賢い人達の間では、学校は、「行かなくて良い」から、「行ってはならない」の認識になりつつある。
それは正しい。
(もちろん、コミュニティに参加することは必要だが、あらゆる年齢のあらゆる職業の人々のいるコミュニティでないと意味がない)
小学校では、入学早々、「前に倣え」、つまり、「前の人と同じようにやれ」と強要され、ロボットにさせられていく。
そして、中学校に入ると、「もう大人なんだから」という言葉を悪用され、厳格に、徹底的にロボット化させられる。
「皆と同じようにするのが大人だ」というわけである。
もちろん、表面上は、小学校でも中学校でも「個性が大事」と言うが、それは、ごく限定された範囲内の、浅いレベルのことで、それを超えると、「幼稚」「わがまま」「素行不良」「問題児」である。

私は、中学校の時、初めて担任を持つという若い女性の教師のクラスになったことがある。
だが、若い教師でありながら、私が、「人と同じでありたくない」と主張すると、困った人間を見る目で私を見て、「そんなのは早く卒業しなさい」と、見下す態度で馬鹿にし、かなり嫌がらせもしてきた。
教師になった時点で、とっくに、徹底的に洗脳され尽くされているのだろう。そうでなくては教師にはなれない。
その教師が、ある時、黒板に書いた文章を私は憶えている。
「平凡なことを平凡にやることが非凡だ」
これは、ノーベル賞作家、アンドレ・ジッドの言葉で、一般には、
「平凡なことを毎日平凡な気持ちで実行することが、すなわち非凡なのである」
と知られている。
・・・と、実は、今、検索して知ったのだが(笑)。
これも、教師による名言の悪用である。
少なくとも、この言葉は「人と同じにやれ」という意味には全くとれない。
そもそも、翻訳の言葉は、元の意味が全く不明なことが多いが、この言葉もそうである。
「小さなことをコツコツやることが大事」
「当たり前のことを当たり前にやることが大事」
というなら分かる。
しかし、「平凡」と「小さなこと」「コツコツ」「当たり前」は同じではない。
たとえば、「テレビを見ること」は、今でも平凡なことだが、こんなことを「毎日平凡な気持ちで実行」するのは馬鹿である。
もし、ジッドのこの言葉が、元々は良い言葉であるのなら、翻訳が拙かったのだろう。それも、かなり。

あの教師が「平凡なことを平凡にやることが非凡だ」と教えてくれたことはありがたいと思う。
だって、おかげで、
「平凡なことを平凡にやる」
とは、
「平凡な人達と同じにやる」
という意味で、それはすなわちロボットであるということで、それが学校教育の目的であることが明確になったからだ。
おかげで、私は中学2年で学校と(精神的に)縁を切れた。

そもそも、何かをするのに「平凡に」という言い方は、言葉の使い方の完全な間違いである。
あなたは平凡に歩くだろうか?
あなたは平凡にコーヒーを飲むだろうか?
あなたは平凡に勉強するだろうか?
あなたは平凡に練習するだろうか?
言葉の使い方のおかしさは歴然としている。
このジッドの言葉も、頭のおかしいやつか(はっきり言って馬鹿か)、闇の支配者の配下の者が翻訳したのだろう・・・まあ、冗談だが、そう考えて全くおかしくない。








  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ