「願いが叶わない」とか「思い通りにいかない」というのは、奇妙な話かもしれない。
アメリカの牧師で、自己啓発指導者として名高かったロバート・シュラーは「思い通りになるのが人生だ」と言ったが、それは彼のような特別な人間になれた者の特権のように思えるし、シュラーですら、晩年はうまくいかないことが多かったようだ。
しかし、想像でなら、誰でも、何でも思い通りに出来ると言ったら、笑われるか、状況によっては怒られるか、いずれにしても、「なるほど!想像なら何でも可能だな!」といった楽しそうな反応をされることはないだろう。
けれども、想像でなら、何でも思い通りだ。
せいぜい知的で冷静な人なら、
「いや、我々が求めているのは、現実で願いが叶うことだ」
と言うだろう。
つまり、最初の、「願いが叶わない」という嘆きは、「現実で願いが叶わない」という意味になる。
では、現実とは何なのだろうか?
人間が認識できることは、実を言えば、脳内の世界のことだけなのだ。
そう言えば、
「いや、今は高度な観測機器があり、客観的現実を皆でシェア出来る」
と言われるかもしれないが、それも疑わしいことは科学的にも分かっている。
で、せんじ詰めれば、現実とは何だろう?
それは、リアリティ(現実感)の問題だ。
つまり、「リアリティが強い世界が現実」であるというだけのことだ。
実際、世の中には、現実世界より想像世界の方がリアリティが高いという人間が、普通の人の予想より多くいる。
そんな人(現実世界より想像世界にリアリティを感じている人)は、芸術家になって成功することもあるが、たとえそうであっても、変人奇人扱いされかねない。
だが、普通の人と見なされている人だって、「あれ、あの出来事は、現実に起こったことなのか、想像したことか分からないぞ」と思うことがある。
そんなことが頻繁に起こる人は、想像世界のリアリティが、現実世界ほどではなくても高いのである。
そんな人は、普通、夢想家と呼ばれるが、想像世界のリアリティが現実世界のリアリティを超えれば、現実世界と想像世界が入れ替わる。
改めて言えば、現実世界とは、リアリティが高い想像世界である。
心理学者の岸田秀氏が、全ては幻想だという意味の「唯幻論」について本を出した時、ある男が岸田氏の職場の大学に押しかけ、岸田氏を殴り、
「全て幻想なら痛くないだろ?」
と言ったというが、この男はとんでもない思い違いをしている。
岸田氏も、もちっと分かり易く書けば良かったかもしれない。世の中には頭が悪い人が多いのだから。
想像と幻想を同じ意味とすれば、現実世界だって、単に、リアリティが高いというだけの幻想である。
しかし、リアリティが高ければ、幻想であっても(幻想しかないのだが)、殴られれば痛いのが一般的である(必ずしも痛くなくて良いが)。
一方、リアリティが低い幻想世界(それを我々は想像世界と言う)であれば、殴られても痛くないのが一般的だ(こちらも、痛い場合もある)。
中国の古典『列子』に、一種の想像世界(幻想世界とも言える)である夢のリアリティが高い王様と奴隷の話がある。
王様は、夢で奴隷になるので不幸だと言い、奴隷は、夢で王様になるから幸福だと言う。
この話の落ちはこうだ。
王様が、その奴隷の待遇を改善してやると、自分も夢の世界で幸福になる。
これは、リアリティが低い世界で行ったことの作用が、リアリティの高い世界で起こることを示している。
つまり、我々で言えば、リアリティが低い世界である想像の世界で人々に恩恵を与えれば、現実世界で人々に愛される。
これが、本当の引き寄せの奥義である。
アメリカの牧師で、自己啓発指導者として名高かったロバート・シュラーは「思い通りになるのが人生だ」と言ったが、それは彼のような特別な人間になれた者の特権のように思えるし、シュラーですら、晩年はうまくいかないことが多かったようだ。
しかし、想像でなら、誰でも、何でも思い通りに出来ると言ったら、笑われるか、状況によっては怒られるか、いずれにしても、「なるほど!想像なら何でも可能だな!」といった楽しそうな反応をされることはないだろう。
けれども、想像でなら、何でも思い通りだ。
せいぜい知的で冷静な人なら、
「いや、我々が求めているのは、現実で願いが叶うことだ」
と言うだろう。
つまり、最初の、「願いが叶わない」という嘆きは、「現実で願いが叶わない」という意味になる。
では、現実とは何なのだろうか?
人間が認識できることは、実を言えば、脳内の世界のことだけなのだ。
そう言えば、
「いや、今は高度な観測機器があり、客観的現実を皆でシェア出来る」
と言われるかもしれないが、それも疑わしいことは科学的にも分かっている。
で、せんじ詰めれば、現実とは何だろう?
それは、リアリティ(現実感)の問題だ。
つまり、「リアリティが強い世界が現実」であるというだけのことだ。
実際、世の中には、現実世界より想像世界の方がリアリティが高いという人間が、普通の人の予想より多くいる。
そんな人(現実世界より想像世界にリアリティを感じている人)は、芸術家になって成功することもあるが、たとえそうであっても、変人奇人扱いされかねない。
だが、普通の人と見なされている人だって、「あれ、あの出来事は、現実に起こったことなのか、想像したことか分からないぞ」と思うことがある。
そんなことが頻繁に起こる人は、想像世界のリアリティが、現実世界ほどではなくても高いのである。
そんな人は、普通、夢想家と呼ばれるが、想像世界のリアリティが現実世界のリアリティを超えれば、現実世界と想像世界が入れ替わる。
改めて言えば、現実世界とは、リアリティが高い想像世界である。
心理学者の岸田秀氏が、全ては幻想だという意味の「唯幻論」について本を出した時、ある男が岸田氏の職場の大学に押しかけ、岸田氏を殴り、
「全て幻想なら痛くないだろ?」
と言ったというが、この男はとんでもない思い違いをしている。
岸田氏も、もちっと分かり易く書けば良かったかもしれない。世の中には頭が悪い人が多いのだから。
想像と幻想を同じ意味とすれば、現実世界だって、単に、リアリティが高いというだけの幻想である。
しかし、リアリティが高ければ、幻想であっても(幻想しかないのだが)、殴られれば痛いのが一般的である(必ずしも痛くなくて良いが)。
一方、リアリティが低い幻想世界(それを我々は想像世界と言う)であれば、殴られても痛くないのが一般的だ(こちらも、痛い場合もある)。
中国の古典『列子』に、一種の想像世界(幻想世界とも言える)である夢のリアリティが高い王様と奴隷の話がある。
王様は、夢で奴隷になるので不幸だと言い、奴隷は、夢で王様になるから幸福だと言う。
この話の落ちはこうだ。
王様が、その奴隷の待遇を改善してやると、自分も夢の世界で幸福になる。
これは、リアリティが低い世界で行ったことの作用が、リアリティの高い世界で起こることを示している。
つまり、我々で言えば、リアリティが低い世界である想像の世界で人々に恩恵を与えれば、現実世界で人々に愛される。
これが、本当の引き寄せの奥義である。
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