ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

IT、コンピュータ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

「サルでも分かる話」は、どうでもいいことが分かるだけ

「誰でも分かる」「子供でも分かる」「サルでも分かる」といった説明は、どうでもいいことは分かるが肝心なことは分からない話だろう。
電話機が世の中に初めて登場した時の、「誰でも分かる」話は、「誰でも分かる音声のアナログ信号変換」で、聞いた人は「何言われたのか分からないが、俺には電話は必要ないことが分かった」と思い、実際、企業すら「不要」として電話を導入しなかった。つまり、肝心なことは分からなかったのだ。
インターネットの黎明期、「誰でも分かるインターネット」でやたら言われたのが、インターネットはミサイル攻撃を受けても生き続けるといったことで、結局、誰にも肝心なことが分からなかった。
しかし、電話が普及していない時には、通信技術の専門家も、電話がどう使われるか想像が出来なかったし、インターネットが普及していない時には、ITの専門家だって、インターネットが何の役に立つのか分からなかったのだ。

もう昔と言って良いが、巨大IT企業のエゴで「全ての人がコンピュータープログラミングをマスターすべきである」という馬鹿な話がまかり通り、かなり多くの人々が洗脳された。オバマ大統領が、そんな嘘を公式な演説で堂々としたのだから、そりゃ騙される。
巨大IT企業の影響力は政府以上と言われるように、世界中の学校でプログラミングを授業で教えるという滑稽なことが本当に行われるようになった。
ひょっとしたら「全ての人が漫画を描くべきである」と言って、学校で漫画の授業を行う方が、まだマシかもしれない。

ちょっと専門的な話だが、プログラミングに関し、1990年頃に「オブジェクト指向」という言葉が流行った。
もう一斉に「これからはオブジェクト指向でプログラミングしなければならない」と言われるようになり、やがて、普通の人もオブジェクト指向を理解し、仕事に取り入れないといけないと、マジで(笑)言う者が増えていた。
一方、優れたプログラマーにも「私はオブジェクト指向が分からない」と正直に言う人もいた。優秀かつ誠実なプログラマーに多かったと思う。彼らは、仕事では実際にオブジェクト指向を使っているのに、「自分はオブジェクト指向の肝心なことがピンとこない」と言っているのである。
優秀でも誠実でもないが、私もそうだった。
ところが、何かの雑誌で、あるプログラマーが、
「私はオブジェクト指向が分からなかったが、単にメモリ保護技術だと気付いた」
と言う記事を見て、私もオブジェクト指向が一気に分かった。
そんなことを言う人はいなかった。
こんなふうに、本質をズバリ突ける人が、本当に頭が良い人だ。

さて、量子コンピューターという名前を知っている人は多いと思う。
物凄く重要なものだが、この量子コンピュータについても、確実に、上であげたような愚が行われる・・・というか、行われている。
YouTubeの動画で見たが、多分、それなりの識者なのだろうが、小学生の子供に対し、量子コンピューターの説明として、量子ビットの話をしているのを見て、私は「この馬鹿」と思ってしまったが、その人だって、量子コンピュータが何の役に立つのか本当には分かっていないので、そんな話しか出来ないのだろう。
それを聞かされていた、その小学生の男の子は、とても賢そうな子だったが、すっかり困惑していた。困惑にも、肯定的な困惑というものもあるだろうが、全く無意味な困惑だった。その子も、量子ビットについて、話としては分かるだろうが、まるで意味を感じられないのだ。
量子コンピュータについて一般の人に説明する人のほとんどが、やれ量子もつれだの重ね合わせだのといった話をするが、それは電話のアナログ信号変換やインターネットの通信プロトコルのようなもので、普通の人には全く意味のないことで、少なくとも、後回しにして良いことだ。
まずは、本質を語るべきだが、上のような意味のない話をする「センセー」らは本質が分かっていないのだ。

私も、量子力学の初歩やコンピューターは分かるが、量子コンピューターが分からなかった。
しかし、量子コンピューター研究開発の第一人者である、大阪大学大学院教授の藤井啓祐博士が、
「量子コンピューターは宇宙の箱庭」
と言うのを聞いて、量子コンピューターが一気に分かった。
これは、決して素人をケムに巻く方便ではなく、量子コンピューターの本質と思う。
量子コンピューターは、宇宙と同様、自然の法則で動く、宇宙そのものである。
まあ、らしい言い方をすれば、量子コンピューターは自然を直接シミュレートするものと言えるかもしれないが、そうであれば、普通のコンピューターが100万年かかる計算を3分で出来るという意味も分かり、そのとんでもない有益性も分かるのである。
ただ、量子コンピューターだって、電話やインターネット同様、人々が使い方を工夫することでやっと真価が発揮される。
逆に言えば、使われなければ、どんな良いものも無いのと同じだ。
たとえば、蒸気機関だって、紀元前に発明されていたのに、19世紀になるまで無いも同然だったようにだ。

ちなみに、引き寄せも同じかもしれない。
まだ、本質をズバリ言う人がおらず、一般に使われないので真価が発揮されていないのである。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)驚異の量子コンピュータ 宇宙最強マシンへの挑戦(藤井啓祐)
(2)量子論から解き明かす「心の世界」と「あの世」(岸根 卓郎)
(3)ツイッターノミクス TwitterNomics(タラ・ハント)
(4)投影された宇宙(マイケル・タルボット)
(5)洞察力(中山正和)
(6)瞑想と潜在能力(中山正和)

やわらかな無機質
AIアート1550
「やわらかな無機質」
Kay

最速のプログラミング習得法

もう少し、プログラミング学習と、ひろゆきさんのYouTubeの切り抜き動画の話を続ける。
ひろゆきさんは、プログラミング習得法や、プログラミングで稼ぐ心構えについてベラベラ喋る(笑)のだが、言わんとするところは分かるが、現実離れしている感じがする。
もし、彼が言うことが当を得ているとしたら、それは、彼のように飛び切り頭が良い人の場合の話で、普通のIQ100前後の人はもちろん、ちょっと頭が良いIQ110程度の人が真似しても全く駄目であると思う。
もちろん、IQを高めてから真似すれば可能かもしれないが、IQが高くないままやっても、うまくいくはずがない。
IQが高い大学生がプログラミングでかなり稼いでいることがよくあるが、やはりプログラミングはIQだし、そんな大学生が、自分はどうやってプログラミングをマスターしたかなんて言うことはない。彼らにとってのプログラミング習得は、せいぜいが「どうやって自転車に乗れるようになったか」と同じで、確かに初めは多少は苦労したかもしれないが、出来るようになったら、もう憶えていないくらい、簡単でどうでも良いことなのである。

『正法眼蔵随聞記』という、『正法眼蔵』という名著を書いた道元が、「ついでに語った」程度のお話を弟子がまとめた本がある。
超難解な『正法眼蔵』と違い、『正法眼蔵随聞記』はとても分かり易いが、これがまた名著である。
丁度、孔子の言葉を弟子がまとめた『論語』や、親鸞の弟子の唯円が、親鸞が話したことで憶えていることを記した『歎異抄』が超名著であるのと同じである。
どんな賢い人、偉い人でも、本に書いたり、講演で語ることというのは、どうしても本音から外れた話になってしまう。
ひろゆきさんの場合だって、彼が収録目的で語ったプログラミング習得法なんて役に立たないが、ついでに言ったことの中に良い話がある。
彼は子供の時、雑誌に載っていたプログラムを、そのままパソコンで打ち込んで動かしたことでプログラミングを憶えたと、ちゃんとまともなことを言っているのである(笑)。
当時は、インターネットはなく、普通の人が、良いプログラムを得る方法は、本か雑誌しかなかった。
もちろん、当時から、プログラミングの学習書は沢山出ていて、良い本もあったかもしれないが、そんな本はお勉強好きな変人(笑)でもない限り面白くないものだ。
だが、意味は分からないながら、雑誌に載っているプログラムを打ち込んで走らせることには興奮があり、その退屈な作業もさして苦痛ではない。
多くのトップのIT企業で活躍したプログラマーで事業家の清水亮さんが以前、プログラミング習得は「写経」に限るとよく言われていたと思う。
とにかく、見本のプログラムを淡々と打ち込むのである。
プログラミングに限らず、一流小説家の中にも、修行時代に、ヘミングウェイ等の文豪の作品を淡々とタイプした人もいる。
画家やイラストレーターも、好きな作家の作品の模倣から始める場合が多いし、音楽だってそうだと思う。
漫画家にも、子供の時に、好きな漫画家の作品をそっくり自分で描いたという人もよくいる。

私も、プログラミングが出来なかった時、雑誌に載っていた長いプログラムを長時間かけてパソコンに打ち込んだ。
だが、そのプログラムを動かしても(昔は「走らせる」という表現をしたものだが)、なかなかうまく動かない。
(今は、言っても分からない人が多いと思うが、「コンパイルが通らない」ということも全然ある)
タイプミスがあるからだが、ここで、プログラムは一文字でも間違えていたら動かなかったり、間違った動作をすることを実感するという良い経験を得る。
今は、パソコンで出来る楽しいことが沢山あるし、もっと楽で面白いスマートフォンもあるので、そんな退屈なことをする人はいないが、それが最も速いプログラミング習得法であると思う。

長い歴史を持つC言語というプログラミング言語は、決してなくなることはない今でも重要な言語であるが、習得は難しいと言われる。
私は、本でC言語を憶えたのだが、実際のところ、解説はあまり分からなかったが、載っていたサンプルプログラムを打ち込んで動かしたら、そのうち憶えたのだと思う。C言語の中でも難しいと言われる「ポインター」も、プログラムを打ち込みながら、なんとなく目に入ってくる解説(図式化されている場合がほとんどだ)を、頭が勝手に理解してくれたのだと思うが、これも自然な学習法だ。
たとえば、親や先生が言葉で教えることは、ほとんど身に着かないが、彼らが普段やっていることをなんとなく見ていて、それを真似るのである。良いことも悪いことも(笑)。よって、ロクでもない親や教師を持ってしまったら、意識的に拒否しないと危ない(笑)。

このように、頭は勝手に理解するのであり、その能力は強力だ。それを利用しない手はなく、「写経」こそ最強の学習法だ。
ただ、いくら写経が良いと言っても、退屈過ぎては続かないので、写経したら動かすのが良く、それが興味深い動きをするプログラムであることも大切だろう。

まあ、その前に、クンバク(息を大きく吸って止めること)をしたり、瞑想をしたりで、頭を良くするのが先だ。
人間の脳は、余計な思考を消すことでいくらでも良くなり、IQも打ち上げ花火のように向上するのだと思う。
そのためには、クンバクや瞑想が有効であると思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)正法眼蔵随聞記 (講談社学術文庫)
(2)歎異抄(梅原猛訳、解説)
(3)論語 (岩波文庫)
(4)Excel VBAコードレシピ集(大村 あつし他)
(5)1冊ですべて身につくJavaScript入門講座
(6)マルチナ、永遠のAI。(大村あつし)
(7)楽しいAI体験から始める機械学習(Kay他)
(8)プログラミング作法 (ブライアン・カーニハン他)

霧の中の庭園
AIアート1157
「霧の中の庭園」
Kay

プログラミング学習法の嘘

YouTubeには、プログラミングの学習法を教える動画が沢山ある。
有名なひろゆきさんが、プログラミングに取り組むことを薦める切り抜き動画(他者がオリジナル動画を編集した動画。本来は違反or違法だが一般的になっている)が沢山あり、それらの再生数は非常に多い。
ぼんやり憶えていることで言えば、ひろゆきさんは「今の仕事の給料が安いならプログラミングをやってみたらどうか?」「プログラミングをやるメリットは非常に多く、やらない理由はない」みたいなことを強く主張し、さらに、プログラミングを身に付ける方法をアドバイスしている。

ひろゆきさんの主張は、明らかに間違いとは言えないが、全く的外れだとは言えると思う。
また、プログラマーがプログラミングの学習法を教える動画も、大抵無意味なものだ。
まず、プログラミングの学習法などない。
プログラミングの勉強方法を人に質問する時点で、あるいは、プログラミングの学習方法の動画を見る時点で、向いてないと思う。

話は簡単である。
プログラミングが出来るか出来ないかを決めるのはIQだけ・・・以上である。
世の中には、プログラミング以外に面白いもの、意義のあること、うまくやれば良い収入をもたらしてくれる技能などいくらでもある。
向いたことをやればいい。
明らかに絵の才能がない人に対し、画家やイラストレーターになることを薦めることや、運動神経や体力がない人にプロ野球選手になることを薦めることが間違いであることと全く同じで、IQが高くない人にプログラミングを薦めるべきではない。
また、「今の時代、誰もがプログラミングがある程度出来た方が良い」という意見も、私は全く反対。大半の人はプログラミングに全く向いてない。
学校のプログラミング教育なんてものも馬鹿なものだと私は思う。
「誰もがテレビの修理くらい出来た方が良い」とか「学校で全生徒にガンジーの思想を教えよう」というのと同じようなものだと思う。

よく、「各国の平均IQ」なんてことがまことしやかに言われるが、そんなデータ、どこにあるのだろう?
あったとしても、ごく一部の人についてのデータで、極めて偏ったものだろう。
IQは精神科医に計ってもらえるらしいが(費用も時間もかかる)、聞く限り、精神科医の偏見も影響するような気がする。
ネットのIQテストは、もちろん正確ではないかもしれないが、そこそこの目安にはなると思う。
書籍のIQテストには、まずまずのものもあると思う。
ネットや書籍のIQテストで、全て110以上と出れば、だいたいプログラミングは出来ると思う。
IQ110以上は、統計では上位30%だが、実際、プログラミングが出来るようになる割合は、やはり30%程度かもしれない。
しかし、ひろゆきさんが言うように、プログラミングで稼げるというのは、ネットや書籍のIQテストで120~130以上の人のみと思う。
ちなみに、IQ120で上位10%、つまり、10人に1人だ。
IQ120になれば、IQということに関してはさほど差はないという説もあり、そこで初めて、個性が問題になるのだと思う。
だが、IQ120以上なら、個性に関係なく、そう苦労せずにプログラミングが出来るようになると思う。
出来るようになる方法は何でも良い。我流で良い・・・というか、我流しかないと思う。
子供プログラミング教室なんてものがあるが、あれで金を取るのもどうかと思う。環境だけ与えて「勝手にやれ」と言えば良いだけである。それで、出来る子は出来、出来ない子は出来ない。それで良いと思う。

IQの遺伝率は80%という説があり、これは肥満の遺伝率より高いという。
しかし、肥満の遺伝子を持っていても痩せることが出来るように・・・いや、それ以上に、IQは後天的にいくらでも上げられると思う。
なぜなら、人間の脳の潜在力は、間違いなく、恐ろしく大きく、個人的には、IQは誰でも200以上にすら(IQは140以上に実際の意味はないという説もあるが)出来ると思う。
まずは、深呼吸をして脳にたっぷり酸素を送ったり、瞑想をすれば、かなり簡単にIQは上がると思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)言ってはいけない 残酷すぎる真実(橘玲)
(2)プログラミング作法 (ブライアン・カーニハン他)
(3)JavaScriptの絵本 第2版
(4)マルチナ、永遠のAI。(大村あつし)
(5)楽しいAI体験から始める機械学習(Kay他)

呼吸と体温
AIアート1156
「呼吸と体温」
Kay

人間がAIに負ける?まさか

「心が一番大切だ」みたいな言葉をよく聞くが、賢者達は「私は心ではない」と言い、これが真理のようである。
しかし、「私は心ではない」と言われても、ピンとこない人が多いと思う。
また、「自分が分からない」という言葉もよく聞く。

アニメ『魔法騎士レイアース』2期(1995)のオープニング曲『キライになれない』は、有名なシンガーソングライターの高橋研さん(THE ALFEEの曲の作詞者として特に有名かもしれない)の作詞作曲編曲によるが、その中で、
「いつでも自分のこと いちばん見えない」
という言葉が2回あり、歌全体が、
「いつでも自分のこと いちばんの謎」
で終わる。
私は『魔法騎士レイアース』は1・2期のDVDを全巻持っているが、その歌のその詩が特に印象的なのは、それが真実だからだろう。
それは、自分のことはよく分かっていると思っていながら、実は全く分からないから、深い謎なのだという意味である。

そして、これ(自分のことは自分でも謎)は科学的にも正しいことが分かっている。
脳と工学的システムの融合のような複雑な研究で有名な前野隆司(まえのたかし。工学博士)さんの本でよく書かれているが、科学的に言っても、心・・・つまり思考について言えば、誰もが「自分が考えている」と思い込んでいるが、真実は、「自分が考えていると錯覚している」のである。
思考は起こるだけであり、自分の意思とかは全く関係がない。
「私はこう考える」ではなく「私はこう考えさせられている」が正しいのである。

テスラ社のAIロボットと人間がこんなやり取りをする動画がある(YouTubeで見ることが出来る)。
テーブルの上に、皿、コップ、リンゴが置いてあり、人間がAIロボットに「何か食べるものをくれ」と言うと、AIロボットはリンゴを掴んで人間に渡す。
人間がAIロボットに「なぜそうしたの?」と尋ねると、AIロボットは、「テーブルの上で食べられそうなものはリンゴだったからです」と答える。
もちろん、AIロボットがそう考えたわけではない。
だが、現代では「AIが考える」という言い方が一般的になってきたように思う。
しかし、もちろん、AIが本当に考えているわけではなく、単にAIというコンピュータープログラムの働きである。
そして、それは人間も全く同じであることが科学的に分かっているということだ。

上の『魔法騎士レイアース』と同じCLAMP作品の『ちょびっツ』では、ちぃと名付けられた15歳くらいの非常に可愛い少女の姿をしたロボット(この作品では人型パソコンと言う)が登場し、18歳の男性である本須和秀樹(もとすわ ひでき)が好きであるように振る舞う。
そして、いつか秀樹もちぃが好きになるのだが、秀樹は、ちぃの双子ロボットの姉であるフレイヤに尋ねる。
「ちぃに心はあるのか?」
それに対し、フレイヤは、
「いいえ、ちぃはプログラム通りに動いているだけです」
と答える。
だが、秀樹はがっかりした様子もなく、「ちぃの心は俺の心の中にある」と言う。
しかし、科学的に言って、秀樹の方もプログラム通りに動いていることではちぃと全く同じなのである。

ただし、人間とAIロボットには大きな違いがある。
それは、人間の本当の思考能力は、本来は恐ろしく優秀であるということだ。
しかし、本当はそうでありながら、普通の人間の思考能力は、そろそろAIに負けようとしている。
なぜ、そんなことになっているのかというと、人間は、思考が自分であると混同することで、思考能力に物凄い制限をかけているからだ。
AIの知性が人間の知性を超えるというのは、その制限されまくった人間の知性をAIが抜くという程度の意味だ。
では、どうすれば、人間が思考の制限を外せるのかというと、単に、自分と思考の一体化をやめれば良いだけである。
方法はいろいろあるが、前に少し書いたが、最近はネドじゅんさんという普通のオカンが『左脳さん、右脳さん。』で、やり易い方法を教えている。

遠き山に陽は落ちる
AIアート801
「遠き山に陽は落ちる」
Kay


参考程度に、そのための役に立つと思われる、ラマナ・マハルシが教えた呼吸法を書いておく。
「私はこれではない」(呼気:吐くこと)
「私は誰か?」(吸気:吸うこと)
「私はそれである」(呼吸停止)
これを繰り返す。
言葉は心で唱える。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)左脳さん、右脳さん。(ネドじゅん)
(2)魔法騎士レイアース Blu-ray BOX
(3)ちょびっツ(1)(CLAMP)
(4)脳はなぜ「心」を作ったのか(前野 隆司)
(5)ラマナ・マハルシとの対話 第一巻

『浦島太郎』の警告

合法か違法か確認しなかったが、著名な心理学者の河合隼雄さんの講義をYouTuneで見たことがある。
私は河合隼雄さんの本はいくつか読んでいるが、講義はやはり一味違って面白い。
その中で、こんな面白い話があった。
河合さんが小学生の、おそらく低学年の時だろうが、学校の授業で『浦島太郎』の話を習った時、先生に、
「なぜ乙姫様は浦島太郎に玉手箱といったロクでもないものを渡したのか?」
と質問し、先生を困らせたという。
先生は結局、まともな返答をしなかったようだ。
そんな質問をする生徒はいなかったのだろうと河合隼雄さんは考えていたが、その通りなのだろう。
皆さんは、どうお考えになるだろうか?

ただ、河合隼雄さんは小さかったから、子供用の『浦島太郎』の話を読むか聞くかしたのだろうから、そのお話はかなり簡易化されたものだと思う。
まあ、『浦島太郎』のお話に正確な原本があるのかどうか疑問だが(というかまずないと思う)、乙姫様は浦島太郎に、玉手箱を決して開けないよう言っていたと思う。
それなら、開けた浦島太郎に非があるが、やはり、そもそも、そんなもの渡すなという疑問を持つかもしれない。
しかし、おそらくは知恵者である乙姫は、歌島太郎が乙姫との約束を破るほど困ったら、浦島太郎が玉手箱を開けてしまうのは仕方ないと考えたのかもしれない。

ところで、私も子供の時、『浦島太郎』の話には疑問を感じていたが、河合隼雄さんとは引っかかった箇所が違った。
竜宮城で浦島太郎が過ごした3年は地上での300年であったというが、もし、玉手箱が浦島太郎に地上での時間の経過を与えたとしたら、おじいさんになるどころではなく白骨になるはずだ・・・という疑問だ。
まあ、私ももっと大きくなってからなら、玉手箱は浦島太郎に地上の時間経過の30%程度を与えるよう調整されたマシーンだとか考えるが、子供の時は、そんなことに考えが及ばず、非常に疑問だった。
河合先生は、そこには疑問を感じなかったのだろうか?
いや、それよりも、やはり、乙姫様が玉手箱を浦島太郎に渡した意図の方が疑問だったのだろう。

有名なマーフィーの法則(ジョセフ・マーフィーの法則ではなく、航空機エンジニアであったエド・マーフィーの法則)には、「不安な箇所は必ずこける」というものがある。
つまり、「このヒモ引っ張るな」という張り紙をしておいたとしても、誰かが必ず引っ張るから、引っ張って欲しくないヒモなら、最初から引っ張るのが不可能な状態にしなくてはならないという教えで、エンジニアリングの世界でも有益な教えだ。
私も、ソフトウェア開発で必ず心がけていることだ。
なんとなく、乙姫様はエド・マーフィーより賢いと思えるので、乙姫様は、浦島太郎が開けてしまうこと前提で玉手箱を浦島太郎に渡したのだろう。

フェアリー
AIアート593
「フェアリー」
Kay


一応、『浦島太郎』のお話の説明はつく。
竜宮城は仮想世界であり、竜宮城の乙姫様やその他の存在達も仮想的な存在だったのだろう。
浦島太郎を拉致し、なんらかの目的で浦島太郎の精神を仮想世界に引き入れたのは、宇宙人か地底人といった存在と思われる。
浦島太郎は、仮想世界で、この上なく楽しく過ごしたが、やがて元の世界の方が良いと分かる。
それで、宇宙人か地底人かは分からないが、実験は完了である。
つまり、人間は、仮想世界で楽しく過ごすより、現実の方が重要なのである。
ITが進歩した世界では、もうすぐ竜宮城のような仮想世界で過ごすことが本当に可能になる。
いわゆるメタバース世界の実現だ。
メタ(旧フェイスブック)も、イーロン・マスクのニューラリンカも、それを目指している。
だが、日本人は『浦島太郎』の話を教訓に、そんなものは偽物であることを見破らなくてはならない。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)一寸法師・さるかに合戦・ 浦島太郎 日本の昔ばなしIII (岩波文庫)
(2)定本 昔話と日本人の心(河合隼雄)
(3)昔話の深層 ユング心理学とグリム童話(河合隼雄)
(4)こころの最終講義(河合隼雄)
(5)世界2.0 メタバースの歩き方と創り方
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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