ソクラテスが、「私は人類の中で一番知恵がある」と言ったのは、単に、それを確認したからで、ソクラテスが人類最高の知恵の持ち主と言ったのは、そう神託を受けた巫女だった。
謙虚な人間であれば、「あなたは賢い」と言われたら、「いえ、そんなことはありません」と否定するし、ましてや、「人類で一番」などと言われたら、「ひぇー!とんでもございませんやダンナ!」とでも言いたくなるだろう。
実は、ソクラテスもそうだったが、信託に逆らうわけにもいかない。
それで、とりあえず、自分より知恵がある人間を1人見つけ、再び神託を仰ごうとした。すぐに見つかるはずだった。
ところが、いくら探しても、自分より知恵がある人間が見つからないので、ソクラテスは神託を受け入れた。
確かに、私が一番知恵がある。
では、ソクラテスは、何を持って、自分と他者のどちらが知恵があると判断したのだろうか?
簡単だ。
「自分には知恵がない」と思っている方が知恵があるのだ。
ソクラテスが訪ねた、有名な科学者、技術者、文学者、芸術家たちは、皆、自分の能力は自分が持っているものだと思っていた。
しかし、ソクラテスは、自分の能力は、誰でもやる日常的なものを除き、自分のものではなく、内なる神の力だと「分かっていた」。
ところで、何でも同じだが、人間が知恵を選ぶのではなく、知恵が人間を選ぶのである。
では、どんな人間を知恵が選ぶのかというと、自分には知恵がないと知っている者である。
引き寄せも同じで、人間が引き寄せの力を選ぶのではなく、引き寄せの力の方で人を選ぶのである。
そして、どんな人が引き寄せの力に選ばれるのかというと、自分には引き寄せの力がないと分かっている人である。
丁度、イエスが、「私には出来ない。だが、神に出来ないことはない」と言ったようにである。
別の言い方をすれば、
「私(顕在意識)には出来ない。だが、潜在意識に出来ないことはない」
「私(個人意識)には出来ない。だが、宇宙意識に出来ないことはない」
「私個人の力には出来ない。だが、宇宙の活力に出来ないことはない」
である。
アメリカ映画などではよく「君には出来る」「お前なら出来る」と言う。
だが、そんなことを言われ、信じたら出来ないのである。
だから、説得力ある人間に、「君なら出来るよ」と言われたら災難である(笑)。
期待されているが、自分に出来るとは思えない。しかし、やるしかないので、とりあえず、何も考えずにやってみる。
そんな時にうまくいくのである。
だから、本当に良い指導者は、「失敗してもいいからやってみろ」と言うのである。
『その望みは宇宙がかなえてくれる』で、著者ベルベル・モーアが、友達から、「宇宙に注文したら叶う」と言われ、馬鹿馬鹿しいと思ったが、とりあえずやってみた。
この状況が、上の「とりあえず、何も考えずにやった」と同じである。
モーアは、「〇〇月××日までに、以下の条件の彼氏頂戴」と宇宙に注文した。かなり無茶な条件だった。
彼女は、注文のことは忘れたが、ちゃんと期日までに、注文通りの品・・・じゃなく、彼氏が届いた(笑)。
彼女は、自分に出来るとは全く思っていなかった。だから叶ったのである。
それに、彼女は別に、宇宙を疑っているわけではない。
ソクラテスも同じで、単に、自分に知恵がないと分かっていただけである。
「私には出来ない。だが、神に出来ないことはない」
イエスのこの言葉を、ただ言葉として憶えていると良い。
謙虚な人間であれば、「あなたは賢い」と言われたら、「いえ、そんなことはありません」と否定するし、ましてや、「人類で一番」などと言われたら、「ひぇー!とんでもございませんやダンナ!」とでも言いたくなるだろう。
実は、ソクラテスもそうだったが、信託に逆らうわけにもいかない。
それで、とりあえず、自分より知恵がある人間を1人見つけ、再び神託を仰ごうとした。すぐに見つかるはずだった。
ところが、いくら探しても、自分より知恵がある人間が見つからないので、ソクラテスは神託を受け入れた。
確かに、私が一番知恵がある。
では、ソクラテスは、何を持って、自分と他者のどちらが知恵があると判断したのだろうか?
簡単だ。
「自分には知恵がない」と思っている方が知恵があるのだ。
ソクラテスが訪ねた、有名な科学者、技術者、文学者、芸術家たちは、皆、自分の能力は自分が持っているものだと思っていた。
しかし、ソクラテスは、自分の能力は、誰でもやる日常的なものを除き、自分のものではなく、内なる神の力だと「分かっていた」。
ところで、何でも同じだが、人間が知恵を選ぶのではなく、知恵が人間を選ぶのである。
では、どんな人間を知恵が選ぶのかというと、自分には知恵がないと知っている者である。
引き寄せも同じで、人間が引き寄せの力を選ぶのではなく、引き寄せの力の方で人を選ぶのである。
そして、どんな人が引き寄せの力に選ばれるのかというと、自分には引き寄せの力がないと分かっている人である。
丁度、イエスが、「私には出来ない。だが、神に出来ないことはない」と言ったようにである。
別の言い方をすれば、
「私(顕在意識)には出来ない。だが、潜在意識に出来ないことはない」
「私(個人意識)には出来ない。だが、宇宙意識に出来ないことはない」
「私個人の力には出来ない。だが、宇宙の活力に出来ないことはない」
である。
アメリカ映画などではよく「君には出来る」「お前なら出来る」と言う。
だが、そんなことを言われ、信じたら出来ないのである。
だから、説得力ある人間に、「君なら出来るよ」と言われたら災難である(笑)。
期待されているが、自分に出来るとは思えない。しかし、やるしかないので、とりあえず、何も考えずにやってみる。
そんな時にうまくいくのである。
だから、本当に良い指導者は、「失敗してもいいからやってみろ」と言うのである。
『その望みは宇宙がかなえてくれる』で、著者ベルベル・モーアが、友達から、「宇宙に注文したら叶う」と言われ、馬鹿馬鹿しいと思ったが、とりあえずやってみた。
この状況が、上の「とりあえず、何も考えずにやった」と同じである。
モーアは、「〇〇月××日までに、以下の条件の彼氏頂戴」と宇宙に注文した。かなり無茶な条件だった。
彼女は、注文のことは忘れたが、ちゃんと期日までに、注文通りの品・・・じゃなく、彼氏が届いた(笑)。
彼女は、自分に出来るとは全く思っていなかった。だから叶ったのである。
それに、彼女は別に、宇宙を疑っているわけではない。
ソクラテスも同じで、単に、自分に知恵がないと分かっていただけである。
「私には出来ない。だが、神に出来ないことはない」
イエスのこの言葉を、ただ言葉として憶えていると良い。
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