願いを実現し、この世界で楽しく生きるためには、光る個性を持たなくてはならない。どうやら、これが事実のようだ。
しかし、こう言われても、分からない人が多いはずだ。
学校や会社やテレビ、さらには、最近では、YouTubeのCMや、その他のネット広告を通じ、我々は没個性であるよう、「人と同じ」であるよう、徹底的に教育されてきたのだから当然だ。

私は今でも憶えているのが、どこかの会社の新入社員だった頃、そこそこ出世頭だった若手と、人間の個性について話していた時のことだ。
そこは一部上場企業であったが、個性的な社員がいないといった話を私がして、「変わったやつがいないか?」というような話題になった。
すると、その優良な若手社員が、
「ああ、いましたよ。牛乳を馬鹿みたいに飲むやつです。ある時は、飲み過ぎて吐いてましたよ」
と言う。
確かに変わっているが、それは、ただの馬鹿である。
馬鹿さ加減とか、お洒落さ加減で「目立つ」「笑いが取れる」「お洒落なことを知っている」者をもてはやし、持ち上げるのがまさに、世間に教育された者の特徴で、非常に気持ち悪かった。
とにかく、そういったのを個性と言っているようでは話にならない。

谷川流さんの『涼宮ハルヒ』シリーズの主人公の1人、涼宮ハルヒに好かれるような人間は、一応は個性がありそうだ。
彼女は、高校入学初日、クラスでの自己紹介で、
「ただの人間に興味はありません。この中に、宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら私のところに来なさい。以上」
と言い、担任教師や生徒達を唖然とさせたが、別に、騒がれたわけでも、ひんしゅくを買ったわけでもない。
個性のない凡人は、そんな話や、それを言った変人はスルーするのである。
さて、あなたは涼宮ハルヒに馬鹿にされない(超個性的である)ことに自信があるだろうか?

光る個性、超個性を得るには、毎日、欠かさずに、何か好きなことをしなくてはならない。
もちろん、牛乳をがぶ飲みするとかではなく、深い内側からの衝動に応えてのものだ。
ソクラテス流に言えば、ダイモーン(神から来る霊)が知らせて来るものということになるかもしれない。

新渡戸稲造は、毎日、何かをやらなければならないことを理解し、何をするかを考えたが、とりあえず「行水」として、どんな寒い日でも、頭から冷たい水を被った。
確かに、新渡戸は勘違いしていたようだが、彼は、風邪で熱がある冬の日も、断固、行水を決行し、医者に怒られた。この心意気は認めたい。
だが、やるなら、もっと、自分が内面から衝動を感じ、ワクワクすることである。
もちろん、当時は、今と違い、自由にやれることは少なかった。
しかし、何でも自由に出来る我々が、ちゃんと自分が好きなことが出来ずにどうするのか・・・である。

まあ、分からなければ、時間があれば、四股を踏むとか(佐川幸義流がお奨めだ)、腕振り運動をするとか、アファーメーションを唱えるとか、今今メソッドなどをする等、価値あることを、毎日欠かさず、なるべく多くやると良いかもしれない。
小泉太志命(こいずみたいしめい)は、1日3万3千回、真剣を振ったというが、そこまでやれば超個性と言って良いだろう。
1日3万3千回は、物理的に不可能だが、黒住宗忠が大祓祝詞を唱えた回数もそうであった。
神のようなものを目指す我々が、常識的なことを言ってはならない。
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