ロバート・モンローの『魂の体外旅行』に、こんなような話があったと思う。
ある人のペットの犬か猫が死んだ。
その人は悲観に暮れ、死んだペットを憐れむ。
で、やり直し。
次は、その人は自分を責めさいなんだ。「僕がもっとしっかりしていれば!」
で、やり直し。
次は、その人は、悲しくはあったが、思った。「これでいい。さよなら。ありがとう」
で、クリア。
ちょっとゲームみたいだ。
あなたも、こんなふうに、同じ経験、あるいは、似た別の経験を繰り返している。
クリアするまで。
クリアする呪文は「完璧だ」だ。
上の人も、一言「完璧だ」と言えばクリアできた。まあ、最後のはそれに近いので合格だった。
あなたは、何があろうが、それがベストな出来事だという判定「完璧だ」を言えば、そのステージをクリアし、、もっと楽しい次のステージに進む。
こう言うと、必ずこんなふうな反発を受ける。
「これが完璧だって?お前はこんな経験をしたことがないから、そんな気楽なことが言えるのだ」
「よくもこんなのが完璧だって言えるわね。この人でなし」
まあ、そう言いたい気持ちも少しは分かるのだ。
だって、世の中が理不尽なものだということは、割と知っているからね。
だが、「完璧だ」って言わないと、同じことを繰り返すのだ。
しかし、口先だけでも「完璧だ」って言えば、どんな出来事が起こっても、それが完璧であることが分かって来る。
分かってしまえば、悪いことは起こらなくなる。
まあ、うっかり心を曇らせると、その曇りを拭うために、また悪いことが起こるかもしれないが。その時はまた「完璧だ」と言えば良いのである。
何か悪いことが起こったら、あるいは、良いことが起こったら、あるいは、別にどっちでもない何かが起こったら、「完璧だ」と言う(あるいは心で想う)ようにすれば良い。
あるいは、何の脈絡もなくても、「完璧だ」と口ぐせのように言えば、もっと良いのである。
ある人のペットの犬か猫が死んだ。
その人は悲観に暮れ、死んだペットを憐れむ。
で、やり直し。
次は、その人は自分を責めさいなんだ。「僕がもっとしっかりしていれば!」
で、やり直し。
次は、その人は、悲しくはあったが、思った。「これでいい。さよなら。ありがとう」
で、クリア。
ちょっとゲームみたいだ。
あなたも、こんなふうに、同じ経験、あるいは、似た別の経験を繰り返している。
クリアするまで。
クリアする呪文は「完璧だ」だ。
上の人も、一言「完璧だ」と言えばクリアできた。まあ、最後のはそれに近いので合格だった。
あなたは、何があろうが、それがベストな出来事だという判定「完璧だ」を言えば、そのステージをクリアし、、もっと楽しい次のステージに進む。
こう言うと、必ずこんなふうな反発を受ける。
「これが完璧だって?お前はこんな経験をしたことがないから、そんな気楽なことが言えるのだ」
「よくもこんなのが完璧だって言えるわね。この人でなし」
まあ、そう言いたい気持ちも少しは分かるのだ。
だって、世の中が理不尽なものだということは、割と知っているからね。
だが、「完璧だ」って言わないと、同じことを繰り返すのだ。
しかし、口先だけでも「完璧だ」って言えば、どんな出来事が起こっても、それが完璧であることが分かって来る。
分かってしまえば、悪いことは起こらなくなる。
まあ、うっかり心を曇らせると、その曇りを拭うために、また悪いことが起こるかもしれないが。その時はまた「完璧だ」と言えば良いのである。
何か悪いことが起こったら、あるいは、良いことが起こったら、あるいは、別にどっちでもない何かが起こったら、「完璧だ」と言う(あるいは心で想う)ようにすれば良い。
あるいは、何の脈絡もなくても、「完璧だ」と口ぐせのように言えば、もっと良いのである。
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他に、呪文・真言も唱えてはいますが。
うちは日蓮宗の檀家に※なったので、仏壇やお墓の前では「南無妙法蓮華経」ですし、光明真言や、阿弥陀如来や観音菩薩等、諸尊の真言、 「アマテラスオオミカミ」「アジマリカン」や「ひふみよいむななやここのとお ふるべゆらゆら」「コソタクマヤタク」等の神道由来の呪文も自由に唱えてます。
※祖父母は日蓮正宗(S学会但し1代のみ)でしたが、正宗はクリスマスは勿論、神社参拝はダメ、ダルマも破魔矢もNGと色々とうるさいので、父(殆ど無宗教)の死去の機会に、近くにお寺がある日蓮宗に宗旨変えしました。お坊さんに「自分は待乳山聖天等の天部に祈ったりしてるが良いでしょうか?と尋ねたところ、「うちの住職も祈ってるのでOK♪」(まじ?と思いました)とのことでした。
それらはこの世界の天部や天使とつながるための強力なコールサイン(パワーコール?)として大事に使い、
彼(漫画家・神=自分)の作った世界の大元と直結して認識し、自由にガラリと変えてしまう(違うパラレルワールドにシフトする)キーとして「完璧だ」を常に胸に抱いていようと、今は思っています。
……また変わるかもしれませんが。