昨夜(つまり、これを書いている少し前)、かなりユニークな夢を見た。
実際の夢の内容は、私は記憶していない部分が多いが、ざっくりではこんな内容だ。
ある謎の男がいて、科学者だか神秘家なのか分からないが(一番近いのがイカサマ師という印象であったが)、彼は、人に不思議なスキルを与えることが出来る。
人に与えると言っても、見ていたら、与えるのは少女だけ、それも、美少女だけなのだが、別に、妙な意図があるのではなく、美少女の特性を拡張・増大させるスキルであるのだろうと思った。
そのスキルは、「微笑みで癒しを与えるスキル」で、美少女が微笑みで癒しを与えるなんて、アイドル的で平凡と思うかもしれないが、その力が半端なかった。
スキルを与えられた美少女の微笑みを見ると、本当に癒される・・・不安が瞬間に消滅するのである。
私も、その微笑みを見て、その威力に驚いた。
モナリザの微笑みなど比較にならない・・・というか、あのおばさんの微笑みで癒されるのは、相当通な人だけだろう(と思う)。
ところで、スピリチュアル思想の影響か、不安を取り除くことが出来れば、人間の問題が全て解決すると思っている人が多いかもしれない。
それを示す象徴的なお話がある。
心理学者のアレクサンダー・ロイド博士が、講演中に、会場の1人の女性に夢を尋ねたら「100万ドル(約1憶3千万円)」ということだった。
ロイド博士がその女性に、「100万ドルで何をしたいのですか?」と尋ねると、女性は、「100万ドルがあったら不安がなくなる」と答えた。
そこで、ロイド博士は、エネルギー療法で、女性の不安を取り除いた。
それで、その女性は、本当の夢は不安をなくすこと、即ち、安心することで、100万ドルではなかったことを理解した。
(尚、エネルギー療法とは、ロイド博士の著書『「潜在意識」を変えれば、すべてうまくいく』にあるもので、両手を胸に重ねる、あるいは、重ねた手をどちら回りでも良いが胸の上で滑るようにゆっくり回転させるというものだ)
では、この、エネルギー療法で不安を取り除いた女性は、幸福になっただろうか?
つまり、成功した・・・これは曖昧な表現で、はっきり言うなら、引き寄せが自在になっただろうか?
それはない。
多くの人が勘違いしている。
安心することがゴールなのではない。
それ(安心がゴールであること)は宗教で、宗教が人を幸福にすることはない。
最初に、スキル「不安を消す微笑み」を美少女に与える男がイカサマ師に見えると書いたが、本当にイカサマ師だ。
近藤真彦さんのミリオンヒット曲『ミッドナイト・シャッフル』に、「天使のような悪魔の笑顔」という印象的なフレーズがあったが(古いか)、このイカサマ師が美少女に与えたスキルは、そんなものかもしれない。
つまり、不安を消しても、再び、不安に飲み込まれるのは目に見えている。
世間は・・・大衆の集団意識は、あらゆる人間を飲み込み、不安で縛り、凡庸な人間にしてしまうのである。
そうならないためには、集団意識に飲み込まれない強い個性を持つしかない。
有名なロイド博士も、その点に気付いていないようだ。
彼は、『「潜在意識」を変えれば、すべてうまくいく』以前から、癒しの方法を多くの人々に教えてきたが、彼が儲かり続けているということは、人々の問題が解決していないということだ。
それはそうだ。
彼が出来るのは、一時的に不安を消すことだけだ。
生涯に渡って不安を持たないためには、自分で個性を磨くしかない。
これは、ナントカ療法一発で出来るようなことではない。
人々の方も、「スイッチ1つ押せばOK」的な「ナントカ療法」を求めるから、ニーズには合っているので、ロイド博士は儲かるし、一時的には感謝される。
だが、私は、ロイド博士が話すのをYouTube動画で見たが、あれは誠実な人間の顔ではないと思った。
師を超えない弟子は個性的ではない。
そもそも、いつまでも師のところにいる弟子は個性を殺されているのだ。
イエスや釈迦を崇敬はしても、コピーしようとしてはならない。
コピーしようとするのが宗教である。
禅語の中にも、「釈迦や弥勒に出会ったら、棒で殴り殺してやる」という物騒なものがある。
宮本武蔵だって、「神に出会えば神を切り、仏に出会えば仏を切る」と書いている。
つまり、「俺は真似はせん。オリジナルでいく」と言っているのである。
個性を磨くには、好きなことを寝食を忘れてやるのが一番である。
「好きなことを見つけるのが難しいんですよねー」と言う者は、〇〇して△△してろである(下品で言えない 笑)。
そんなことを言う者を、誰も(神も)助けてくれない。
「自分でいる」とは、平凡でぼーっとしていることではない。
個性的であるということだ。
ただし、世間や権力者の言う「個性的」は全力で無視しないとロボットにさせられる。
「君が君でいる」とは、「君が個性的である」ということだ。
岡田虎二郎が、金に窮しているという男に「金?金は腹に力がつけばいくらでも出来ますよ」と言ったという。
この「腹に力がつく」とは、「個性的になる」ということだ。
虎ちゃんも、もっとちゃんと言えよと言いたい。
つまり、大切なことは、岡田式静坐をやることではなく、自分が好きなことをすることである。
もちろん、岡田虎二郎は、方便として岡田式静坐法を作ったのであり、その先どうするかは、岡田の責任ではない。
勝手な想像だが、彼も落胆したのかもしれない。
誰も彼を超えないのだから。
ちなみに、岡田が開眼したのは小学生の時、ルソーの『エミール』の前書きを読んだのがきっかけだった。
実は、ルソーは、『エミール』は前書きの部分だけ書く気だったらしい。
実際の夢の内容は、私は記憶していない部分が多いが、ざっくりではこんな内容だ。
ある謎の男がいて、科学者だか神秘家なのか分からないが(一番近いのがイカサマ師という印象であったが)、彼は、人に不思議なスキルを与えることが出来る。
人に与えると言っても、見ていたら、与えるのは少女だけ、それも、美少女だけなのだが、別に、妙な意図があるのではなく、美少女の特性を拡張・増大させるスキルであるのだろうと思った。
そのスキルは、「微笑みで癒しを与えるスキル」で、美少女が微笑みで癒しを与えるなんて、アイドル的で平凡と思うかもしれないが、その力が半端なかった。
スキルを与えられた美少女の微笑みを見ると、本当に癒される・・・不安が瞬間に消滅するのである。
私も、その微笑みを見て、その威力に驚いた。
モナリザの微笑みなど比較にならない・・・というか、あのおばさんの微笑みで癒されるのは、相当通な人だけだろう(と思う)。
ところで、スピリチュアル思想の影響か、不安を取り除くことが出来れば、人間の問題が全て解決すると思っている人が多いかもしれない。
それを示す象徴的なお話がある。
心理学者のアレクサンダー・ロイド博士が、講演中に、会場の1人の女性に夢を尋ねたら「100万ドル(約1憶3千万円)」ということだった。
ロイド博士がその女性に、「100万ドルで何をしたいのですか?」と尋ねると、女性は、「100万ドルがあったら不安がなくなる」と答えた。
そこで、ロイド博士は、エネルギー療法で、女性の不安を取り除いた。
それで、その女性は、本当の夢は不安をなくすこと、即ち、安心することで、100万ドルではなかったことを理解した。
(尚、エネルギー療法とは、ロイド博士の著書『「潜在意識」を変えれば、すべてうまくいく』にあるもので、両手を胸に重ねる、あるいは、重ねた手をどちら回りでも良いが胸の上で滑るようにゆっくり回転させるというものだ)
では、この、エネルギー療法で不安を取り除いた女性は、幸福になっただろうか?
つまり、成功した・・・これは曖昧な表現で、はっきり言うなら、引き寄せが自在になっただろうか?
それはない。
多くの人が勘違いしている。
安心することがゴールなのではない。
それ(安心がゴールであること)は宗教で、宗教が人を幸福にすることはない。
最初に、スキル「不安を消す微笑み」を美少女に与える男がイカサマ師に見えると書いたが、本当にイカサマ師だ。
近藤真彦さんのミリオンヒット曲『ミッドナイト・シャッフル』に、「天使のような悪魔の笑顔」という印象的なフレーズがあったが(古いか)、このイカサマ師が美少女に与えたスキルは、そんなものかもしれない。
つまり、不安を消しても、再び、不安に飲み込まれるのは目に見えている。
世間は・・・大衆の集団意識は、あらゆる人間を飲み込み、不安で縛り、凡庸な人間にしてしまうのである。
そうならないためには、集団意識に飲み込まれない強い個性を持つしかない。
有名なロイド博士も、その点に気付いていないようだ。
彼は、『「潜在意識」を変えれば、すべてうまくいく』以前から、癒しの方法を多くの人々に教えてきたが、彼が儲かり続けているということは、人々の問題が解決していないということだ。
それはそうだ。
彼が出来るのは、一時的に不安を消すことだけだ。
生涯に渡って不安を持たないためには、自分で個性を磨くしかない。
これは、ナントカ療法一発で出来るようなことではない。
人々の方も、「スイッチ1つ押せばOK」的な「ナントカ療法」を求めるから、ニーズには合っているので、ロイド博士は儲かるし、一時的には感謝される。
だが、私は、ロイド博士が話すのをYouTube動画で見たが、あれは誠実な人間の顔ではないと思った。
師を超えない弟子は個性的ではない。
そもそも、いつまでも師のところにいる弟子は個性を殺されているのだ。
イエスや釈迦を崇敬はしても、コピーしようとしてはならない。
コピーしようとするのが宗教である。
禅語の中にも、「釈迦や弥勒に出会ったら、棒で殴り殺してやる」という物騒なものがある。
宮本武蔵だって、「神に出会えば神を切り、仏に出会えば仏を切る」と書いている。
つまり、「俺は真似はせん。オリジナルでいく」と言っているのである。
個性を磨くには、好きなことを寝食を忘れてやるのが一番である。
「好きなことを見つけるのが難しいんですよねー」と言う者は、〇〇して△△してろである(下品で言えない 笑)。
そんなことを言う者を、誰も(神も)助けてくれない。
「自分でいる」とは、平凡でぼーっとしていることではない。
個性的であるということだ。
ただし、世間や権力者の言う「個性的」は全力で無視しないとロボットにさせられる。
「君が君でいる」とは、「君が個性的である」ということだ。
岡田虎二郎が、金に窮しているという男に「金?金は腹に力がつけばいくらでも出来ますよ」と言ったという。
この「腹に力がつく」とは、「個性的になる」ということだ。
虎ちゃんも、もっとちゃんと言えよと言いたい。
つまり、大切なことは、岡田式静坐をやることではなく、自分が好きなことをすることである。
もちろん、岡田虎二郎は、方便として岡田式静坐法を作ったのであり、その先どうするかは、岡田の責任ではない。
勝手な想像だが、彼も落胆したのかもしれない。
誰も彼を超えないのだから。
ちなみに、岡田が開眼したのは小学生の時、ルソーの『エミール』の前書きを読んだのがきっかけだった。
実は、ルソーは、『エミール』は前書きの部分だけ書く気だったらしい。
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