「机上の空論」という言葉がある。
これは、机の上で紙にフローチャートや計算式やグラフや図を書いて考えても、実際にやったら全然違うことが多いという意味だが、辞書では、
「現実から離れて行った議論や計画で実際には何も役に立たないもの」
と、簡潔に定義されている。
しかし、こういった意味に捉えるのは時代遅れだ。
というのは、「机上の空論」なんて言葉が生まれた昔と違い、今はコンピューターがあり、ビッグデータやAIがあるので、実際にやるより、コンピューター上でシミュレーションをした方がよっぽど確かな場合が圧倒的に多い。
また、実際にやるわけにはいかないことでも、コンピューターでシミュレートすれば、済んでしまうことが多い。
建築では、かなり昔から、厳密な物理計算をしてから建てており、たとえば、東京タワーの恐るべき精度を手計算でやったのは驚嘆すべきことだが、今は、コンピューターが短時間で計算してくれるので、昔よりはるかに複雑で大胆な設計を自由に行うことが出来る。
つまり、今は「机上の実論」いや、「机上の超実論」の時代だ。

ところで、「机上の空論」と似た言葉に「空想の域を出ない」という言葉があり、一般的な意味としては、
「ある考えや議論の真偽を判断する上で、未だに確実な証拠がない状態を意味する表現」
であるらしい。
これも古い言葉であるが、太古の昔では、むしろ馬鹿げた言葉だった。
優れた直観を持つ者の「空想」には、確実な証拠など必要なく、そもそも、実際には「確実な証拠」なんてものは滅多にあるものではない。
つまり、本当に優れた空想に関して言えば、「空想の域を出ない」のではなく、「空想の域を出られない」のである。
つまり、「賢者の空想最高」ってわけだ。

人間の中には、現代の最新のコンピューターの一億の一億倍も優れた潜在意識があるのだから、それを利用出来るようになれば、実際にやらなくても何でも分かるが、実際にやった方が楽しいことが沢山あるので、意図的に潜在意識との扉を閉じる方法を考えたのに、現代人は、開ける方法が分からなくなったのだ。
また、「分かる」だけでなく、潜在意識にまかせれば、このメタバース世界の仕組みを使って何でも出来るが、やっぱり、自分のちっぽけな頭脳と手足でやった方が面白いことが沢山ある。
だから、潜在意識にはザクザクお金を集めてもらって、自分はそれを使うことを楽しんだり、美男や美女をザクザク(笑)集めてもらって、個別に付き合ったりすれば良いのだが、そのためには、何らかの規律がないと、面白くないどころか悲惨になる。
悲惨にならないよう、このメタバース世界はうまく設定されているので、あなたは必要な規律を持たなければならない。
だから、昔から、
「自己に加えた制約の倍の力を神は人に与え、世界を闊歩させる」
と言うのである。
簡単に言えば、「いくらお金があっても、これはしない」とか「いくら好ましい美男美女が来てもこれはしない」という正しい掟を定めれば、あら不思議、お金も美男美女もザックザクである(笑)。








  
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