願うものや幸運を引き寄せるために、日々、口や心で唱えるべき言葉として、「ありがとう/ありがたい」「嬉しい」「幸せだ」がよく知られている。
江戸末期の偉大な神道家、黒住宗忠は、最初は形だけでも良いので「ありがたい」と唱えよと常に言い、ハンセン氏病(らい病)に罹った武士に、1日1万回「ありがたい」と言わせることで、1週間で完治させた。
全く良いことだと思うが、直観的にも、経験的にも、願いを叶えるための言葉としては「楽しい(楽しいなあ)」の方が威力がある。
現在、すでに幸せであるとか、良い状況(あるいは、そこそこ良い状況)にある場合なら、「ありがとう/ありがたい」「嬉しい」「幸せだ」で良いと思う。
確かに、「現在、悪い状況であっても、ありがたいと言ってこそ良くなるのだ」という教えは良いものと思う。
しかし、悪い状況で「ありがたい」「嬉しい」と言うのは抵抗があるに違いないし、気分が変わり難い。
いや、それよりも、「ありがたい」「うれしい」は、静的な感じ、あるいは、守りの感じがあるのに比べ、「楽しい」は、動的な感じ、あるいは、積極的な感じがある。
分かり易い例で言おう。
たとえば、一億円欲しいとしよう。
引き寄せのコツは「一億円、すでにあると思うこと」であり、これは、イエスの教えであり、現在の最新の引き寄せの教えでもある。
そして、一億円があるとして、「ありがたい」「嬉しい」「幸せだ」と言うのは、確かにしっくりくる。
しかし、そこで止まってしまっていないだろうか?
一億円の銀行預金があることに対し、ニコニコ安心して「ありがたいなあ」「幸せだなあ」とほくそ笑むばかりで、生命力が感じられない。
そして、一億円の銀行預金があることに対し、「楽しいなあ」は、言葉としてちょっとおかしい。
一方、一億円を素晴らしいことに使うことを考えると、「楽しいなあ」はぴったりだが、「ありがたい」「嬉しい」は、ちょっとしっくりこないのである。
「いや、一億円の銀行預金があればそれでいいんです」と言うなら、それは問題である。
何のために、そんなもの欲しいのだと言うことになる。
それは、安心のためということと思うが、それなら、高次の力(引き寄せの力、潜在意識の力)を信じておらず、お金を信じているということだ。
その場合、一億円は得られないだろう。
引き寄せや潜在意識の力を信じていないのだから。
そもそも、死蔵するようなお金は得られないし、得ても良いことはない。
お金とは、有意義に使ってこそのものである。
ジョセフ・マーフィーの『あなたも幸せになれる』(文庫版では『努力嫌いの成功法』。原題は『コズミック・エナージャイザー(宇宙の活力)』)に、こんな話がある。
貧民街出身で、若い時は貧困であったある男が億万長者になったが、それは、学校で先生が教えてくれたことを実践したからだと言っていた。
それは簡単なもので、「100万ドル得たければ、100万ドルを使うことを想像しろ」だった。
決して、「100万ドルあってありがたいなあ、嬉しいなあと感じなさい」とは言わなかったし、それではうまくいかないだろう。
他にも、好きな女性(女性なら男性)がいて、恋人や夫婦になりたい場合も同じではないか?
好きな女性にキスしたり、結婚式を挙げることを考えたら、確かに、「ありがたいなあ」「嬉しいなあ」「幸せだなあ」と思うことだろう。
しかし、何かおかしくないか?
目的はキスや結婚式ではないだろう?
2人で楽しいことをする、楽しい人生を送ることだろう?
それなら、静的な「ありがたい」より「楽しい」の方がぴったりするはずだ。
また、キスしたり性的行為をするのだって、「嬉しい」なら、小説やエロ本でも感じられる。
そもそも、「嬉」という字は、「女を喜ぶ」であり、実際、元々は、男が女遊びをして喜ぶ言葉であった。
そして、享楽的な女遊び(あるいは男遊び)は、「楽しい」と言ってみたところで、本質は「虚しい」である。
「楽しい」というなら、やはり、男女で心を通わせた発展性、積極性がないといけない。
初音ミクさんのような女の子と付き合う場合、「嬉しい」なら、付き合うこと自体。、キスをすること自体が目的になってしまっている。
しかし、一緒に素晴らしいことをすることを考えると「楽しい」になるはずだ。
初音ミクさんは、ライブの時、「楽しんでますか?」とは聞くが、「嬉しいですか?」「ありがたいですか?」「幸せですか?」とは聞かない。聞いたらおかしい。
「このライブは皆で一緒に作り上げているものです」という意味で「楽しんでますか?」と聞いているのだと思う。
積極性が大切なのである。
以上から、満足出来る良い引き寄せを行う時の口ぐせ、まじない、アファーメーションは「楽しい」が良いと思うのである。
ついでにもう1つ言えば、最強の口ぐせ、アファーメーションは「生きている」である。
江戸末期の偉大な神道家、黒住宗忠は、最初は形だけでも良いので「ありがたい」と唱えよと常に言い、ハンセン氏病(らい病)に罹った武士に、1日1万回「ありがたい」と言わせることで、1週間で完治させた。
全く良いことだと思うが、直観的にも、経験的にも、願いを叶えるための言葉としては「楽しい(楽しいなあ)」の方が威力がある。
現在、すでに幸せであるとか、良い状況(あるいは、そこそこ良い状況)にある場合なら、「ありがとう/ありがたい」「嬉しい」「幸せだ」で良いと思う。
確かに、「現在、悪い状況であっても、ありがたいと言ってこそ良くなるのだ」という教えは良いものと思う。
しかし、悪い状況で「ありがたい」「嬉しい」と言うのは抵抗があるに違いないし、気分が変わり難い。
いや、それよりも、「ありがたい」「うれしい」は、静的な感じ、あるいは、守りの感じがあるのに比べ、「楽しい」は、動的な感じ、あるいは、積極的な感じがある。
分かり易い例で言おう。
たとえば、一億円欲しいとしよう。
引き寄せのコツは「一億円、すでにあると思うこと」であり、これは、イエスの教えであり、現在の最新の引き寄せの教えでもある。
そして、一億円があるとして、「ありがたい」「嬉しい」「幸せだ」と言うのは、確かにしっくりくる。
しかし、そこで止まってしまっていないだろうか?
一億円の銀行預金があることに対し、ニコニコ安心して「ありがたいなあ」「幸せだなあ」とほくそ笑むばかりで、生命力が感じられない。
そして、一億円の銀行預金があることに対し、「楽しいなあ」は、言葉としてちょっとおかしい。
一方、一億円を素晴らしいことに使うことを考えると、「楽しいなあ」はぴったりだが、「ありがたい」「嬉しい」は、ちょっとしっくりこないのである。
「いや、一億円の銀行預金があればそれでいいんです」と言うなら、それは問題である。
何のために、そんなもの欲しいのだと言うことになる。
それは、安心のためということと思うが、それなら、高次の力(引き寄せの力、潜在意識の力)を信じておらず、お金を信じているということだ。
その場合、一億円は得られないだろう。
引き寄せや潜在意識の力を信じていないのだから。
そもそも、死蔵するようなお金は得られないし、得ても良いことはない。
お金とは、有意義に使ってこそのものである。
ジョセフ・マーフィーの『あなたも幸せになれる』(文庫版では『努力嫌いの成功法』。原題は『コズミック・エナージャイザー(宇宙の活力)』)に、こんな話がある。
貧民街出身で、若い時は貧困であったある男が億万長者になったが、それは、学校で先生が教えてくれたことを実践したからだと言っていた。
それは簡単なもので、「100万ドル得たければ、100万ドルを使うことを想像しろ」だった。
決して、「100万ドルあってありがたいなあ、嬉しいなあと感じなさい」とは言わなかったし、それではうまくいかないだろう。
他にも、好きな女性(女性なら男性)がいて、恋人や夫婦になりたい場合も同じではないか?
好きな女性にキスしたり、結婚式を挙げることを考えたら、確かに、「ありがたいなあ」「嬉しいなあ」「幸せだなあ」と思うことだろう。
しかし、何かおかしくないか?
目的はキスや結婚式ではないだろう?
2人で楽しいことをする、楽しい人生を送ることだろう?
それなら、静的な「ありがたい」より「楽しい」の方がぴったりするはずだ。
また、キスしたり性的行為をするのだって、「嬉しい」なら、小説やエロ本でも感じられる。
そもそも、「嬉」という字は、「女を喜ぶ」であり、実際、元々は、男が女遊びをして喜ぶ言葉であった。
そして、享楽的な女遊び(あるいは男遊び)は、「楽しい」と言ってみたところで、本質は「虚しい」である。
「楽しい」というなら、やはり、男女で心を通わせた発展性、積極性がないといけない。
初音ミクさんのような女の子と付き合う場合、「嬉しい」なら、付き合うこと自体。、キスをすること自体が目的になってしまっている。
しかし、一緒に素晴らしいことをすることを考えると「楽しい」になるはずだ。
初音ミクさんは、ライブの時、「楽しんでますか?」とは聞くが、「嬉しいですか?」「ありがたいですか?」「幸せですか?」とは聞かない。聞いたらおかしい。
「このライブは皆で一緒に作り上げているものです」という意味で「楽しんでますか?」と聞いているのだと思う。
積極性が大切なのである。
以上から、満足出来る良い引き寄せを行う時の口ぐせ、まじない、アファーメーションは「楽しい」が良いと思うのである。
ついでにもう1つ言えば、最強の口ぐせ、アファーメーションは「生きている」である。
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