「子供っぽい」という言葉には、良い意味と悪い意味がある。
それで、子供っぽいことは、全面的に肯定することも全面的に否定することも出来ない。
子供っぽいことのプラスの面は、純粋であることと、偏見がないことだ。他の美点も、全てこの2つから来る。
特に日本では、昔から、この子供のプラスの面や、そこから来る美点を過度に称賛する傾向がある。
しかし、子供の親であるとか、幼稚園や小学校の先生であるとかで子供に接する機会が多いほど、子供は天使ではないことをよく知っており、ある意味、子供は悪魔であると認識しているはずだ。
著名なコンピューター科学者、プログラマーであり、作家、画家でもあるポール・グレアムは著書『ハッカーと画家』で、子供について鋭く指摘している。
「ニコニコしながらクモの脚を引きちぎってしまうのが子供なのだ」
実際、子供に権力を与えると間違いなく暴君になる。
だから、少しでも賢ければ、親は、自分がいくら偉くても(王様であっても)、子供は、ある意味、悪魔であると心得て躾けるのである。
まあ、少しも賢くない偉い人が多いのだが。

「若々しい」というのも、「子供っぽい」と同じところがある。
そして、子供っぽさを卒業していない若々しさは最悪だ。
子供っぽさを卒業していない若々しさを端的に表す言葉は、例えば、「プライドのお化け」だろう。
子供っぽさとは「無知」である。無知な若者は皆、「プライドのお化け」である。
私は、高校生の時に見たゲーテの詩の中の一文(ひょっとしたら、その一文が1つの詩だったかもしれない)を印象深く憶えてしまっている。
それは、
「自慢するのをやめよ。でないと、君は青年時代の過ちを卒業するかしないうちに老人の過ちを犯す」
だ。
自慢は、子供時代の無知を持ちこしてしまった者の欠点だが、青年時代に無知でなくなることが出来なければ、無知な老人になる。
無知な老人とは、悪い意味での、「子供に帰った老人」であるが、本当は、「子供のまま歳を取った老人」なのだ。

なぜ、こんな話を長々としたのかというと、悪い意味で子供っぽければ、引き寄せは出来ないからだ。
実際は、出来ないというわけではないのだが、本来、人間は100の引き寄せの力を持っていても、人間として無知であれば5以下の引き寄せしか出来ず、そうであれば不満と屈辱に満ちた人生になる。それは丁度、重しを付けられた鳥のようである。

ついでに言っておくと、権力者(実際は、表に現れない真の支配者である黒幕)は、国民を肝心な点で子供っぽいままに留める。
学歴自慢をする者は全部、精神的幼児であり、権力者の狙い通りになってしまっているわけだ。そして、全家庭が、そのような子供の生産に励み、エリートコースから外れたら外れたで、別の子供っぽさ堅持のコースがあるだけだ。

上で述べたが、ゲーテは、
「自慢するのをやめよ。でないと、君は青年時代の過ちを卒業するかしないうちに老人の過ちを犯す」
と言ったが、それよりも、
「自慢するのをやめよ。でないと、引き寄せが出来ないから」
と言った方が良いかもしれない。
このことも、イエスは見事に語っている。
「自分を高くする者は(神によって)低く下げられ、自分を低くする者は(神によって)高く上げられる」
また、イエスは、こんな話もしている。
「2人の人が祈っていた。1人は『私は貧しい者に施し、親を大切にし、寄付をし、浮気もしない。神よ願いを聞き届け給え』と祈った。もう1人は『神よ、罪深い私を憐れみ給え』と祈った。祈りが聞き届けられるのはどちらか?」
一応言っておくと、答は当然後者の方である。

だが、過去、2000年に渡り、人々は「では謙虚であらねば」と思い(これは別に間違いではない)、イエスの教えは謙虚さの美徳を教えるためのものであると大誤解をしてきた。
さらに、教会は、戒律を守ることも強制し、戒律を守らないと謙虚ではないと強調した。
だって、収入の1割を収めよという戒律を守ってくれないと、聖職者は贅沢出来ないからね(笑)。
それで、一見真面目な信仰者は、「私はイエスの教えに従っている」と言い、結局、上の、間違った祈りをするような人間だらけになってしまった。
謙虚を装ったプライドほど厄介なものない。
そのあからさまな例が、スウェーデン映画の傑作『処女の泉』で、レイプされて殺された、まだ半分子供のような少女カレンの父親だ。
カレンの父親は、最愛の娘の無残な遺体を見て言う。
「神よ!あなたは見ていたはずだ。なのに、なぜ見捨てたのだ」
この言葉の裏には、自分は熱烈なキリスト信仰者であるという自負がある。
だが、娘の悲惨を招いたのは、この父親なのだ。

で、いつも言う通り、必要なことは思考を消すことだ。
自分の頭は大したことはないから、考えることを諦めるのだ。
おかしなことに、天才と言われる人間ほど、そう考えるのだが、実は、そう考えるから天才なのだ。
思考を消す実践編は、午後の記事ででも書く。








  
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