これも私が好きな話だが、コリン・ウィルソンの『超越意識の探求』という本のあとがき部分にあった話だと思う。
だいたいで、こんな話だ。
何をやっても駄目で、劣等感にとり憑かれた青年がいた。
その青年は、ビートルズの『ひとりぼっちのあいつ(Nowhere Man)』という歌に登場する「ひとりぼっちのあいつ」と言われる男を思い出すような駄目な男で、その歌の歌詞でいうなら、「Isn't he a bit like you and me?(ちょうど、君と僕のようじゃないか?)」である。
その駄目青年が、ある時、つい、「僕はなんて駄目なんだ」とつぶやいた時、近くにいた知人が、
「君はちっとも駄目じゃない。自分でそう思い込んでいるだけさ」
と言ったのが、この駄目青年をはっとさせた。
それで、この駄目青年は、ずっと、この「僕はちっとも駄目じゃない。自分でそう思っているだけ」という言葉について考え・・・というより、意識し続けたのだろう。
そして、数日して、彼は啓示を得て、駄目青年でなくなる。
誰からも一目置かれる、立派な人間になった。社会的にも成功したのだと思う。

コリン・ウィルソンは、彼に何が起こったのかについて、いつもの、抽象的な説明をしていたと思う。どんな説明だったか、私は全く憶えていない。何の役にも立たない説明だったと思うからだ。
ウィルソンは、これが重要な話だということは分かるが、どうすれば、誰にも、この駄目青年に起こったことを起こせるのかという実践面は、いつも分からないのだ。
そりゃ、単純に言えば、この青年が駄目だった理由は、彼が自分は駄目な人間だと思い込んでいたということで、それをやめ、自分はちっとも駄目じゃない・・・つまり、優秀な人間だと思えば良いのである。
しかし、その方法が分からない。

ところが、これがウィルソンが世界的作家だという理由なのだが、この話を、ウィルソンの別の話と合わせるとよく分るのである。
それは、たびたびウィルソンが引用する話だ。
ある平凡な家庭の主婦が、ある朝、朝食を食べている夫や子供達の様子を見て、不意に、強烈な幸福感におそわれる。
これについて、ウィルソンは、偶然の要素・・・朝日の加減や、その時の夫と子供の様子が、この主婦の精神状態と妙な共鳴を起こした・・・まあ、やっぱり、こんな曖昧なことを言うのだ(笑)。

だが、あの駄目青年と、この主婦に起こったことは同じである。
駄目青年が「君はちっとも駄目じゃない。自分でそう思っているだけさ」と言われた時、そして、あの主婦が、夫と子供達の様子を見た時、彼らは、「今、この瞬間」に意識が集中したのだ。
それこそ、たまたまだったのかもしれない。
ウィルソンの別の話から考えると(彼の話はあちこちを組み合わせないといけない。笑)、それは、たびたび起こることで、その時、「自分が幸運だ」と感じたということらしい。
まあ、そうなんだろうけど、肝心なことは、「今、この瞬間」に意識が集中したということだ。
なぜ、そんなことが言えるのかというと、簡単なことだ。
その青年が駄目でないというのは、言い換えれば、その青年には「力がある」ということだが、どんな力も、「今、この瞬間」に在るのだからだ。
そして、あの主婦を含めた、全ての人間の至福は「今、この瞬間」に在るのだからだ。
実際、何でも良いが、「今、見ている」ことだけを意識して何かを見ると、見ているものの雰囲気が変わる。
ある詩人が詩に書いていたが、「新たな目」でミカンを見れば、ミカンが異様な美しさを放つようにである。
分かる人には「新たな目」で分かるが、分からない人にはさっぱり分からない。
「新たな目」とは、「今、この瞬間を見る」目だ。
なぜなら、「今、この瞬間」は、いつでも新しいからだ。
きっと、この詩人は、ミカンを普通に美しいと思った時、思考が停止することで、「今、この瞬間」に意識が集中したのだろう。
我々は、意図的に「今、この瞬間」を意識することで思考が止まり、即座に、異次元に参入することが出来るのである。

まだ分からない人もいると思う。
しかし、ただ、「今この瞬間」を意識すれば、経験として分かる。
それを続ければ、エマーソンが「神の魂が私の魂の中に流れ込み、私の魂が神の魂の中に流れ込む」といったことが起こる。
そうなれば、もう自分が神と言って良い。








  
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