伸ばしていけば、もしかしたら世界を支配出来るかもしれないほどの大きな力を得た者は、皆、「今、この瞬間」に集中し続けた。
沢山の事例について考えると、それに導かれたのは、本人にとってみれば偶然であった場合がほとんどだと思う。

たとえば、こんな話がある。
江戸時代に、庶民を診療する名医がいた。
医療技術も薬品等も、今と比べて非常に乏しい上、貧乏な医者なので、出来ることはあまりない。
そこで、その医者は、寝ている患者の側で、じっと座って脈をとるのだった。
患者としては、医者に近くで見てもらっているという安心感があり、それが回復に良い影響もあるだろう。
ところで、その医者は、本当に真面目に脈をとることで、ずっと「今」に集中していた。
すると、なぜか、医者には、患者に何をすれば良いのかが分かり、それをして奇跡的に治ってしまうことがよくあった。
その医者は、自分を通して、神が患者を治しているように感じていた。
そして、面白いのは、ここからである。
ある与太者(怠け者、不良な者)が、その名医と風貌が似ていて、通りを歩いていたら、「先生、すぐ来て下さい」と言われると、頭が鈍いその与太者は、引っ張られるままに、病人のところに連れて行かれた。
今さら、あの医者ではないと言い難い与太者は、以前、あの名医が脈をとるのを見たことがあり、見様見真似で患者の脈をとった。
すると、たまたまだったのだろうが、患者が回復し、与太者は、あの名医として感謝された。
さらに、何度かそんなことが重なり、与太者は、せめて脈だけはきちんととった方がバレないと思い、本当にずっと脈をとっていた。
そうしているうちに、次々と病人が治り、その与太者には不思議な風格も出てきて、すっかり医者が板についてしまった。
まあ、やがてバレてしまうのだが、あの名医が、その与太者に会った時、与太者が、自分と同じように、「神様が自分を通して治しているように感じた」と言うのを聞いて感銘を受け、医術というのはいったい何なのかと思うようになった。

今でも、良い医者は、「医者には病気は治せない」と言う。治るかどうかは患者次第で、その助けをするのが医者だ。
しかし、今の医者は、明日のクリニックの繁盛のことしか考えず、本当の「今」に意識を集中することはない。

上の医者の話と似た話に、こんなものがある。
コリン・ウィルソンの『右脳の冒険』か『フランケンシュタインの城』にあったと思う。
ある男の妻が、心神喪失の状態に陥った。
すると、妻を深く愛する男は、いつ妻の意識が戻るかを、本当に、ずっと近くで観察し続けた。
一月とか、かなりかかったかもしれないが、妻は無事に意識を回復するのだが、その頃には、その男には、不思議な力が備わっていた。
妻を真剣に観察することで、その男は常に「今」に集中していたのだ。

このような話を、私は、他にもいくらでも思いつく。
というより、特別な力を持った人は皆、長い間、観察により「今」に集中し続けたのだ。
例外はないと言えるほどだ。
合気道の塩田剛三、有名な精神科医であるミルトン・エリクソン、電波工学の権威、関英男博士らが代表的な例だが、皆、観察により「今」に集中し、超人になった。
それなら、我々も同じことをやれば良い。
彼らは偶然にそれをやったのだが、我々はカラクリを知っているのだから、いわば反則で超人になるのである。

何を観察するのかというと、何でも良い。
それこそ、自分の耳鳴りを観察し続けて超能力者みたいになった人もいる。
幸いにも、私も耳鳴りはひどい方なので、これを採用してみようと思うこともある。
有名なところでは、自分の心とか、呼吸を観察するというメソッド(手法)がある。
みぞおちの感覚を観察した人もいる。
まあ、何でも良いのである。








  
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