引き寄せの方法は、根本を言えばたった1つで、新約聖書の福音書でイエスがそれを民衆に教える様子が書かれている。
その方法とは、「願いはすでに叶えられたと思え」である。

政木和三さんはよく、こんなことを言われていた。
「神は人の願いを聞かない。だが、どうしても叶えて欲しいなら、過去完了形で願え」
そして、具体的な例として、好んで話したのが次の話だ。
ある夫婦の赤ん坊が死にそうになっていて、ほぼ絶望的であった。
その夫婦は、政木さんに電話をして、赤ん坊を助けて欲しいと言った。
政木さんはこう答えた。
「赤ん坊は助かりません。諦めなさい。その上で、こう祈れ。『赤ん坊の命が助かりました。ありがとうございます』」
夫婦が言われた通りにしたところ、赤ん坊は助かった。
諦めながら「助かってありがとうございます」とは変な話だと思うはずだ。
本当は、願いが叶ったと思えば叶うのだから、赤ん坊が助かったと思うだけで良い。
だが、それだけ言うと、夫婦は、赤ん坊が助かることに執着してしまう。
執着は、願いが叶うことを妨げるのだ。
そこで、夫婦には、「赤ん坊は助からない」と言って諦めさせたのである。
ある意味、政木さんはテクニックというか方便を使ったのだが、政木さんも苦しかっただろう。
そして、願いが叶ったことを信じるためには、「ありがとうございます」と先に感謝するのが良い方法である。

願いが叶ったと信じることはとても難しい。
なぜ難しいのかと言うと、「叶った」と思っても、エゴが「そんなの叶うわけないだろ」と疑いの声や思いを発し、信じる心をぐらつかせるからだ。
「銀行預金が1憶円になった」と信じようとしても、エゴは、「どうやって1憶円得るのだ。無理に決まってるだろ」と言うだろう。
そこで、「どうやってなど知らん。だが1憶あるのだ」と本当に思うならそうなる。
しかし、それはやはり難しい。

ビル・ゲイツが大学生時代に愛読したという『ザ・マスター・キー』の16週のレッスンにこう書かれている。

わたしたちが万物の根源物質である宇宙精神と一体であると認識することでもたらされます。
(中略)
そのような心の姿勢を生み出すことに成功したら、願望がすでに実現された事実であると認識するのは容易です。

『ザ・マスター・キー』には、何度も「宇宙精神」という言葉が出て来る。
この本は、宇宙精神とは何で、それと自分が一体であるということを理解するために読めば良いのだが、そんなアドバイスなしに、この長い本を読んでも、なかなか成果は出ないのではないかと思う。
引き寄せの本はどれも長く、余分なことが書かれ過ぎているので、引き寄せが出来るようにならないという弊害はあると思う。
そして、『ザ・マスター・キー』の宇宙精神の説明は決してうまくない。そもそも、ちゃんと書かれていないと思う。
良い本ではあるが、多分、原本は隠されてしまっていて、見つからないのではないかと思う。

まとめて言おう。
引き寄せはこうやれば出来る。
「願いはすでに叶ったと思う。そして、欲望を捨てれば叶う」
これだけである。
だが、「願いが叶ったと思うこと」そして「欲望を捨てること」が、とてつもなく難しい。
エゴが、この2つに徹底的に抵抗するからだ。
銀行預金が1憶円になったと思おうとしたら、エゴはこう反発する。
「そんなの無理だろう」「実際は預金は10万円しかないじゃないか」
そして、欲望を捨てたくても、エゴは、「欲しい欲しい」と言うだろう。

さあ、どう解決するか?
やり方は分かっている。
まず、誰も、こんな認識が抜けている。
1憶円を願った瞬間に、すでに、1憶円は「本当に」ある。
つまり、願いは、願った瞬間に、既に「本当に」叶っているのである。
こう言われたら、100人中100人が「そんなわけないだろ」と言う。
それなのに、願いが叶ったと信じられるわけがないじゃないか?
この大矛盾に気付くべきなのだ。
「願った瞬間に叶う」は、方便・・・つまり、引き寄せのテクニックでも何でもない。
ただの事実なのだ。
だが、やはり、「願ったが、俺の預金は10万円だ」と言う。
いや、そう思うから10万円に戻っただけなのだ。
ところで、やっぱり1憶円欲しいかね?
「そりゃ欲しい」と言うなら、それが間違いだと気付かないだろうか?
だって、1憶円持っている人が1憶円欲しがるかね?
欲望なんて、あえて捨てなくても、1憶円得てしまえば、欲望を持ちたくても持てない。
「いや10憶だ」と言うなら10憶願えば良い。それだけのことだ。1憶も10憶も100億も変わらない。
だが、10億だと、慣れない人はエゴの抵抗が半端ないので、まずは、それなりの額にした方が無難というだけのことだ。

引き寄せが下手な人は、「1憶円得る。そしてそれが消える」を何度も繰り返しているのである。
そこで、1憶円があることを前提に考えないといけない。
ベンツを買おうとか、マンションを買おうと思わないといけない。
そんなことを気楽に考えていたら、エゴの抵抗が少なくなり、いずれ、抵抗してこなくなる。
そうしたら、願いが叶った状態のまま世界は続くのである。
別に、「銀行預金が1憶円になって安心だ」でも良いのだが、それだと、せっかく1憶円を得た瞬間、「銀行預金が1憶円になった空想をする」に現実が変わってしまうのである。その証拠に、少しも安心感が起こらない。








  
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