我々の内に在る万能の力を持つ何かは、いろいろに表現されている。
潜在意識、無意識、宇宙エネルギー、フォース、気、氣、プラーナ、ブリル、マニトゥ、無限の力、道、光、それ(イット)、エデン、エル・ドラド、GTP・・・実に様々だ。
古くは神と呼ばれることが多かったが、では神が何かというと、これがまた、国により民族により極めて多様だ。
他にも、力を持つ存在として、天使、悪魔、精霊、太霊、聖霊等があるが、それらが何であり、また、それらと神との関係も、様々である。
また、たとえば潜在意識とか気と言っても、それが力を持つ母体を指すこともあれば、力そのものを指す場合もあるように思う。

つまり、人間の内にあり、引き寄せを行い、願望を実現させる強大な力について、人類は曖昧に捉えている。
いや、そもそも、そのような力が存在することを信じていなかったり、知らない人すらいる。

だが、その力、あるいは、力を持つ母体について、明確な考え方を持たなければならない。
それは自己流で構わないが、矛盾を感じないように定義しなければならない。
定義が明確である者と曖昧である者とでは、引き寄せの威力は全く違う。
曖昧に考えている者と、力を信じない、あるいは、知らない者では、後者の方が引き寄せの力が強いことも珍しくない。
しかし、明確な定義が出来ている者は、極めて強力に引き寄せを行う。

そして、その無限の力の定義は自分でやらないといけないのである。
なぜなら、教えられた定義で、本当に納得することはないからだ。
何かの宗教を信仰し、その信仰が自分にそこそこフィットしていたとしても、教祖や牧師や僧や、あるいは、親が教えてくれた神や仏の定義、考え方は、あなたを本当に納得させたりはしない。
なぜ、そんなことが言えるのかと言うと、実は、牧師や神父だって、神とは何か、本当に知ってはいないし、仏教の僧であっても、仏が何かを本当に知っているわけではないからだ。
だから、正直な神父やラビや僧侶は「私なりには理解しています」と言うのである。

学校の勉強では、教師が答を知っていた。
それで、優等生ほどそうだが、学校に洗脳されてしまった者は、何でも、誰かが答を知っていると思い込んでしまっている。
だから、分からないことがあったら、誰かに聞けば答を教えてくれると思っているし、自分には教えてもらう権利があると大誤解している。

もちろん、その力の定義を、論理的に行う必要はない。
そもそも、それは不可能だ。
また、人に説明する必要もない。
自分で分かっていれば良いのである。
だが、明確でなければならない。

誰かの定義を参考にしたいと思っても、それをしている者が少ない。
そこにいけば、合氣道家の藤平光一氏は、『氣の威力』の中で、それを「氣」として、かなりやっているが、それはあくまで彼の定義である。
もし、それを普遍的真理と主張すれば、それは偏見と呼ばれるが、正直、彼の場合は、それに近いとも言えなくはない。
彼でなくても、そういったことは、道を究めた者特有の、欠点と言うよりは弱点であると思う。
とはいえ、優れた定義であることも確かで、あくまで参考として見るなら有益である。

尚、その力について、明確に定義出来なくても、一時的な定義を持つことは必要である。
でないと、引き寄せの力があまりに弱い。
私の場合、ジョセフ・マーフィーの『あなたも幸せになれる』(文庫版では『努力嫌いの成功法』)で、「宇宙の活力」という定義を見たおかげで、かなり引き寄せが自在になった。
私は、世間的な神という概念を信じていないので、有益であり、幸運だったと思っている。
まあ、私はその後、いろんな怪しげなものに騙されたので、あなたはそうでないように。
尚、私は、クラウド・ブリストルの『信念の魔術』の中に書かれた「エル・ドラド」という考え方が気に入っていて、それを参考にしている。








  
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