたということもあったが、それすら、どこかもらった感じなのだ。
つまり、セールスで売れたのは、買ってくれた人からもらったようなものだし、給料が一気に上がったのも、転職先の社長にもらったように感じるのだ。
「いや、お前の実力で得たものだ」と言う人もいるかもしれないが、本人としては、そこまで自信がないと言うか、自惚れてはいないのである。
私はセールスマン時代は、沢山の強豪セールスマンの本を読んだが、住宅分野で日本一だったセールスマンが「セールスマンなんて乞食と同じ」と書いていたのが印象深い。
「俺は日本一だ」なんてプライドなどない。自分はただもらうだけの者なのだと分かっているのだ。
今は言うと支障があるかもしれないが、「坊主と乞食は3日やったらやめられない」という言葉が昔からある。
「役者と乞食は3日やったらやめられない」「医者と乞食は3日やったらやめられない」というバージョンもある。
乞食だけは全部入っている。よほど良い職業なのだろう(笑)。
ただし、たっぷりもらえる場合だけだ。
実際、金持ちの乞食というのは結構いたらしいのだ。
それでいえば、しっかり与えられているニートなら「ニートと乞食は3日やったらやめられない」になるはずだ。
信者には怒られるかもしれないが、イエスも釈迦も乞食だったと言う人は少なくない。
イエスは、「俺が病気を治してやった」とか「俺が大勢の人々に食事を与えた」とは言わない。
自分を通したかもしれないが、実際にやったのは神だと思っていた。
釈迦はもらったもので生活していたが、「俺がいいことを言うからもらうのだ」なんて決して言わなかった。
自分が乞食だと自覚すれば天が必ず与えてくれるのである。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)新装版 人生に奇跡をおこす(ジョセフ・マーフィー)
(2)心配するな、なんとかなる(無能唱元)
(3)王子と乞食(マーク・ トウェーン)
(4)さびしい乞食(北杜夫)

AIアート3230
「柔らかな肌」
Kay




