成功したとか、偉業を成し遂げたというモノサシではなく、人間を超えたような、神と一体となったような、極めて神秘的な・・・そんな人間に共通する、ある経験が必ずある。
私は、以前は、それは「死の体験」だと思っていた。
臨死体験もそうなのであるが、特に臨死体験でなくても、死が間近に迫って来ることを感じたといったものも含む。

小説・アニメの話だが、『Another』という作品で、見崎鳴という特殊な少女が登場する。
まだ中学生の少女だが、とにかく、いつでも冷静で、教室内で担任教師が包丁で喉を切って自殺し、生徒達が叫び声を上げ、あるいは、ショックのために心神喪失する中、見崎鳴は、何も感じていないわけではないが、落ち着いて立っている。
彼女は、4歳の時に左目に悪い腫瘍が出来、手術をしたのだが、その際、死にかけた時のことをうっすら憶えているという。
その経験が、彼女を特別な精神の持ち主にしたのだと思える。

そして、精神が特別であれば、必ず特別な力を持つ特別な人間なのである。

ただ、必ずしも臨死体験がなくても、特別になった人もいる。
アメリカの世界的心理学者アブラハム・マズローは、「偉大な人間と、その他の人間との唯一の違いは、至高体験があるかないかだ」と言ったが、イギリスの作家コリン・ウィルソンは、至高体験は誰にでもあるありふれたことだと言い、後に、マズローもそれを確認し、同意することとなった。
だが、マズローは、着眼点は良かったのである。

至高体験とは、英語のPeek Experience(絶頂体験)を誰かが「至高体験」と翻訳し、それが定着したのだが、それは何かというと、「忘我」「没我」「無我」といったもので、世界と自分が一体になる体験だ。
今日よく言われるゾーンとかフローも、至高体験と同じか、かなり近いことなのだと思う。
「忘我」は英語でエクスタシーで、我々にも馴染みのある言葉だが、我々は極めて狭い意味で使っている。
「20世紀最大の詩人」と言われたアイルランドのノーベル賞作家W.B.イェイツは、芸術の目的はエクスタシーだと言った。
岡本太郎は「爆発」と言い、夏目漱石は「天賓」と言ったが、どれも同じである。
しかし、皆、その実体をちゃんと言い表すことが出来なかった。

至高体験も、エクスタシーも、爆発も、天賓も、皆、「今、この瞬間」に在る体験なのだ。
「今、この瞬間」のことを、日本では古来から「中今」と言う。
そして、特別な人間であるために重要なことは、単に、「中今にいない時間が、どれほど少ないか」である。
「中今」に時間はないので、本当は適切な言い方ではないが、分かり易く言えば、「どれほど多く中今に在るか」だけが問題なのである。

さて、最初の話に戻るが、特別な人間の共通点は、臨死体験ではなく、少なくとも一時期、何かをじっと観察したことだ。
なぜなら、自主的に、しっかりと観察すれば、自ずと、中今に在ることになるからだ。
塩田剛三は8年間、毎日、金魚を観察したらしい。1日、どのくらいの時間、観察したかは分からないが。
観察する期間の長さには、いろいろある。
関博士は、宇宙から来る電波をずっと観測していて、ある時、不意に精神が覚醒したのだが、どのくらいの期間かかったかは明かしていない。
ミルトン・エリクソンは、ポリオウイルスに感染し、目玉しか動かせなくなったが、その目玉で1日中、見えるものを観察した。これも期間は分からないが、数か月ではないかと思う。
特別な人間には、必ず、こんな経験がある。
そして、臨死体験の場合は、その経験の重さのためか、極めて短時間の観察で、精神が変容を起こす。
上の『Another』の見崎鳴の場合は、手術中のある時間だった。
ラマナ・マハルシの場合は、「死が忍び寄ってきた」と思えた時の数分の観察が、16歳のマハルシを偉大な聖者に変えた。

我々はもう、このことを知っているので、ただ、「今、この瞬間」に集中すれば(意識すれば)良いだけである。
「今、この瞬間」を意識することは「今今メソッド」と呼ばれていることは何度も述べたし、特にやり方というほどのものはないが、例となることを何度かご紹介した。
そして、今今メソッドは、やはり、何かを観察することだ。
最も効果があるのは、自分の思考や感情、あるいは、呼吸を観察することだと言われているが、何でも良い。
歩いている時には、歩いている自分を観察すれば良いし、食べているなら、食べている自分を観察すれば良い。

実は、引き寄せに成功する時というのは、自分では気付いていなくても、中今に在ることが多い時である。
だから、意図的に中今に在れば、自然と引き寄せが簡単に起こるのである。
スティーブ・ジョブズは、高校生の時、ラム・ダスの『ビー・ヒア・ナウ』を愛読したといい、生涯に渡る、強い影響を受けた。
ビー・ヒア・ナウ・・・今、ここにあれである。
実は、今に在るということは、ここに在ると同時に、宇宙全体に在ることであるが、それも、今、ここに在れば、自然に分かることである。
とにかく、中今に在るようにすれば、世界は意のままである。








  
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