日本でも、超能力者養成所みたいな場所は確実にあった。
たとえば、昔であれば忍者の里のようなところ。
そして、直接見た人はかなり少なくなってきたが、割と近年では、旧日本軍が管理する超能力者養成施設が本当にあった。
昔、私は、そこで、中村天風と一緒に訓練をしていたという、老齢ではあったが、名のある科学者と会ったことがある。
非常にインパクトのある人だった。テレパシーによる読心術くらいは今でも出来ると言っていたが、その人も、私は苦手そうだった。
私はマジな超能力者だからね(笑)。
そももそが、その時の会合の目的は、科学の勉強会みたいなもので、そのために、その科学者をゲストに招いていたのだが、私が居たので、話が超能力関係に行ったのかもしれない。
その科学者の超能力も、中村天風に近いものだった。
私はあまり詳しくはないが、中村天風は、少なくとも、希には、超能力に関する話はしていたと思う。
ところで、中村天風は、西洋医学からインドのヨーガに入った人だから、中国式の仙道や気功みたいなことは興味がなかったようだが、概念は似ているのである。
中村天風は、「気」とは言わず「ブリル」と言っていたが、いずれも、インドの「プラーナ」と同じである。
要は、その気、ブリル、プラーナを集めることが、超能力や引き寄せの力を呼び起こすという理屈である。
中村天風は、そのブリルを多量に含む食品の摂取を薦め、菜食、日本食を奨励し、肉食を否定したが、超能力と菜食・肉食は直接には関係ない。
ただ、肉食で美食・飽食なら失敗し易いということはある。
しかし、やはり、食事にはそれほどこだわる必要はないというのが、現代的な考え方になっている。
では、どうやれば気(ブリルもプラーナも同じ)を集めることが出来るかというと、そんなもの、どこにでも無限にあるのだから、単に通路を確保すれば良いだけである。
どうすれば通路を開けるかというと、抽象的には、自他の区別をなくし、自分がこの世界に単独で切り離されて存在しているという誤解を解けば良いのだが、この言い方は、聖者や思想家が好みながらも、やはり抽象的で、好きでない人が多いに違いない。
それに、このやり方を誤解して、世間と一体化し、二進も三進も(にっちもさっちも)いかない状態になる危険もある。世の中、馬鹿が多いんだ(笑)。
中村天風の話は良くないと言っていた、天風の高弟の藤平光一だって、ひどく抽象的だと私は思う。
で、そろそろ、良い方法を言うなら、老子や荘子が言った通り、「無為に徹する」、つまり、何もしないのが一番だ。
しかし、人々は、「何もしなければ人生はすぐに終わってしまう」と思っており、そう思っていれば、確かにそうなる。
そこで、良い知恵を言うなら、「何もしなくても良い理由を作る」ことだ。
その理由がないから、凡人はあくせくし、老化して死んでいく。
一応、なぜ理由が必要か言うと、エゴはいつも理由を欲しがるが、適当な理由を与えれば黙るものなのだ。
エゴはいつも、「なんで?なんで?」と言っているだけだということが分からないだろうか?
もっとも、下手な理由、たとえば、「私は王様だから」なんて言ったら、エゴは「お前、王様じゃないじゃん?なんで王様なんだ?」って騒ぐ。
何度か言ったが、この「うまい理由」を与える賢い教師がアメリカにいた。
いつも後ろを向いて座っている男子生徒に、「私が何を聞いても、それは僕が賢すぎるからですと答えなさい」と指示し、これで解決した。
なぜ、これでうまくいくのかというと、エゴは「賢い」って言われることに弱いからだ。
エゴが強いと馬鹿なのだが、自分が賢いと言う者って、皆、馬鹿だろう?(笑)
そんな者は、下手な理由で(たとえば自分は高学歴だから)、人に「賢い」と言って欲しいのだ。それも際限なく。だって、そんな方法ではエゴは黙らないからだ。
「学歴は立派でもうまくいってないじゃん?」「学歴なら、もっと上がいるじゃん?」てね。
だが、人の評価を全く無視し「私は賢い」と断言すれば、エゴは大人しくなる。
1つの方法ではあるが、「私は賢い」「私は優秀」と何度でも断言すると良い。
エゴが何か言っても完全に無視することだ。
ただ、その発展形が、いつも言う「完璧だ」とだけ言うことである。
たとえば、昔であれば忍者の里のようなところ。
そして、直接見た人はかなり少なくなってきたが、割と近年では、旧日本軍が管理する超能力者養成施設が本当にあった。
昔、私は、そこで、中村天風と一緒に訓練をしていたという、老齢ではあったが、名のある科学者と会ったことがある。
非常にインパクトのある人だった。テレパシーによる読心術くらいは今でも出来ると言っていたが、その人も、私は苦手そうだった。
私はマジな超能力者だからね(笑)。
そももそが、その時の会合の目的は、科学の勉強会みたいなもので、そのために、その科学者をゲストに招いていたのだが、私が居たので、話が超能力関係に行ったのかもしれない。
その科学者の超能力も、中村天風に近いものだった。
私はあまり詳しくはないが、中村天風は、少なくとも、希には、超能力に関する話はしていたと思う。
ところで、中村天風は、西洋医学からインドのヨーガに入った人だから、中国式の仙道や気功みたいなことは興味がなかったようだが、概念は似ているのである。
中村天風は、「気」とは言わず「ブリル」と言っていたが、いずれも、インドの「プラーナ」と同じである。
要は、その気、ブリル、プラーナを集めることが、超能力や引き寄せの力を呼び起こすという理屈である。
中村天風は、そのブリルを多量に含む食品の摂取を薦め、菜食、日本食を奨励し、肉食を否定したが、超能力と菜食・肉食は直接には関係ない。
ただ、肉食で美食・飽食なら失敗し易いということはある。
しかし、やはり、食事にはそれほどこだわる必要はないというのが、現代的な考え方になっている。
では、どうやれば気(ブリルもプラーナも同じ)を集めることが出来るかというと、そんなもの、どこにでも無限にあるのだから、単に通路を確保すれば良いだけである。
どうすれば通路を開けるかというと、抽象的には、自他の区別をなくし、自分がこの世界に単独で切り離されて存在しているという誤解を解けば良いのだが、この言い方は、聖者や思想家が好みながらも、やはり抽象的で、好きでない人が多いに違いない。
それに、このやり方を誤解して、世間と一体化し、二進も三進も(にっちもさっちも)いかない状態になる危険もある。世の中、馬鹿が多いんだ(笑)。
中村天風の話は良くないと言っていた、天風の高弟の藤平光一だって、ひどく抽象的だと私は思う。
で、そろそろ、良い方法を言うなら、老子や荘子が言った通り、「無為に徹する」、つまり、何もしないのが一番だ。
しかし、人々は、「何もしなければ人生はすぐに終わってしまう」と思っており、そう思っていれば、確かにそうなる。
そこで、良い知恵を言うなら、「何もしなくても良い理由を作る」ことだ。
その理由がないから、凡人はあくせくし、老化して死んでいく。
一応、なぜ理由が必要か言うと、エゴはいつも理由を欲しがるが、適当な理由を与えれば黙るものなのだ。
エゴはいつも、「なんで?なんで?」と言っているだけだということが分からないだろうか?
もっとも、下手な理由、たとえば、「私は王様だから」なんて言ったら、エゴは「お前、王様じゃないじゃん?なんで王様なんだ?」って騒ぐ。
何度か言ったが、この「うまい理由」を与える賢い教師がアメリカにいた。
いつも後ろを向いて座っている男子生徒に、「私が何を聞いても、それは僕が賢すぎるからですと答えなさい」と指示し、これで解決した。
なぜ、これでうまくいくのかというと、エゴは「賢い」って言われることに弱いからだ。
エゴが強いと馬鹿なのだが、自分が賢いと言う者って、皆、馬鹿だろう?(笑)
そんな者は、下手な理由で(たとえば自分は高学歴だから)、人に「賢い」と言って欲しいのだ。それも際限なく。だって、そんな方法ではエゴは黙らないからだ。
「学歴は立派でもうまくいってないじゃん?」「学歴なら、もっと上がいるじゃん?」てね。
だが、人の評価を全く無視し「私は賢い」と断言すれば、エゴは大人しくなる。
1つの方法ではあるが、「私は賢い」「私は優秀」と何度でも断言すると良い。
エゴが何か言っても完全に無視することだ。
ただ、その発展形が、いつも言う「完璧だ」とだけ言うことである。
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