ほんの10年ほど前は、世の中の情報の99%がデジタル情報で、1%がアナログ情報だと言われていた。
世界には、膨大な数の書籍や印刷された、あるいは、手書きされた情報、あるいは、アナログレコードやカセットテープに記録されたアナログの音楽情報があるが(レコードやテープにデジタル情報を記録することも可能だが、今はほぼない)、そんなアナログデータが10年ほど前は全情報の1%だったわけだ。
もちろん、コンピューターが登場するまでは、記録される情報の全てはアナログだった。
昔の王様が「わしの国の図書館には膨大な数の本がある。つまり、無限とも言える人類の知識があるのじゃ」と自慢していたよりはるかに多い情報が、10年前にはすでに、個人のパソコンやスマートフォンの中に入っていた。
しかし、今や、世の中の全情報のアナログデータは、おそらく、0.1%にもならないと思う。
アナログデータが減ったというより、デジタルデータが爆発的に増え続けているわけだ。
メタバース世界という仮想世界では、100%完全なデジタルデータになる。
ただ、解剖学者の養老孟司さんの1989年の著書『唯脳論』にある通り、人間が認識している世界は、脳内の情報だけで、実際に世の中がどうなっているかは分からない。
とはいえ、デジタル情報の共有はしているから、完全にそう言えるかは疑問かもしれないが、人間はデジタル情報を感覚で捉えることは出来ず、メタバース世界だろうが、いったん、脳内でアナログに変換してから認識するわけである。
ただし、再度、「とはいえ」だが、脳の情報処理は、実は2進数だ・・・つまり、デジタルだという話もあり、ややこしい。
脳が持てる情報量や処理出来る情報量も数値(つまりデジタル)で表すことが出来るらしいが、スピリチュアル世界では、脳は情報端末に過ぎないという話がある。そして、脳は無限の情報に接続されていると言われ、実際、そう考えないと説明がつかない現象もある。
ただ、脳自体も、いくら研究が進んでいるとはいえ、実際は、未知の部分が圧倒的に多いのだと思う。
メタバースの仮想世界を作るまでもなく、我々は想像で新しい世界をいくつでも作ることが出来る。
そして、それは、単なる空想世界ではなく、現実だということが科学的にもだいたい分かって来ているのだと思う(ここらは解釈の問題があり、反論は可能だが、反論への反論もいくらでも出来る)。
2500年前の中国の古典『列子』に、夢で奴隷になる王様と、夢で王様になる奴隷の話があるが、現実で奴隷と言われている方が幸福度が高かったのである。これは、夢という一種の想像の世界が現実だと言えることを示唆しているが、実際、科学の発達と共に、夢と現実の区別が難しくなってきた。
子供は、とりとめのない空想をするというよりは、案外に固定した空想世界を持っている。
たとえば、1つのイメージに固定された歌手になったり、スポーツ選手になったりだ。
そして、それはもう、現実に、そんな世界があると言って差し支えないかもしれない。
ひょっとしたら、現実世界と空想世界がぐるっとひっくり返り、これまで空想世界と思っていた世界が現実になり、そこで、かつての現実世界を空想するかもしれない。この場合、元の世界も存続はしているのである。
大天才技術者二コラ・テスラは、おそらく、大人になっても、固定した想像世界を持っていて、その想像世界に住む人々と想像上の交流があったという。しかし、それはやはり、現実と変わらないし、ひょっとしたら、現実よりも重要かもしれない。
メーテルリンクの『青い鳥』の中で、チルチルとミチルの兄妹は、亡くなった祖父や祖母がいる世界に行くが、祖父や祖母は「お前達が思い出してくれたら、この世界は動き出す」と言ったが、それは、チルチルとミチルが作り出した世界である。しかし、人間はどこかでつながっていて、個人が持っている世界は、広く共有出来る世界でもある。
ちなみに、メーテルリンクは死後の世界を当然あるものと思っていた。
私も、想像の中で、数百年前の日本のような、平和な村落に時々お邪魔するが、その世界では私は常に居るのだろう。
で、その世界では私は仙人のような存在で万能で、そこの人々に偉そうに引き寄せのメソッドを教えたりするが、実は私が教わる方が多いのである。
その世界では、どんなに可愛い女の子がいても、私はふしだらなことはしないが(笑)、だからこそ可能になることもあるようである。
そんな世界も1つは持っておくと、それがこちらの世界でも高潔な人格として現れるかもしれない。
また、そんな世界は、引き寄せに必要な個性を、この不自由な(と自分で思っている)世界より磨き易い。
また、想像が現実になる世界では、感覚を研ぎ澄ませていれば、引き寄せのコツも掴み易いと思う。
力んでというのではなく、「ちゃんと」空想する大切さを、多くの人は忘れているし、それもまた、学校やテレビの悪影響のようなものと思う。
「空想する暇があったら、先生の言うことをやれ、テレビを見ろ」と言うわけである。
それもあり、多くの人が「ちゃんと」空想(「想像」との違いが難しいが、ここでは区別しない)することが出来なくなっている。
しかし、空想は実は非常に重要なことである。
世界には、膨大な数の書籍や印刷された、あるいは、手書きされた情報、あるいは、アナログレコードやカセットテープに記録されたアナログの音楽情報があるが(レコードやテープにデジタル情報を記録することも可能だが、今はほぼない)、そんなアナログデータが10年ほど前は全情報の1%だったわけだ。
もちろん、コンピューターが登場するまでは、記録される情報の全てはアナログだった。
昔の王様が「わしの国の図書館には膨大な数の本がある。つまり、無限とも言える人類の知識があるのじゃ」と自慢していたよりはるかに多い情報が、10年前にはすでに、個人のパソコンやスマートフォンの中に入っていた。
しかし、今や、世の中の全情報のアナログデータは、おそらく、0.1%にもならないと思う。
アナログデータが減ったというより、デジタルデータが爆発的に増え続けているわけだ。
メタバース世界という仮想世界では、100%完全なデジタルデータになる。
ただ、解剖学者の養老孟司さんの1989年の著書『唯脳論』にある通り、人間が認識している世界は、脳内の情報だけで、実際に世の中がどうなっているかは分からない。
とはいえ、デジタル情報の共有はしているから、完全にそう言えるかは疑問かもしれないが、人間はデジタル情報を感覚で捉えることは出来ず、メタバース世界だろうが、いったん、脳内でアナログに変換してから認識するわけである。
ただし、再度、「とはいえ」だが、脳の情報処理は、実は2進数だ・・・つまり、デジタルだという話もあり、ややこしい。
脳が持てる情報量や処理出来る情報量も数値(つまりデジタル)で表すことが出来るらしいが、スピリチュアル世界では、脳は情報端末に過ぎないという話がある。そして、脳は無限の情報に接続されていると言われ、実際、そう考えないと説明がつかない現象もある。
ただ、脳自体も、いくら研究が進んでいるとはいえ、実際は、未知の部分が圧倒的に多いのだと思う。
メタバースの仮想世界を作るまでもなく、我々は想像で新しい世界をいくつでも作ることが出来る。
そして、それは、単なる空想世界ではなく、現実だということが科学的にもだいたい分かって来ているのだと思う(ここらは解釈の問題があり、反論は可能だが、反論への反論もいくらでも出来る)。
2500年前の中国の古典『列子』に、夢で奴隷になる王様と、夢で王様になる奴隷の話があるが、現実で奴隷と言われている方が幸福度が高かったのである。これは、夢という一種の想像の世界が現実だと言えることを示唆しているが、実際、科学の発達と共に、夢と現実の区別が難しくなってきた。
子供は、とりとめのない空想をするというよりは、案外に固定した空想世界を持っている。
たとえば、1つのイメージに固定された歌手になったり、スポーツ選手になったりだ。
そして、それはもう、現実に、そんな世界があると言って差し支えないかもしれない。
ひょっとしたら、現実世界と空想世界がぐるっとひっくり返り、これまで空想世界と思っていた世界が現実になり、そこで、かつての現実世界を空想するかもしれない。この場合、元の世界も存続はしているのである。
大天才技術者二コラ・テスラは、おそらく、大人になっても、固定した想像世界を持っていて、その想像世界に住む人々と想像上の交流があったという。しかし、それはやはり、現実と変わらないし、ひょっとしたら、現実よりも重要かもしれない。
メーテルリンクの『青い鳥』の中で、チルチルとミチルの兄妹は、亡くなった祖父や祖母がいる世界に行くが、祖父や祖母は「お前達が思い出してくれたら、この世界は動き出す」と言ったが、それは、チルチルとミチルが作り出した世界である。しかし、人間はどこかでつながっていて、個人が持っている世界は、広く共有出来る世界でもある。
ちなみに、メーテルリンクは死後の世界を当然あるものと思っていた。
私も、想像の中で、数百年前の日本のような、平和な村落に時々お邪魔するが、その世界では私は常に居るのだろう。
で、その世界では私は仙人のような存在で万能で、そこの人々に偉そうに引き寄せのメソッドを教えたりするが、実は私が教わる方が多いのである。
その世界では、どんなに可愛い女の子がいても、私はふしだらなことはしないが(笑)、だからこそ可能になることもあるようである。
そんな世界も1つは持っておくと、それがこちらの世界でも高潔な人格として現れるかもしれない。
また、そんな世界は、引き寄せに必要な個性を、この不自由な(と自分で思っている)世界より磨き易い。
また、想像が現実になる世界では、感覚を研ぎ澄ませていれば、引き寄せのコツも掴み易いと思う。
力んでというのではなく、「ちゃんと」空想する大切さを、多くの人は忘れているし、それもまた、学校やテレビの悪影響のようなものと思う。
「空想する暇があったら、先生の言うことをやれ、テレビを見ろ」と言うわけである。
それもあり、多くの人が「ちゃんと」空想(「想像」との違いが難しいが、ここでは区別しない)することが出来なくなっている。
しかし、空想は実は非常に重要なことである。
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