信念がいかに奇跡を起こすかを、新約聖書の福音書の中に見てみよう。

イエスの弟子ペテロが、他の弟子達と共に、湖の沖に浮かぶ船に乗っていた。
夜中に、ペテロは、湖の上を歩いてこっちに向かって来る人影を見て、幽霊だと思い、恐れて悲鳴を上げた。
すると、湖の上を歩く人は、「私だ。恐れるな」と言った。それはイエスだった。
その時、ペテロは、思わず言った。
「主よ。あなたが来いと命じて下されば、私にも出来ます。どうか命じて下さい」
それに応え、イエスは言う。
「私は命じる。来い」
それを聞くと、ペテロは湖の上に降り、イエスの所に歩いて行った。
だが、その時、強い風が吹き、ペテロは恐くなり、イエスに向かって叫んだ。
「主よ、沈みそうです。助けて下さい」
イエスは、ペテロの身体を掴むと言った。
「なぜ疑った。信仰薄い者(信念の弱い者)よ」

この短いお話の中に、奇跡を我がものとする秘訣が全て込められている。
ペテロが、湖の上を歩いているのがイエスだと分かった時、
「主よ。あなたが来いと命じて下されば、私にも出来ます。どうか命じて下さい」
と言ったのは、ペテロが考えて言ったのではない。
ペテロの潜在意識から、そんな想いが湧き出て、ペテロはその想いを言葉にして言ったのだ。
つまり、潜在意識(真の自分)は、「ペテロよ、お前にも出来る」と伝えてきたが、ペテロには、イエスの助けが必要だった。
それを見抜いたイエスはペトロに「私は命じる。来い」と言い、ペトロは潜在意識から来た想いを信じることが出来た。
信じれば、いかなることでも出来る。
それで、ペテロは湖の上を、イエスと同じように歩いた。
しかし、強い風が吹いた時、イエスのエゴ(自我)は、「沈むぞ」と言い、ペテロはそれを信じてしまった。
つまり、「自分は水の上を歩ける」という信念より、「そんなことが出来るはずがない」という信念の方が勝ってしまったのだ。

以上が分かれば、奇跡の起こし方は明晰だ。
まず、どうすれば信じることが出来るかだ。
ペテロは、別に、イエスが言ったから信じたのではない。
イエスはただ「来い」と言っただけだ。
ペテロに何が起こっていたのかというと、幽霊を見たと思ってパニックになったが、それがイエスだと分かって安心し、そして、イエスが湖の上を歩いているのを見て感動した結果、ペテロの思考が消えたのである。
その時、潜在意識の「お前にも出来る」という声が、言葉ではない直観としてペテロに伝わったのである。
つまり、奇跡を起こすには、思考を消せば良いのである。
思考を止めるには、私の勧める方法では、息の流れを止めれば良い・・・つまり、「息を飲む」状態になる。難しければ、微かな呼吸をすれば良い。他にも、沢山の方法がある。
だが、強い風が吹いて、ペテロは恐れ、それによって思考が戻ってきてしまったので、奇跡が途切れた。
この「強い風」は、あなたを疑わせる出来事の象徴で、「現実からの挑戦」とも言われ、あなたの信念を揺るがす出来事であり、そんなことが起こることが多い。
例えば、話を分かり易くするため、やや低レベルな喩えで言うが、可愛いあの子を必ず恋人に出来ると信じているが、彼女があなたに非常にそっけない態度をして、信念が揺らぐといったようなことだ。
そんな時、どうすれば良いか?
答は、旧約聖書のダニエル書に書かれている。
ダニエルは、ライオンのいる洞窟に入ってしまった。
だが、ダニエルは、ライオンに背を向け、太陽の方を見た。
つまり、悪い状況(ライオンがいる)から目を逸らして無視し、願いが叶っていることを意識する(太陽を見る)のである。

聖書は、開かれた心で読めば、引き寄せの最高のテキストなのである。








  
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