ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

社会・教育

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

宇宙の支配者

地球上で生命が生まれ、今日まで進化した原因は、最も権威ある見解では「偶然」だ。
しかし、その偶然は、よくこんな話に喩えられる。
腕時計をバラバラに分解して、その全ての部品を、水が入った大きなプールに放り込んでプールをかき回したら、偶然に元の腕時計が組み立てられる可能性よりも低い。
あるいは、猿がデタラメに紙にインクをなすり付けたら、素晴らしい文学や百科事典が出来上がる可能性より低い。
いずれも、可能性は完全にはゼロではないかもしれないが、それを頭の中でシミュレートすると・・・フラフラするところまで行くなら大したものだ。

『美少女戦士セーラームーン』という漫画・アニメがあったが、14歳の少女が喋る猫からブローチをもらい、「ムーンプリズムパワー、メイクアップ」と唱えるとセーラームーンに変身する。
なぜそんなことが起こるのか、その変身のシステムを作ったのは誰なのかは、いまだ明かされていない。
漫画の方では、セーラームーンは、究極のセーラームーンであるセーラーコスモスに進化するが、なぜそんなことが起こるのかは説明されない。
しかし、背後に必ず、それを司る(支配する)者がいるはずなのだ。
私は、それが何者かをずっと考えていた。

世界の背後にいて、世界を生成し運営する者を仮に支配者と言うなら、支配者の目的は何だろう?
ただの娯楽、趣味、遊びなのか、何か目的があるのだろうか?
あるとしても、それは我々には理解出来ない可能性が高い。

『エリート』(平井和正原作。桑田次郎漫画)という漫画で、宇宙最古の生命体アルゴールが、中学2年生の少年、竜太郎、アメリカ人の赤ん坊ジョン、そして、西洋人の犯罪者エルケーニッヒ・ダンガーの前に現れ、この3人の能力の制限を外し、人間本来の力を発揮出来る超人にする。
アルゴールは、その後、一切手出しせず、3人に好きなようにやらせる。
3人のうち、ダンガーは、超人に覚醒した力で世界征服を目指し、アルゴールに向かっても「俺はお前を超える」と宣言する。元気なオッサンだ(笑)。しかし、アルゴールは何も言い返さない。
そして、竜太郎とジョンは、ダンガーを倒し、ダンガーの野望を阻止しようとする。
だが、ジョンは竜太郎から去り、竜太郎とダンガーの戦いに興味を示さなくなる。早い話が、どうでもよくなったのだろう。

実際に世界は、アルゴールのような支配者によって運営されているのだろう。
いや、もう自動操縦モードになっていて、支配者は関与していないかもしれない。
その中で、人類の中の賢い人達は、この世界のシステムのごく一部を解明し、ほんの少しでも、その動かし方を知った。
『禁断の惑星』(1956)で、アルテア第4惑星の極度に進化したクレル人が残したテクノロジーを、モービアス博士がほんの少し解明し、役立てたことが、それに似ている。
我々も同じようにやれば良い。
求めれば、ヒントはあらゆる場所で見つけられる。
今朝も書いたが、そのためにSFを読むと良いと思う。

ただ、その中で、エマーソンの詩を思い出すと良いかもしれない。

私は世界の所有者、
七つの星と太陽年の所有者、
シーザーの手腕、プラトンの頭脳の所有者、
主キリストの愛、シェイクスピアの詩の所有者

つまり、自分が支配者なのである。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)エリート(1)(平井和正。桑田次郎)
(2)禁断の惑星 [DVD]
(3)精神について(ラルフ・ウォルドー・エマソン)
(4)銀河ヒッチハイク・ガイド ~銀河ヒッチハイク・ガイドシリーズ1~(ダグラス・アダムス)
(5)銀河パトロール隊 ~レンズマン・シリーズ1~(E.E.スミス)

どこかの誰か
AIアート1943
「どこかの誰か」
Kay

SFのすゝめ

日本人の、引き寄せにおける欠点と言うより「欠陥」は、神という言葉に抵抗があることだ。
これは、本当に深刻であると思う。
日本人は、真面目に、神とか仏と言うのが恥ずかしく、真面目な顔で言う者は「頭がおかしなやつ」と思われる。
そうではないだろうか?
そして、なぜそうなったのかというと、第二次世界大戦直後、GHQ(General Headquarters:連合国軍最高司令官総司令部)が、日本人の宗教を禁じたからだ。
こう言うと、「いや、新渡戸稲造が明治時代に、『日本に宗教はないが武士道あり』として、英語で『武士道』を書いている」と言う人もいるだろうが、武士にだって、儒教や神道、仏教といった宗教はあった。だが、日本人の信仰の仕方が、西洋人には宗教に見えなかったので、西洋人に日本独自の精神文明を説明するために、新渡戸は『武士道』を書いたように思える。

時々、宗教を取り上げられた日本人は、お金を神のように崇めるようになったと言う者がいるが、そうではない。庶民は、お金には弱いが、お金が嫌いだという面もある。
そうではなく、戦前よりずっと前から、欧米では、宗教を取り上げられた庶民は権力者を崇めることが分かっていたのだ。
それで、日本人は、権力者、すわなち政治家を、自分達が選んでいるという意識が希薄で、自民党に票を入れるか、選挙に行かないという者が多いのである。
欧米でも、庶民はかなり宗教を取り上げられていて、熱心に信仰する者はあまりいないし、そもそもが宗教界自体が、伝統化権威化して腐っているのである。

日本でも欧米でも、庶民においては、宗教は実質的になく、崇めるべき権力者も嫌いだから新興宗教に走るところは同じである。
そして、信仰がないと引き寄せって出来ないのだ。
なぜなら、信仰がないと、物理的に確認出来ない引き寄せの力が信じられないからだ。
つまり、引き寄せの力を「神の力」として信じられたら、千倍も引き寄せを信じ易いのだ。
イーロン・マスクは庶民だったが、子供の時に、ダグラス・アダムスの『銀河ヒッチハイク・ガイド』を読み、頭が良かったこともあるだろうが、たまたま壮大な宗教的ビジョンを得て、「見えない力」を信じてしまったのだと思うのだ。

私の場合、E.E.スミスの『銀河パトロール隊』を読み、それに登場するアリシア人に神のイメージを見たことで引き寄せが出来るようになったが、イーロン・マスクのように悲惨な目に遭ったことがなく、反発心がそれほどでないので、彼のような無茶はやらないが、働かずに贅沢するくらいは出来るのである。金は持ち過ぎると税務署が恐いということも実際に経験したので、あまり持たないようにしている。そもそも、車もファッションもグルメも好きでない私は、それほど金を必要としない。
SFって、案外に神のイメージの宝庫なので、アメリカのビッグテック(巨大テクノロジー企業)創業者はじめ、成功者にはSF好きが多いのである。
皆もSFを読もう。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)銀河ヒッチハイク・ガイド ~銀河ヒッチハイク・ガイドシリーズ1~(ダグラス・アダムス)
(2)銀河パトロール隊 ~レンズマン・シリーズ1~(E.E.スミス)
(3)月は無慈悲な夜の女王(ロバート A ハインライン)
(4)ファウンデーション 銀河帝国興亡史(アイザック・アシモフ)
(5)俺だけレベルアップな件 1 ※カラー漫画

夢見
AIアート1942
「夢見」
Kay

隠し呪文

旧約聖書の中で、イスラエルの民族指導者で預言者として知られるモーセに、神が名乗った言葉、
「エヘイェ・アシェル・エヘイェ」
は、
「I AM THAT I AM.」
と英訳するのが定番となってしまったようだ。
これは、イングランド王ジェームズ一世の命令で翻訳された「欽定訳聖書(ジェームズ王訳聖書)」で、そう訳されたからと思われる。
この英訳は、日本語訳では、
「私は、私は在るという者である」
「私は、在りて在る者である」
などと訳され、だいたいこんな感じのものが定番となっているが、こんな日本語があるはずがない。

W.E.バトラーの『魔法入門』の中で、バトラーは、あるヘブライ語学者の、
「 I Am The Ever-Becoming」
が、最も正しいのではないかと述べている。
これを、翻訳者の大沼忠弘氏は、
「われはつねに生成する者なり」
と訳している。
私の、幼い時からの経験的直観によれば、私もこれが最も腑に落ちる。

私はYouTubeで見たのだが、かつて、2ちゃんる掲示板で「生徒会長」を名乗る女性が、アファーメーションの冒頭句を、
「私は世界を作っている神である」
としていたが、これがまさに「エヘイェ・アシェル・エヘイェ」の意味ではないかと思う。
これは、私の経験や直観からなる主観であるが、ほぼ間違いないと思う。
私には「I AM THAT I AM」や「私は在りて在るものである」は、単に変な訳としか思えない。

もちろん、自我としての私が、
「私は世界を作っている神である」
と言えば、本来、間違いなのであるが、そう唱えていれば、内側の神が心に浸透し、心が神に浸透すると思う。
それが、エマーソンが言った、「神の魂が私の魂の中に入り込み、私の魂が神の魂の中に入りこむ。その瞬間は忘れられない」ということと思う。
密かに保持する隠し呪文として使えばどうかと思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)ラマナ・マハルシとの対話 第一巻
(2)宇宙一わかりやすい「量子力学」大全(田畑誠)
(3)マーフィーの「超」能力(ジョセフ・マーフィー)

天使の出現
AIアート1941
「天使の出現」
Kay

引き寄せを簡単にする意外なもの

日本人は、神とか仏というと、おとぎ話っぽく感じてしまい、大の大人が真面目に神とか仏のことを話すのは恥ずかしかったり、幼稚になったように感じるのである。
これは、第二次世界大戦直後のアメリカによる強力な思想統制の影響であると思う。
まさに、神道や仏教が、ただのおとぎ話で子供っぽいものだと思い込まされたのだろう。
アメリカでは「我々は神を信頼する」が国家の標語であり、政府機関の建物の中の権威ある部屋の入口の上やお金にもそう書かれている。
そんなことは日本では考えられない。

もっとも、アメリカでも、神を信頼すると言ったところで、庶民にとって、神はあくまで宗教上のものであり、生活とは関係がないと思わされたり、やはり、神を子供のおとぎ話のように感じる者が多いのだと思う。
イーロン・マスクのような賢い人も、子供の時は神とはそのようなものと思ったが、彼は聖書をちゃんと読み、イエス・キリストは賢明な人だと思ったらしい。
ところが、マスクは幸いなことに、子供の時に、ダグラス・アダムスの『銀河ヒッチハイク・ガイド』を読み、心のキャパシティ(収容能力)の制限が破壊され、並の人間とは比較にならないマインド空間を得たのだ。
『銀河ヒッチハイク・ガイド』は、そんなことを起こす本当にぶっ飛んだ作品だ。
『銀河ヒッチハイク・ガイド』だけでなく、優れたSFには、そのような力があるものが多く、ビッグテック(巨大テクノロジー企業)の創業者がSF好きなことも分かるように思う。

一般的な思考の枷(かせ)といったものを叩き壊さないと、真理が見えないし、引き寄せみたいなものも出来ないものだ。
宗教というのは、ますます思考の枷を強化する働きがあるように思う。
私の場合、精神的な拘束を解いてくれたのは『銀河パトロール隊』から始まるレンズマンシリーズだった。
私はこの中に登場する宇宙最古の生命体であるアリシア人に神の姿を見たのだった。
アリシア人は、私にとって、聖書、ギリシャ神話、古事記、インド神話、仏教経典に描かれた神や仏を超え、リアリティのある神であった。

現在、アニメが世界的にヒットしている『俺だけレベルアップな件』も、小説を読み進めていると、『銀河ヒッチハイク・ガイド』やレンズマンシリーズに似た雰囲気の、壮大でありながらクレバーな作品であると感じ、とても面白いと思う。
ただ、『俺だけレベルアップな件』の小説は、日本ではピッコマ(アプリ)でしか読めないが、このカカオピッコマというほとんど知られていない会社が運命するアプリが、悪い意味ではないが謎で、これほどの人気作品をAmazonよりも先行して出版出来る仕組みが、考えると凄い。
とはいえ、ゆっくりで良ければ無料で読めるし、まとめて読むのも安価だ。
漫画の方も原作に忠実で、しかもカラーだが、ピッコマがAmazonなどより、ずっと先行して出版している。
漫画は、私は絵柄があまり好きでなかったが、途中からよくなってきたと思う。

小説のようなもので神の高度な観念を持つのは良いことと思う。
無論、哲学という手もあるが、難解を超えて病的に偏執的なものが多いように感じる(笑)。
その点、SFなんて、基本娯楽なのだから、まだ素直なのであると思う。
私も、デカルトの『方法序説』やプラトンの『ソクラテスの弁明』のような、短くて簡単なものを読んで「ああ、神はあるなあ」と思ったが、何というか、実用性がない(笑)。
確固たる神の観念を持っていると、引き寄せは容易くなると思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)銀河ヒッチハイク・ガイド ~銀河ヒッチハイク・ガイドシリーズ1~(ダグラス・アダムス)
(2)銀河パトロール隊 ~レンズマン・シリーズ1~(E.E.スミス)
(3)方法序説(デカルト)
(4)ソクラテスの弁明 クリトン(プラトン)
(5)俺だけレベルアップな件 1 ※カラー漫画

子供の部屋
AIアート1940
「子供の部屋」
Kay

この言葉を自分に言え

あなたが、自分にかけるべき言葉は次のような言葉だ。
「なんて格好いいんだ」
「なんて可愛いの」
「なんて美しいのかしら」
最初のは、E.E.スミスのSF『レンズマン』シリーズ(1937~)の2作目『グレー・レンズマン』(1939)の中で、超優秀なレンズマンであるキニスンが、レンズマン就任から短期間で実績を積み、上級レンズマンであるグレー・レンズマンに昇格した際、初めてグレー・レンズマンの制服を着用したキニスンが鏡を見て思わず言った言葉だ。
私は、このセリフを鮮明に憶えている。

『古事記』で、イザナギとイザナミが、天の御柱(あめのみはあしら)を反対側から回り、出会った時に、イザナミがイザナギに、
「あなにやし、えをとこを」
と言い、イザナギがイザナミに、
「あなにやし、えをとめを」
と言った。
それぞれは、
「ああ、なんと素晴らしい男性なの」
「ああ、なんと素晴らしい乙女だろう」
という意味である。
心から褒め称える言葉こそ良い言霊で、それは宇宙全体に影響を及ぼす。
それは、別に日本だけに限らず、世界でも同じであるが、日本は特に、言葉を言霊として大事にしてきたのである。

重要なことは、自分を美しい言葉で褒めることだ。
「イケてる」「すげー」なんて言葉を使ってはならない。
かといって、難しい、堅苦しい言葉である必要もない。
「なんて格好いいんだ」
「なんて可愛いの」
「なんて美しいのかしら」
くらいで丁度良いと思う。
もちろん、その他にも、好きな言葉を使えば良い。
こういった言葉を自分にかけることで、真の自己が、この言葉に相応しい世界を生成するのである。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)銀河パトロール隊 ~レンズマン・シリーズ1~(E.E.スミス)
(2)グレー・レンズマン ~レンズマン・シリーズ2~(E.E.スミス)
(3)現代語訳 古事記(福永武彦)

えをとめ
AIアート1939
「えをとめ」
Kay

プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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