ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

社会・教育

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

腕振り運動の改良

私は、腕振り運動を長く続けているが、元々のやり方は、関英男博士が『宇宙学序章グラビトニックス』に書かれていたやり方で、両方の手のひらを内側に向け、真っすぐに伸ばした腕を同時に後ろに振るというやり方だった。
今でも、このやり方で別に間違いはないと思う。
しかし、いろいろなやり方を試みているうちに、現在はやや違う形で行うようになった。
今、私がやっている腕振り運動の、関博士のものとの大きな違いは、腕が前にある時、肘を曲げることである。
どのくらい曲げるかは一定しないが、気楽に長い回数を行う場合は、浅く曲げ、やや気合いをいれて少ない回数やる場合は、少し強く曲げる。
これによって、腕を後ろに振るというよりは、下に鋭く振り下ろすという感じになった。
真っすぐ伸ばした腕を後ろに振る場合は、やや無理をしている感じがあり、肩や肩甲骨の負担が大きく、疲れたり、あまり回数を多くやると、肩の関節や上腕の筋を痛めることがあった。
しかし、肘を曲げて振り下ろすようにやると、楽で気持ちも良く、多い回数をやっても肩や腕を痛める心配がない。
手のひらの向きは、気にせず、自然になるようにしているが、手のひらは、真下と横向きの中間といった感じだと思う。
TRON-OSで動くTRONコンピューターのキーボードが、丁度そんなふうに、外側が下がっているが、これは、普通のキーボードのように、水平だと肘を痛める可能性があるからだそうだが、私も、このキーボードの考え方は良いと思う。よって、私の腕振り運動も、とても良いと思っている。
TRONについての余談だが、そもそも、WindowsやMAC-OSではなく、パソコンのOSはTRON-OSを採用すべきだったかもしれない。
ちなみに、産業用OSはTRON-OSが6割のシェアを持っているようだ。

私がやっている主な運動は、佐川幸義流四股、船漕ぎ運動、そして、この腕振り運動だ。
世の中では、運動と言えば、筋トレ、腕立て伏せ、腹筋運動、スクワット、ジョギング、ウォーキングが主流で、私もかつて、腕立て伏せやスクワット等を非常に熱心に行っていた。
もちろん、これら(腕立て伏せ等)の運動の効果は素晴らしい面はあるが、続けるのに根性が必要で、無理にやるとストレスが溜まり、かえって心身に悪影響を受けることがあった。やり過ぎると、身体を痛めることが多く、やや深刻な故障をしたこともあった。
だが、佐川流四股などは、楽で気持ちいいので、多少の意志力があれば続けることが出来、総合的な効果は、腕立て伏せやスクワットをはるかに超えると思う。

私は、中高年の人が、スクワットや腹筋運動をするのは、個人的には残念と思う。
そもそもが、ほとんどの人が続かないと思う。それで、結局、何の運動もしなくなる。
しかし、佐川流四股や腕振り運動なら、続けることは容易だ。
だが、日本人の観念なのか、運動はシンドくないといけないという思い込みがあるように思う。
佐川流四股や腕振り運動は、ほとんど全くシンドくない。
そして、多くの人が、大きな筋肉がつくことを最大に評価する。
筋肉も多少は必要かもしれないが、特に筋力を必要とするスポーツでもしていない限り、筋肉はそんなに必要ではなく、むしろ余分な筋肉はない方が良いと私は思う。
日本、さらには、世界中の資本主義国で、少なくとも普通の人には害になる運動が蔓延してしまっているように私は思う。そんな運動だけが普及することで儲けている者がいるのだろう。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)超訳甩手功(スワイショウ、うで振り)
(2)佐川幸義 神業の合気 ※佐川流四股の一種が紹介されている
(3)月刊 秘伝 2022年 03月号 [雑誌] ※佐川流四股の一種が詳しく紹介されている
(4)四股鍛錬で作る達人 ※佐川流四股の一種が詳しく解説されている

息の力
AIアート1547
「息の力」
Kay

脳の中にある神様の能力のコピーを使うには

1995年あたりの『新世紀エヴァンゲリオン』というアニメの中で、「神様を拾って大喜びした」みたいなセリフがあったように思う。
また、どの宗教だったか忘れたが、「彼は神様を探しに行って、神様になって戻ってきた」という言葉があるらしい。
だが、拾ったりなったりしなくても、人間の脳の中には、神様の能力のコピーが収められているようなのだ。

動物や虫の脳や神経系の中にも、人間のものより小さな、つまり、機能限定されたものだが、神様の能力のコピーがあり、知覚に頼らずにエサを見つけたり、鳥や蝶の中には、絶妙な正確さで渡りをする種がある。
ただ、動物は、その力を使ってエサを見つけて狩るが、その力で狩られもする。それで、狩られて食べられることも、結構気持ちいいらしい。
だが、より大きな神様の能力を持った人間は、狩られて食べられるようには出来ていないようだ。「ライオンに食べられることを考えるとワクワクする」ということはない。

動物は、神様の能力は小さいながら、その能力は常時稼働していて、不思議な知恵がある。
人間は、神様の能力は大きいが、普段は、その能力はあまり稼働していない。思考が、その能力の発揮を妨げるのだ。
また、本能も、神様の能力の発揮を妨げるらしく、動物だって、エサにつられて容易く罠にかかる。
人間も、美味しい食べ物に夢中になれば堕落し、ハニートラップにも簡単に引っかかる。
一方で、『シートン動物記』で、おそらく最も有名な狼王ロボのように、本能に支配されなければ、狼だって人間以上の知恵を発揮することもある。

水野南北が、「大食だと不運、少食だと幸運。この法則には、万に一つの外れもなかった」と言うが、肝心なことは、自然に少食が出来ることで、無理に食べない状態では、さほどの効果はない。
自然に少食になるにはどうすれば良いかと言うと、食べ物のことを考えないことだ。
性欲に支配されないためには、エロいことを考えなければ良い。
つまり、これらのことも含め、考えなければ、神様の力は常時発動する。

そして、面倒なことは一切言わない。
神様の能力を発動させるのに必要な、思考を消すための鍵は呼吸数で、呼吸数が少ないほど、脳の中の神様の能力のコピーが働く。
霊能者の中には、呼吸の静かさを重視する者もいるが、普通の人の場合は、呼吸数を意識する方が良いと思う。
そもそも、力ある霊能者は2分に1回も呼吸しないことが多いので、あまり普通人の常識が当てはまらない。
呼吸数で、私が言う真IQが分かる。

真IQ = 100 + (15 - 1分間の呼吸数) x 3

である。
1分で1回の呼吸数より少ない場合は、

真IQ = 142 + (60 - 1時間の呼吸数) x 3

で、1分1回の呼吸数の場合、どちらの式でもIQ142となる。
尚、将来は、この式は変わる。
一般科学的にはナンセンスと思われるかもしれないが、光速は変化しており、この式の定数も光速に影響されて変化するが、当面の光速の変化では、影響はないと思う。

呼吸数を下げるための、様々な修行がある。
たとえば、息を十分に吸い、微かな声で般若心経の呪文、
「ガテーガテーパーラガテー、パーラサンガテー、ボーディスヴァーハー」
を連続して唱える。
これで、普段、1分間の呼吸数が12回の人も、5回くらいになる。
この修行を定期的にやれば、呼吸数が減っていく。
他にも、「アジマリカン」(神道の呪文)や、「オン、アロリキャソワカ」(観世音菩薩の真言)など、様々なものが使われ、インドでは、「ラーマ」「クリシュナ」といった神様の名前も使われ、日本で言えば「南無阿弥陀仏」「南無観世音菩薩」といった念仏が使われることも多い。

方法は様々で、TM(超越瞑想)では、頭の中で意味のない言葉(マントラ)を繰り返すことで思考を止め、それで呼吸数が自然に下がるという方式を取っているのだと思うが、向かない人も多いと思う。
志賀一雅博士は、「よかった」と思いながら吸い、「ありがとう」と思いながら吐くことで脳波がアルファー波になると言うが、単に、呼吸数が下がるので脳波がアルファー波になるというのが本当ではないかと思う。
とはいえ、好きな方法を取れば良いのである。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)シートン動物記 オオカミ王ロボ
(2)誰がかまうもんか?!(ラメッシ・バルセカール)
(3)修身録(水野南北)
(4)ナーマスマラナ(サティヤ・サイババ)
(5)岡田式静坐の道(柳田誠二郎)
(6)強くなる瞑想法(無能唱元)

静かな夜
AIアート1546
「静かな夜」
Kay

あなたは確実にレベルアップする件

『シンデレラ』というお話は、なぜ人気があるのか?
それは、「シンデレラ・ストーリー」という言葉が示す通り、どん底(底辺)から絶頂(頂点)への大逆転という、凡人の憧れを描いているからだ。
ごく幼い時は、自分の立場に疑問を持たないが、少し世の中を理解出来るようになると、自分があまり良い位置にいないことが分かってくる。
まして、トップクラスの人達を見れば、子供ですら、自分など底辺であると薄々感じるのである。
そんな時に、『シンデレラ』の物語を知ると、「自分も頂点に」と思う・・・それが人間の性質だ。

『シンデレラ』が希望になるのは、子供の間・・・心が幼い時代だけである。
なぜなら、シンデレラの武器は美しいということだけだからだ。
幼い間は、誰もが、自分は美人だと思っている。男の子であれば、自分は偉いとか強いと思っている。
なぜなら、家の中では「可愛い」「凄い」ともてはやされるからだ。
しかし、大人になるにつれ、自分はさして美人でない、あるいは、ブスだと分かり、男の子も、自分のスペックは大したことがないと思い知らされる。
大人になっても、自分が美人だとか、偉いとか思うのは精神的幼児だけだ。

現実の世の中で、頂点に行こうと思ったら努力しなければならない。
しかし、自分は才能がなく、努力しても報われない、あるいは、努力すら出来ない。
『シンデレラ』のお話は子供のおとぎ話として捨て去られる。

アニメ『俺だけレベルアップな件(Solo Leveling)』も、シンデレラ・ストーリーの1つだ。
しかし、底辺から頂点に立った時に感じると視聴者が想像させられる気分の良さは桁外れだ。
それを感じさせるストーリーのうまさが半端ない。
つまり、水篠旬の底辺時代の惨めさ哀れさを徹底的に効果的に描くと共に、頂点にいる人達・・・向坂雫(こうさかしずく)、最上真(もがみしん)、白川 大虎(しらかわたいが)らを、輝かしく華やかに描き、旬との「差の大きさ」を視聴者に痛感させ、それを逆転した時のトキメキを感じさせるのだ。
そして、その周辺のストーリーも高度で妥協がない。
ストーリーが濃密なので、アニメ化してもテンポが速く心地良い。
私が、ほとんどのアニメを見なくなる理由が、そのテンポの遅さだ。中身がないと、そんなふうになってしまう。
『俺だけレベルアップな件』は、1話で他のアニメの3話分に十分相当する。
まさに、娯楽小説の天才が作った作品だと思う。

ところで、重要なことを言う。
『俺だけレベルアップな件』、それに、包括的には『シンデレラ』は、おとぎ話に過ぎないわけではない。
それには、もっとマルチバース(多元宇宙)的に考えなければならない。
だが、そもそもが、「レベルアップ」こそ、この世の法則であり、物理法則ですらある。
今、量子コンピュータで脚光を浴びる研究者で物理学者の藤井啓祐(ふじいけいすけ)博士が、京都大学の学生だった時に、工学部ながらも量子力学に興味を持ったのが、量子世界のレベルアップ現象に惹き付けられたかららしい。

引き寄せにおいても、アメリカの作家チン・ニンチュウが、量子飛躍という不思議なレベルアップ現象を参考に成功した実業家の話を紹介している。
『俺だけレベルアップな件』や『シンデレラ』の、どん底(底辺)から絶頂(頂点)への大逆転を我々は掴むことが出来る。
なぜなら、何度も述べたが、神様の能力のコピーが我々に組み込まれているのだからだ。
それを作動させる方法も述べた。
あなたも、「俺だけは」レベルアップすべきである。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)ペロー童話集(シャルル・ペロー) ※私の愛読書
(2)誰でも小さなことで大切な願いがかなえられる(チン・ニンチュウ) ※本当に良い引き寄せ本は絶版になる見本
(3)俺だけレベルアップな件 ※Amazon Prime Video
(4)驚異の量子コンピュータ(藤井啓祐)

待ち合わせ
AIアート1545
「待ち合わせ」
Kay

絶対的な力

手塚治虫さんの『ザ・クレーター』という短編集の中に『巴の面』という話がある。
その中で、美人とかブスというのは相対的なものだということが面白く描かれている。
現代(作品が描かれた1970年頃)の美人の外見が、21世紀の若者には見向きもされず、21世紀の若者がもてはやす美人の外見は、1970年頃の美的感覚の者には奇怪としか思えない。
戦国時代、醜かったことで悲惨な生涯を送った女性がいたが、彼女も21世紀では美人として注目を集めたかもしれないということが、ドラマチックに描かれていて、とても面白い。
2400年以上も前に、荘子は、あらゆるものは相対的で、完成と見えることも異なる見地からは破壊となり、破壊と見えることも他方からは完成と見えることもあると説いていた。善と悪ですらそうであるのだと。
また、やはり1970年頃の梶原一騎原作の漫画『ジャイアント台風』で、力道山がジャイアント馬場に「馬場よ、自分の考え方だけで人を善人、悪人と決めつけては駄目だ」と言う。
アメリカで日本人差別を受け、不利な状態での試合をプロモーター(興行主)に強いられていた馬場にとって、プロモーターは悪人だが、それでお客さんを喜ばせるプロモーターは、お客さんにとっては善人である・・・という、やや極端な理屈ではあるが、一般的に言っても、善人悪人の判断は確かに難しく、一方的であってはならないということは言えると思う。

30周年を記念して、CLAMP(4人組の漫画家ユニット)の漫画作品『魔法騎士レイアース』の新アニメ化の話が上がっているが、CLAMPはこの作品で「この世に絶対的悪、絶対的正義はないということを描いた」といったことを、何かのインタビューで言っていたと思う。
セフィーロという世界(マルチバースの中の1つの宇宙と思われる)を滅ぼそうとしていた悪であるザガートを、正義のマジックナイト達が倒すのだが、実はザガートはメタ(超越的した。高次の)的には善であったかもしれないというもので、それ以前の漫画、アニメ、あるいは、物語というものの概念を変えた・・・少なくとも挑戦した作品と言えると思う。

だが、相対的という言葉で最も有名なアインシュタインは、全ては相対的であるが、唯一、光速だけは絶対であるとし、それは定説となっている。
それと同じくらいの確信を持って、「全ては相対的だが、愛は絶対だ」と言う者がいる。それはそうかもしれないが、ほとんどの人にとって、愛とは愛情のことで、愛情ほど相対的なものはない。「愛は絶対だ」と言う者ほど、愛と愛情を混同していて、それが世界の混乱を引き起こしているように思える。わが子を愛していると言う者は、他の子を容易く憎む。それは愛情であって、愛ではない。しかし、それを理解しない者が多い。

人間の真の能力・・・筋力や学力といった目に見えるものだけでなく、直観、引き寄せなどまでを含めた能力を示す絶対的指標があるのかというと、『パワーかフォースか』の中でデヴィッド.R.ホーキンズ博士のキネシオロジーという、人間を1000点満点で評価する方法があるらしいが、とても難しいものだ。
しかし、かなり正確なものとして、呼吸数があると私は思う。
呼吸数が少ないほど優秀である。馬鹿げているように思えるかもしれないが、これがほとんど間違いがないのである。
普段から、静かで長い呼吸を心がければ、それが修行になり、呼吸数は少なくなる。
なぜそれで力が上がるかの理論は何度も示したが、大切なのは実践で、実践をすれば自ずと分かると思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)新釈 荘子 (PHP文庫)
(2)ザ・クレーター 2(手塚治虫)
(3)魔法騎士レイアース(1)(CLAMP)
(4)ジャイアント台風1(梶原一騎。辻なおき)
(5)パワーかフォースか(デヴィッド・R・ホーキンズ)

小さな観客
AIアート1544
「小さな観客」
Kay

『劇場版プロジェクトセカイ 壊れたセカイと歌えないミク』を観ました

今日、『劇場版プロジェクトセカイ 壊れたセカイと歌えないミク』を観てきた。
初音ミクら、クリプトン・フューチャー・メディアのボーカロイドや、スマートフォンゲーム「プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク」に登場する、星乃 一歌らのキャラクターが登場する、オリジナルストーリーの映画と言って良いと思う。

この映画は、先月(2025年2月)18日に興行収入が10億円を突破したという。
初音ミクと「プロジェクトセカイ」ゲームの人気を考えれば、あり得た話だが、私は、映画で10億円といったら驚く理由がある。
私が、これ以前に観た映画は、イギリス・アメリカ・フランス合作の2004年の映画『サンダーバード』で、あの『サンダーバード』の実写映画である。当時最新の特撮技術を使った、本格的なSF作品であり、最初から、「サンダーバード」のネームバリューが味方をするというアドバンテージを持っていたに関わらず、5700万ドルの製作費をかけながら、興行収入はわずか2800万ドル(当時で30億円程度か)で、日本国内においては、そこそこ良かったが、それでも10億円であった。当時は今ほどインフラ面でもサービス面でも、インターネットのエンターテインメントは普及しておらず、映画の興行収入を上げ易かったのではないかと思うが、10億円止まりであった。
私は、この『サンダーバード』の映画は、なかなか良かったと思っており、なぜそんなに人気がなかったのか不思議だ。
映画『サンダーバード』は、続編や、さらにその続編(全4作の予定という情報も見たことがある)の製作も予定されていたらしいが、その計画も消滅してしまった。
その『サンダーバード』の興行収入に、2か月で追いついたわけである。

『劇場版プロジェクトセカイ 壊れたセカイと歌えないミク』は、まず映像の美しさが印象的で、初音ミクらキャラクターのビジュアル、動作が本当にとても美しい。それだけでも見ていて楽しい。
初音ミクはもちろん、プロジェクトセカイの本分であるサウンドも、ボーカロイド、人間共、高水準であったと思う。
ストーリーに関しては、観る人次第と言うしかない。
マルチバース(多元宇宙論)、パラレルワールド(並行宇宙)の概念を取り入れたアニメ、漫画、小説作品は、今や珍しくないが、この作品もその1つである。
マルチバースは、各人がそれぞれの世界を持つとも、複数の人の精神が融合した世界が生まれるとも言われる。
それで、それぞれの想いが、どんな世界に結実するかというところにストーリーが生まれるが、自身は心を持たない初音ミクが、どんな世界を作り、それが人々の心にどんな影響を与えるかが重要なのだろう。
そんな理屈はいわなくても、直観的にそんな雰囲気が感じられると思う。

だが、私が、この映画を見る人、さらには、映画の登場人物に言いたいことは、『葬送のフリーレン』でユーベルが言ったように、
「皆、頭を使い過ぎるんだよ」
だ。
皆、物質主義の世界に飲み込まれ、考え過ぎている。それが、この世界を壊す原因だ。
考えることをやめ、人間の脳にインストールされた神様の能力のコピーにまかせてしまえば良いということは、これまで何度も書いた。
そのやり方を、少しでもよく理解すれば良いのだと思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)考えて仕方があること・仕方がないこ(中山正和)
(2)投影された宇宙(マイケル・タルボット)
(3)タフティ・ザ・プリーステス(ヴァジム・ゼランド)
(4)サンダーバード(2004) [Blu-ray]

移動映画館
AIアート1543
「移動映画館」
Kay

プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
Kay Twitter Home

執筆のご依頼




最新コメント


月別アーカイブ
記事検索
ブログバナー&Mail


メールはこちらへ

PV since 2010/09/08
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

人気ランキング参加中
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ひきこもりへ


タグクラウド
QRコード
QRコード