釈迦(仏陀)やイエス(キリスト)は、最も愚かな人間はどうすれば良いと言ったのだろうか?
「最も愚か」とは、能力が低かったり、根気がなかったり、性格が悪いヤツ・・・みたいなことである。
イエスが、人々にやれと言ったのは、つまるところ、モーセの十戒を守れということである。
ただ、「十戒のうち、一番大事なものは」と聞かれた時、「神を愛せよ」だと即答している。
これなら、難しくないと思えるので、愚か者は、とにかく神を愛すれば良いのだということになる。
釈迦の場合はどうかというと、釈迦の教えを純粋に示していると思われる『法句経』は、つまるところ、自己に打ち勝て・・・つまり、エゴに従うなということだろうが、これは非常に困難だ。
そこで、『華厳経』『法華経』『浄土三部経』の中の、誰でも出来そうなことを探せば、仏の名を唱えるという念仏ということになると思う。
ただ、日本人が念仏と言われてすぐに思い浮かぶ「南無阿弥陀仏」だけではなく、「南無観世音菩薩」や、仏の名だけである「阿弥陀仏」や「観世音菩薩」、あるいは、その他の仏の名を唱えても良いのだと思う。
これらから考え、釈迦にしろ、イエスにしろ、「これだけは」という教えとなると、やはり、「神や仏を信じろ」ということになるのだと思う。
アメリカ合衆国の公式標語「イン・ゴッド・ウィ・トラスト(我々は神を信頼する)」も、そんなところからきているのだと思う。
そして、神を信じる、神を愛する最も簡単な方法が、その名を呼ぶことである。
ただ、キリスト教やユダヤ教では、神の名がよく分らない。
それでいながら、詩編を見ると、神の名は書かれていないが、神の名の重要性が書かれていたりして、どうも難しい。
ただ、今日において、我々は、神を昔の人のように考えることは難しい場合もあろう。
一神教と多神教の違いに関しては、多神教であっても、好きな神を選ぶことで、神の名を呼ぶことが出来るが、現代の我々の神の概念は多様化しており、その名を呼ぶ(あるいは唱える)意味も明晰ではない。
ラマナ・マハルシが、生涯、ただ1冊、大切にしていた本(本と言うより小冊子だが)である『聖なる名前の哲学』では、神の本当の名は「私」であると書かれていると思われる(微妙な書き方なのだが)。
実際、マハルシ自身、無知な人間に、「いつも『私』と唱えよ」と教えたことがあるようだ。
また、信用して良いかどうか意見もあろうが、『ヒマラヤ聖者の生活探求』という書の中で、イエスが、唱えよ・・・というのではないが、使えと言い、「他の教えは不要」とまで言ったのが、「神」という言葉を使うことである。
サイ・ババは、ナーマスマラナという「どれでも良いから神の名を唱える」ことが誰にでも可能な唯一の行であると述べたらしい。
結局のところ、何らかの「神の名」を唱えることが最終最後の手であることは、おぼろげながら分かるが、そこはやはり宗教観が関係して複雑で微妙だ。
ただし、科学ということから考えても、神のようなものの存在を前提としなければ、世界が成り立たないことは確実である。
神の存在を前提にしなければ、全ては偶然に出来たことになるが(人間が作ったものなど、全宇宙からすれば無いに等しい)、それはあり得ないことであることは、科学的にも断言出来ると言って良いだろう。
ジョセフ・マーフィーは『THE COSMIKU ENERGIZER(コズミック・エナージャイザー)』で、マーフィーが無限の力のことを、この本のタイトルである「コズミック・エナージャイザー」と呼び、桑名一央氏は、これを「宇宙の活力」と訳した。
(この本の翻訳は、『あなたも幸せになれる』で、文庫版では『努力嫌いの成功法』になっている)
宇宙の活力は、万能の潜在意識そのものと思っても良いが、マーフィーは、潜在意識の中の力であると言う。だが、これはどちらでも良いと思う。
また、その名も、「宇宙の活力」でも「宇宙の意思」でも良い。
何かとてつもない力が存在することは、どう考えようが確実である。
そして、その力は、自分の味方であると考える限り、そうなのである。
それは、はっきりとは説明出来ないが、生命活動という奇跡的な働きは、宇宙の活力なくしてあり得ず、生きているということで、宇宙の活力が味方してくれていると感じるのである。
よって、最終的にはこうである。
宗教的に信じられるなら、神の名や「神」という言葉を思ったり、口にすれば良い。
あるいは、マハルシが本当の神の名であるという「私」と唱えても良い。
現代人に向くのは、無限の力のことを宇宙の活力とでも、宇宙の意思とでも、あるいは、自分の好きな言葉で呼べば良いが、それが存在することを、その名と共に覚えておくのである。
だが、全ては偶然だという無神論者を救う方法はない。しかし、本来、そんな人間はいないと思う。
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「最も愚か」とは、能力が低かったり、根気がなかったり、性格が悪いヤツ・・・みたいなことである。
イエスが、人々にやれと言ったのは、つまるところ、モーセの十戒を守れということである。
ただ、「十戒のうち、一番大事なものは」と聞かれた時、「神を愛せよ」だと即答している。
これなら、難しくないと思えるので、愚か者は、とにかく神を愛すれば良いのだということになる。
釈迦の場合はどうかというと、釈迦の教えを純粋に示していると思われる『法句経』は、つまるところ、自己に打ち勝て・・・つまり、エゴに従うなということだろうが、これは非常に困難だ。
そこで、『華厳経』『法華経』『浄土三部経』の中の、誰でも出来そうなことを探せば、仏の名を唱えるという念仏ということになると思う。
ただ、日本人が念仏と言われてすぐに思い浮かぶ「南無阿弥陀仏」だけではなく、「南無観世音菩薩」や、仏の名だけである「阿弥陀仏」や「観世音菩薩」、あるいは、その他の仏の名を唱えても良いのだと思う。
これらから考え、釈迦にしろ、イエスにしろ、「これだけは」という教えとなると、やはり、「神や仏を信じろ」ということになるのだと思う。
アメリカ合衆国の公式標語「イン・ゴッド・ウィ・トラスト(我々は神を信頼する)」も、そんなところからきているのだと思う。
そして、神を信じる、神を愛する最も簡単な方法が、その名を呼ぶことである。
ただ、キリスト教やユダヤ教では、神の名がよく分らない。
それでいながら、詩編を見ると、神の名は書かれていないが、神の名の重要性が書かれていたりして、どうも難しい。
ただ、今日において、我々は、神を昔の人のように考えることは難しい場合もあろう。
一神教と多神教の違いに関しては、多神教であっても、好きな神を選ぶことで、神の名を呼ぶことが出来るが、現代の我々の神の概念は多様化しており、その名を呼ぶ(あるいは唱える)意味も明晰ではない。
ラマナ・マハルシが、生涯、ただ1冊、大切にしていた本(本と言うより小冊子だが)である『聖なる名前の哲学』では、神の本当の名は「私」であると書かれていると思われる(微妙な書き方なのだが)。
実際、マハルシ自身、無知な人間に、「いつも『私』と唱えよ」と教えたことがあるようだ。
また、信用して良いかどうか意見もあろうが、『ヒマラヤ聖者の生活探求』という書の中で、イエスが、唱えよ・・・というのではないが、使えと言い、「他の教えは不要」とまで言ったのが、「神」という言葉を使うことである。
サイ・ババは、ナーマスマラナという「どれでも良いから神の名を唱える」ことが誰にでも可能な唯一の行であると述べたらしい。
結局のところ、何らかの「神の名」を唱えることが最終最後の手であることは、おぼろげながら分かるが、そこはやはり宗教観が関係して複雑で微妙だ。
ただし、科学ということから考えても、神のようなものの存在を前提としなければ、世界が成り立たないことは確実である。
神の存在を前提にしなければ、全ては偶然に出来たことになるが(人間が作ったものなど、全宇宙からすれば無いに等しい)、それはあり得ないことであることは、科学的にも断言出来ると言って良いだろう。
ジョセフ・マーフィーは『THE COSMIKU ENERGIZER(コズミック・エナージャイザー)』で、マーフィーが無限の力のことを、この本のタイトルである「コズミック・エナージャイザー」と呼び、桑名一央氏は、これを「宇宙の活力」と訳した。
(この本の翻訳は、『あなたも幸せになれる』で、文庫版では『努力嫌いの成功法』になっている)
宇宙の活力は、万能の潜在意識そのものと思っても良いが、マーフィーは、潜在意識の中の力であると言う。だが、これはどちらでも良いと思う。
また、その名も、「宇宙の活力」でも「宇宙の意思」でも良い。
何かとてつもない力が存在することは、どう考えようが確実である。
そして、その力は、自分の味方であると考える限り、そうなのである。
それは、はっきりとは説明出来ないが、生命活動という奇跡的な働きは、宇宙の活力なくしてあり得ず、生きているということで、宇宙の活力が味方してくれていると感じるのである。
よって、最終的にはこうである。
宗教的に信じられるなら、神の名や「神」という言葉を思ったり、口にすれば良い。
あるいは、マハルシが本当の神の名であるという「私」と唱えても良い。
現代人に向くのは、無限の力のことを宇宙の活力とでも、宇宙の意思とでも、あるいは、自分の好きな言葉で呼べば良いが、それが存在することを、その名と共に覚えておくのである。
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サムシンググレイトという表現が流行った時期がありました。
個人的に、神とかそんなに軽々しく使ってはいけないような気がしていて、その点サムシンググレイトという表現は、神の代わりの表現としてわりとフランクに使えて今でもとても気に入っています。ただ流行り過ぎたために昨今は古い言葉になってしまったのかな‥