この世界は幻だという話は珍しいものではない。
古代の神秘思想から現代の量子力学においても、そう言える根拠を示せそうだが、そもそも、「幻(まぼろし)」とは何かと言うと、辞書によれば、「感覚の錯覚によって、実際は存在しないのに存在するように見えるもの」で、対義語は「現(うつつ)」である。

つまり、世界が幻であるなら、それは「世界は感覚の錯覚によって、存在するように見えるが、実は存在しない」ということになる。
実に、その通りだ(笑)。
しかし、そんな言い方では、「だから何?」ってことになる。
それで、私は、この世界は想像世界だと言う。
あなたは、自分が王様である世界や、スポーツのスーパースターである世界を想像出来るが、そんな想像世界と、現実世界だと感じている世界は全く同等で、単に、現実世界と思っている世界にリアリティ(現実感)を感じているだけだ。

この世界が幻だと言われて、ちょっと嬉しいのは、この世界が苦しい世界だと感じている人だ。
そして、おそらく、大半の人がそうではないかと思う。
そりゃ、可愛い彼女が出来たばかりなら、この世はハッピーかもしれないが、そんな楽しさはすぐに消える。
徳川家康が、「人生は重い荷を背負って昇る坂道のようなもの」と言ったらしいが、あまりに的確な表現で笑える(笑)。
何を笑えるかというと、日本最大のコンカラー(征服者。勝者)である家康が、そんなことを言ったのだから、「人生とは辛いものだ」ということになる。

で、私は昨日、この世界の現実感を弱くする方法を述べた。
それにより、現実の辛さは減少し、同じ理論を逆に使えば、楽しい想像世界の現実感を増し、ついには、その楽しい世界を現実化する。
あれも難しい方法ではないが、もっと簡単な方法があり、しかも、よく使われていた。
というのは、今もだが、昔から大国、強国の多くでは、庶民は搾取され、夢も希望もないことがよくあった。
そんな庶民は、この世は幻だとでも思わないとやっていけないが、頭が悪い者も沢山いるので、馬鹿でも、この世が幻だと認識できる方法が必要だったのだ。
日本でも『閑吟集』に、有名な唄、
「何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ」
(真面目くさっても仕方なだろ。この世は夢だ、ただ狂え)
というものがある。
「そうであればいいなあ」ということだろうが、それを実感出来る簡単な方法が必要で、実は宗教の目的も、それが大きい。だから宗教は流行るのだ。
しかし、一番簡単な方法は「薄目をする」ことだ。
だから、ある大国では、昔から、庶民は皆、薄目をする癖がある。
また、画家のムンクは、薄目をすれば、この世界が幻だと実感出来ることに気付き、作品を、薄目をした時に見えた映像として描き、人々は、それが分からなくても、無意識で彼の作品に惹き込まれた。

ところが、コリン・ウィルソンが見つけたのだが、ある研究者が薄目の研究をした末、とんでもないことが分かってしまった。
それが、この世界も想像世界だったということだ。
今では、量子力学の研究範囲として考えることも出来るかもしれないが、当時、量子力学はあったかもしれないが、あまり知られていない時代だったと思う。また、量子力学なんて、大抵の人には理解出来ない(物理学者ファインマンによれば誰にも理解出来ない)のだから、こちらの薄目の研究の方がありがたい。

薄目をしていると、この世界が自分の想像であることが分かる。
すると、この世界のリアリティが消えていく。
さらに、そうすると、この世界を自由に想像し創造出来るようになる。
目が見えないヘレン・ケラーは、ごく若い時に、そんなことに気付いていた。
耳も聞こえない彼女の「想像世界」は、我々のものとはかなり異なるが、むしろ、世界と精神がダイレクトにつながり、ある意味、我々より「ものが見えた」。
アンデルセンは、スペイン旅行中に出逢った、盲目の11歳くらいの少女に深い感銘を受け、「美の化身」とまで呼んで畏怖し、『即興詩人』の中で、ララという名で登場させた。
しかし、それは、アンデルセンも気付いていなかったが、単に、その盲目の少女が美少女だったからではなく、彼女から伝わって来る意識の高度さを、精神性が優れていたアンデルセンが感じたのである。

我々は、ヘレン・ケラーや、ララのモデルの少女や、アンデルセンに敵わない。
だが、薄目で世界を見れば、少し意識を引き上げることが出来る。
ただし、「現状肯定。過去オール善」という想いで見れば。
だから、どんな時も、「完璧」と言う癖をつけておけば、引き寄せは容易いのである。








  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ