ヒーローとは何だろう?
単に、強いやつ、優秀なやつ、格好良いやつではない。
強くもなければ、優秀でもなく、格好良くもないヒーローだっている。
ヒーローとは、輝く個性のあるやつ、独自の道をいくやつだ。
そして、ヒーローとは、決して、「俺のようにやれ」などとは言わない。
ヒーローは必ず、「お前のやり方でやれ」と言うのである。
そして、「俺の真似なんかするな」とさえ、はっきり言うのである。

現代の、アイドルを主役にすることが多い邦画がなぜ見るに堪えないかというと、アイドル俳優は個性がないからだ。
アイドル自体が、単に、格好良かったり、きれいなだけで、個性がない。
そして、「彼のようになりなさい」と感じさせるのだ。
本物の俳優は個性的で、欠点さえ大きいのである。
アイドルは、欠点はないが、個性もない。
個性のないアイドル俳優が、仮に演技を磨いたからって、薄っぺらであることに変わりはない。

岡本太郎は、「私は常に破滅する道を選んだ」と言っていたが、これを、「破滅する道を選ぶべき」と大誤解した人が多い。
そうではないのだ。
個性的な道、自分の個性に合った道、独自の道を選んだら、それが、たまたま、破滅に通じる道だったというだけのことだ。
まあ、極端に個性的な道というのは、破滅の危険性が高いのであるが、実際は、個性的な道を選べば、生きこそすれすれ、破滅などしない。
没個性な道、皆と同じ道こそが、本当の意味で破滅する道なのである。
イエスもまた、「生きるためには死ななければいけない」と遠回しな言い方をした。
ちゃんと分かり易く言ってよ・・・とちょっと文句を言いたい(笑)。
これも、「死を覚悟してでも、個性的な道を行け、そうすれば、本当の意味で生きられる」という意味である。

社是ほど下らないものはない。
社是は、社員を没個性にし、社畜にするためのものだ。
社是など、決して憶えてはならない。
だが、世の中には、高次元な意味で良いと言われる社是がある。
たとえば、ダスキンの「得な道と損な道があれば、自分に関しては損な道を行く」という社是は、創業者の哲学が込められた良い社是だとよく言われる。まあ、私もそう思っていた・・・が騙されていた(笑)。
創業者がそう思うなら、勝手にそうすれば良かったというだけのことだ。
それは別に反対しない。
しかし、そんなものを社是にして、あたかも、社員に「従え」と感じさせるなら、「自分の個性を殺して社の精神に洗脳されろ」という、一般的な社是と全く同じになってしまう。
勘違いして欲しくないが、「損な道を行く」は、個人的信念としては素晴らしいものである。
しかし、他人の信念であることに変わりはなく、真似した途端に、真似した人を動物や奴隷のようにしてしまうのである。

岸田総理は、個性がない総理だとよく言われるが、その通りで、何の力もない。
河野太郎は、特徴はあるだろうが個性がない。
そんな政治家(特徴はあるが個性がない)としては、麻生元総理がいる。
菅前総理はまだ個性があったし、安倍元総理もいくらか個性があった。
個性のない政治家は、毒にも薬にもならない。
個性のある政治家は、毒もあるが、薬にもなるのである。
アメリカのバイデン大統領は、全く個性がなく、ただの操り人形で、本当の大統領でないことはすぐに分かる。
オバマ元大統領は、黒人でスリムということで目立ったが、実は、個性は全くなく、実際、大統領としての成果は何もなく、むしろ、害が大きかった。
ヒラリー・クリントンも、女性ということで注目されただけで、個性は全くない。
だが、トランプ大統領は、トランプ以外の何者でもないと言えるほどの強烈な個性がある。
もちろん、主要メディアは・・・というより、主要メディアを動かしている者は、個性ある本物の大統領は困るので、トランプのこき下ろしに必死であることが露骨に分かる。まあ、権力と結びついていれば、これほど露骨でも強いのであるが。

だが、自分に個性がなければ、個性ある人物が分からないのだ。
そして、皆と同じ、知名度の高い候補者、マスコミ受けする政治家に投票するのである。
これが国を亡ぼすということに、いい加減気付かないといけない。
日本は停滞し、先進国の中で唯一、20年間、平均給与が変わらない国だと言われるが、それは、有名タレントに投票した、個性のない投票者の責任なのである。確かに、有名タレントに投票させる働きかけも大きかっただろうが、個性がないから、そんなものに引っかかったのである。
芸能人や元人気スポーツ選手に投票する意味があったことなど、一例もなかったはずだ。
個性ある人間は、権力者の策略に引っかかったり、洗脳されたりしないのである。
個性ある人間は、ワクチンを打たないか、仕方なく打ったはずである。

個性ある人間だけが、人間の偉大な真の力を自在に行使出来る。
個性のない人間は、人間としての死である、ロボットのような、奴隷のような、家畜のような道を行くしかないのである。

『マスターの教え』で、マスターも言っていたのである。
「マスターは人の真似をしない。私のやり方なら教えるが、真似をしてはならない。マスターは自分のやり方でやる。人真似をする者はマスターになれない」








  
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