同じ目標を持つ者が百人いることが確信出来るなら、その目標は平凡で、権力者に持たされただけの目標で、奴隷の目標だ。
たとえば、金メダルや受験の合格なら、数え切れないほど、沢山の人が目標にしている。
1憶円?
似たような目標を持つ者が日本の人口程いそうだ(笑)。
こういった目標を持つ者は、個性的ではなく、凡庸で、汚水に湧くボウフラのような者達だ。
単に楽しいなら目指しても別に構わないが、その場合は、こだわらず、なりゆきに任せることだ。
では、世界平和は?
口で言うだけなら、やはり、アメリカの人口程いそうだ(笑)。
「いや、俺は口先だけではなく、本当に世界平和を願っている」
と言うなら、嘘つきか馬鹿かのどちらかだ。
トランプ大統領だって、そんなことは言ったことはない。
人間は、直接に世界平和を願うようには、出来ていない。
単に、自分や家族のために、そう願うだけなのだ。
仕事仲間の平和を本当に願える人が偉大な経営者になれ、国の平和を本当に願える人がい偉大な政治家になるが、そのあたりが限度だ。
人間は、実際には、他人の幸福には関心がない。
たとえば、テレビで、可哀想な子供を見て、「可哀そうに!」と言って涙する人は少なくないが、すぐに忘れて美味しいものを食べることに血道を上げているではないか?
平凡な目標を持つ平凡な人間になってはならない。
そんな者は、人生を自在に支配する自由な人間にはなれない。

ところで、『ヒマラヤ聖者の生活探求』の中で、人間の秘められた偉大な力を開発した大師達に会い、そんな太師達と同じになるまでは、大師達のところに留まり、アメリカに帰らないと誓った人達の話がある。
そんな目標を持つ者も、百人どころか、かなり大勢いるだろう。
しかし、そんな人達が沢山いることを、あなたは、頭では分かっても、確信はしないと思う。
そうであるなら、それは個性的な目標だ。
もちろん、本気でそれを目指すならだ。
本気で目指すとは、内なる衝動を感じるということであり、そんな人は、その目標を一般の人に言ったりはしない。

一応言っておくと、金メダルを取るとか1憶円という目標でも、同じ目標を持っている人間が百人いることが確信出来ないなら、それは個性的な目標なのである。
頭では、同じ目標を持っている人間が沢山いることは分かっても、異なる動機でそれを得ようとしているなら、他の者達が自分と同じことを目指しているとは感じないからだ。

個性的な人間の目標とは、こういったものである。
参考になればと思う。








  
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