少し前から、漫画、ライトノベル、アニメ、映画等に、異世界ものが増えて来た。
死後、異世界で人生を再スタートさせたり、死んだわけではないが、異世界に転生したりといったものや、そこまで大きな移動ではなくても、タイムトラベルしたり、微妙に様子の異なる異世界に移動したりと、いろいろである。
少し前と書いたが、私の知る範囲では、このブログでも時々引用した、1967年の筒井康隆さんの『果てしなき多元宇宙』という短編が面白い異世界移動のお話だし、世界には、さらにもっと昔から、異世界もののお話があったはずだ。
しかし、最近、特に増えてきたと思う。
それは、良いことと思う。
異世界移動は、実は、ありふれたことだし、アニメなどは、異世界のことを大袈裟に描いているというより、現在の人類の観念に合わせて、むしろ、控え目に描いていると思うほどだ。
実際には、もっと何でもありである(何らかの制限はあるかもしれないが)。
最新の私のお奨めは、『影の実力者になりたくて』(ライトノベル、漫画、アニメ)だ。

1975年に連載が開始され、2007年と2014年に連載が再開、いまだ、終了はしていない、『悪魔の花嫁』という漫画作品がある。
その中の1つのお話で、主人公である高校生の美奈子が、ギリシャ神話の世界に転生し、自分の前世である美の女神ヴィーナスに意思が乗り移るお話がある。
現在は、ごく普通の女子高生である美奈子が、ヴィーナスとして崇拝され、女神の女王とも言えるヘラすら礼を持って接してくる。
ストーリーの設定もあり、それがリアリティを持って描かれている(『悪魔の花嫁』4巻)。
だが、それに似たことが、我々に起こりえないわけではない。

それに比べれば、我々のちっぽけな頭で考える「良いこと」など、実に他愛もなく実現する。
だから、嫌いでなければ、異世界もののアニメなどを、まずは普通に楽しみ、異世界の観念に馴染むのも良いが、それだけではなく、それを、自分の物語として見なければならない。
「そんな馬鹿な」と思うかもしれないが、昔から、賢い人達はそう言ってきたのである。
例えば、アメリカ最大の賢者とも言えるラルフ・ウォルドー・エマーソンは、エッセイ『歴史』の中で、「英雄の物語を読む時は、自分の物語として読まなければならない」とはっきり述べている。
また、少し違う話ではあるが、ジョセフ・マーフィーは『ヨブ記』の意味を知りたいなら、かつて、自分がこれを書いた時のことを思い出せば良いのだと述べている(『あなたは不安なく生きられる』より)。

『新約聖書』の、イエスの物語である『福音書』を読む時は、イエスであった自分の話を読んでいるのである。
『悪魔の花嫁』4巻で、美奈子がそうであったように、あなたも今すぐヴィーナスに転生出来るのである。
言われなくても、子供は、物語の登場人物に感情移入し、登場人物になり切っている。
それは空想ではなく、異世界では現実である。
そして、賢い子供は物語の作者になり、それは、単なる作家や劇作家ではなく、世界の創造主である。

だが、個性を磨かず、世間の集合意識に飲み込まれた者には、そんな話は、ただの夢物語である。
良い大学に入れなかったから自分の人生はこの程度と思い、失敗をすれば、自分の人生はもっと悪いものになると思い込み、実際、そうなる。
だが、ラマナ・マハルシは、「自分が罪人だとしても嘆いてはいけない」と、現実に打ちひしがれる態度に意味がないと述べている。

エマーソンは、物語を、自分の物語として捉えるよう言うと同時に、自分を無謀なまでに信頼するように述べている。
それには、個性を磨くことが必要である。
凡庸な人間のまま、自分を信頼することは出来ない。
なぜなら、凡庸な人間は、集団意識に飲み込まれ、集団意識の言いなりになるが、集団意識は決して自分を神として信頼しないからである。








  
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