ある武道の達人は、人間を一目見れば、どんな人間でも、それが武道家であれば実力を、それ以外の者でも、その人品が簡単に分かるという。
それが本当かどうかは分からないが、我々だって、それ(その人間がどんな人物か)が分かると思える時がある。
特に、極めて優れた人間の場合や、逆に、極めて下等な人間の場合、その隠しようのない人間性が分かってしまうのである。
確かに、それが勘違いであるかもしれないし、詐欺師には、立派な人間を装うのが上手い者がいるという話も聞く。
しかし、我々だって、虚心に、偏見のない目で見れば、やはり、その人間がどんな人間かが分かるのではないかと思うのだ。
ラルフ・ウォルドー・エマーソンも、人間は、本来、人の内面を見抜く能力があり、人間は、自分がどんな人間か書かれた看板を頭上に掲げているようなものだと述べている。
あくまで個人的な感覚で、偏見であるかもしれないが、私は、河野太郎や岸田文雄らは嘘つきにしか見えず、彼らが「ワクチンを打ちましょう」とにっこり笑って言えば、ああ、これは絶対に打ってはならないなとしか思えないのだが、他の人がそうでないのが不思議だ。
・・・いや、あくまで冗談ということにしておく(笑)。
そんな私のような者ではなく、最初に挙げた武道家のような、真に、人の審美眼に優れた人間に認められるようになれば、人間としての本当の力がついたということと思う。
人間としての本当の力とは、神のような力であり、簡単に言えば、引き寄せの力である。
では、どうすれば、本当に優れた人間の雰囲気をまとえるのだろうか?
私が好きな話に、こんなものがある。
江戸時代、ある武士が1人の町人に目を留め、その町人に歩み寄って問うた。
「お前は何者だ?」
その武士が初めて見る、一見ごく普通の町人であったが、この武士がそう問うには、それだけの理由があったのだ。
しかし、その町人は、自分はただの町人であると言う。
だが武士は、
「これでも人を見る目には自信がある。その立ち居振る舞い、尋常にあらず。ただ者のはずがない」
と食い下がる。武士には、それほどの確信があったのだ。
町人は、やはり自分はただの町人であると言うが、ただ、人と違ったところがあるとしたら、毎夕、墓地に行くことだと言う。
彼は、幼い時から、ひどく臆病で、それを少しでも治そうと、毎夕、欠かさず、墓地に行くのだと言う。
最初に述べた武道家とは、実は、合気道家の塩田道三のことだが、彼は、本当の達人だったのだと思う。
そして、同時代の武道家に、佐川幸義という、大東流合気柔術の、やはり、凄い達人がいた。
おかしなたとえだが、少し昔、インドに、ラマナ・マハルシという有名な大聖者がいたが、その同時代に、ニサルガダッタ・マハラジという、こちらは全く無名だったが、やはり大聖者がいた。
マハラジは、マハルシに会ったことはなかったが、お互い相手を見れば、真我を実現した(解脱した、あるいは、悟りを開いた)者であることが分かると言っていたようだ。
佐川幸義は、自分が考案した佐川流四股を、毎日、千回とも二千回とも、あるいは、それ以上、踏んでいて、四股を踏ながら死ぬことが出来ると言ったらしい。
そして、弟子にも四股を踏ませたが、熱心に四股を踏んだ弟子は驚くほど強くなったが、その弟子が気付かないうちに強くなっていたという話もある。
佐川流四股は秘伝で、外部には公開されなかったが、今は、佐川幸義のお弟子さんの中に、そのやり方を真面目な想いで公開している人もいる。
ただ、佐川幸義の弟子同士でも、やり方が異なる場合があり、また、佐川幸義自身も、弟子に、明確にやり方を教えたわけではないらしい。
しかし、各自で工夫してやれば良いのだと思う。
ちなみに、私は、ややユニークなやり方で、佐川流四股をやる人物に尋ねたら、そのやり方の由来を教えて下さり、それはそれで良いものだと思った。
しかし、正当なやり方は、やはり、下に紹介した書籍や雑誌(最後の本は除く)に書かれているものに近いと思われ、実践するなら、それらを参考に、後は自分で工夫してやるべきだろう。
そして、この四股も、本当に熱心にやれば、特に人を見る目のある人物に感銘を与えるほどの人間になれるかもしれない。
それも、優れた個性であろう。
そんなわけで、私も毎日、少なくとも千回は四股を踏んでいるが、よろしければやられればと思う。
足腰が抜群に強くなり、バランス感覚も磨かれて俊敏に動けるようになり、美容にも素晴らしい効果があると思う。
それが本当かどうかは分からないが、我々だって、それ(その人間がどんな人物か)が分かると思える時がある。
特に、極めて優れた人間の場合や、逆に、極めて下等な人間の場合、その隠しようのない人間性が分かってしまうのである。
確かに、それが勘違いであるかもしれないし、詐欺師には、立派な人間を装うのが上手い者がいるという話も聞く。
しかし、我々だって、虚心に、偏見のない目で見れば、やはり、その人間がどんな人間かが分かるのではないかと思うのだ。
ラルフ・ウォルドー・エマーソンも、人間は、本来、人の内面を見抜く能力があり、人間は、自分がどんな人間か書かれた看板を頭上に掲げているようなものだと述べている。
あくまで個人的な感覚で、偏見であるかもしれないが、私は、河野太郎や岸田文雄らは嘘つきにしか見えず、彼らが「ワクチンを打ちましょう」とにっこり笑って言えば、ああ、これは絶対に打ってはならないなとしか思えないのだが、他の人がそうでないのが不思議だ。
・・・いや、あくまで冗談ということにしておく(笑)。
そんな私のような者ではなく、最初に挙げた武道家のような、真に、人の審美眼に優れた人間に認められるようになれば、人間としての本当の力がついたということと思う。
人間としての本当の力とは、神のような力であり、簡単に言えば、引き寄せの力である。
では、どうすれば、本当に優れた人間の雰囲気をまとえるのだろうか?
私が好きな話に、こんなものがある。
江戸時代、ある武士が1人の町人に目を留め、その町人に歩み寄って問うた。
「お前は何者だ?」
その武士が初めて見る、一見ごく普通の町人であったが、この武士がそう問うには、それだけの理由があったのだ。
しかし、その町人は、自分はただの町人であると言う。
だが武士は、
「これでも人を見る目には自信がある。その立ち居振る舞い、尋常にあらず。ただ者のはずがない」
と食い下がる。武士には、それほどの確信があったのだ。
町人は、やはり自分はただの町人であると言うが、ただ、人と違ったところがあるとしたら、毎夕、墓地に行くことだと言う。
彼は、幼い時から、ひどく臆病で、それを少しでも治そうと、毎夕、欠かさず、墓地に行くのだと言う。
最初に述べた武道家とは、実は、合気道家の塩田道三のことだが、彼は、本当の達人だったのだと思う。
そして、同時代の武道家に、佐川幸義という、大東流合気柔術の、やはり、凄い達人がいた。
おかしなたとえだが、少し昔、インドに、ラマナ・マハルシという有名な大聖者がいたが、その同時代に、ニサルガダッタ・マハラジという、こちらは全く無名だったが、やはり大聖者がいた。
マハラジは、マハルシに会ったことはなかったが、お互い相手を見れば、真我を実現した(解脱した、あるいは、悟りを開いた)者であることが分かると言っていたようだ。
佐川幸義は、自分が考案した佐川流四股を、毎日、千回とも二千回とも、あるいは、それ以上、踏んでいて、四股を踏ながら死ぬことが出来ると言ったらしい。
そして、弟子にも四股を踏ませたが、熱心に四股を踏んだ弟子は驚くほど強くなったが、その弟子が気付かないうちに強くなっていたという話もある。
佐川流四股は秘伝で、外部には公開されなかったが、今は、佐川幸義のお弟子さんの中に、そのやり方を真面目な想いで公開している人もいる。
ただ、佐川幸義の弟子同士でも、やり方が異なる場合があり、また、佐川幸義自身も、弟子に、明確にやり方を教えたわけではないらしい。
しかし、各自で工夫してやれば良いのだと思う。
ちなみに、私は、ややユニークなやり方で、佐川流四股をやる人物に尋ねたら、そのやり方の由来を教えて下さり、それはそれで良いものだと思った。
しかし、正当なやり方は、やはり、下に紹介した書籍や雑誌(最後の本は除く)に書かれているものに近いと思われ、実践するなら、それらを参考に、後は自分で工夫してやるべきだろう。
そして、この四股も、本当に熱心にやれば、特に人を見る目のある人物に感銘を与えるほどの人間になれるかもしれない。
それも、優れた個性であろう。
そんなわけで、私も毎日、少なくとも千回は四股を踏んでいるが、よろしければやられればと思う。
足腰が抜群に強くなり、バランス感覚も磨かれて俊敏に動けるようになり、美容にも素晴らしい効果があると思う。
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武術をされている訳でもない(?)のに、佐川流四股に行き着いたというだけで、「一目で」(実際にお目にかかったことはありませんが・・・)ただ者ではない、達人であると思わざるを得ません。
差支えなければ、いつか、どういった経緯で佐川流四股をされるようになったものか、教えて頂けますと幸甚です。