人間を何かの基準で区別するのは、良くない場合が多い。
例えば、大卒とそれ以外、高身長と低身長、貧困かそうでないか、既婚と未婚、異性愛かそうでないか、神を信じるか信じないか・・・等である。
犯罪歴があるかないかも、刑期を終えている場合は問うてはならないが、微妙というより、明確に区別すべきと考える人は少なくない。
神を信じるかどうかは自由であるはずが、アメリカ合衆国の公式標語は「IN GOD WE TRUST(我々は神を信じる)」である。
ところが、私は、2人の人による、人間の区別というものを気に入って覚えている。
1つは、人間全体ではなく、テニスプレーヤーの話であるが、ジミー・コナーズという歴史的な元プロテニス選手が言った「ウィンブルドン(全英オープン)のタイトルを持つかそうでないか(優勝したことがあるか)」である。
コナーズは2度優勝している(彼は4大大会では全仏のタイトルだけ持たない)。
コナーズと同じ、4大大会で8回優勝のイワン・レンドルは、ウィンブルドンのタイトルだけは取れずに(準優勝2回)引退したが、確かに、レンドルが最も欲しかったタイトルはウィンブルドンのタイトルだったと思われる。
もう1つは、心理学者のアブラハム・マズローが言ったものだ。
「偉大な人間とそうでない人間の違いは1つしかない。それは、至高体験があるかそうでないかだ」
至高体験は明確に定義することは難しく、忘我、没我、無我、法悦といったものと共通するところが多いと思われるが、今日でいう、ゾーンやフローと似ているか同じとも言われる。
しかし、ゾーンやフローを体験することは、それほど特殊ではない。
そして、マズローと交流のあったイギリスの作家コリン・ウィルソンは、「至高体験は誰にでもある、ありふれたもの」と言い、マズローもそれを認めたが、偉大な人間には、至高体験が顕著に見られることは確かと思う。
だが、これらのことは、我々にとって切実な問題ではない。
特に、世界が不穏な状況になりつつある時にはそうだ。
しかし、どんな人間にとっても重要だと思える・・・というより、最重要だと断言出来る、人間の2つの分け方がある。
それは、今は世間では全く認められていないが、「自発的に引き寄せを行っているかそうでないか」である。
人間が幸福かそうでないかは、これだけで決まる。
引き寄せは、誰でも必ず行っているので、あえて「自発的に」と付けたが、普通は略して「引き寄せを行っているかそうでないか」と言っても良いと思う。
「引き寄せを知っているかどうか」でも良いが、知ってはいても使っていない、あるいは、信じていない者、さらには、半信半疑の者もいるので、やはり、「(自発的に)引き寄せを行っているかそうでないか」の方が良いだろう。
「引き寄せ」という言葉を使わないだけで、実質同じことを意味するものも多いが、語り出すと長くなるので省く。
要は、引き寄せとは、概ね、「意思の力で望ましい現実を創造すること」である。
同じ状況にあっても、引き寄せを知っている者は、非常に良い状況になったり、少なくともひどい状況になることは免れるが、引き寄せを知らない者は悲惨な状況や、そこまででなくても、かなり苦しい状況になることがある。
あまり自分のことは言いたくないが、私は高校卒業後、名ばかりの大学生の引きこもりのニートで、更生の見込みはなかったが、19歳でジョセフ・マーフィーの本を読んでからは良い想いばかりしている。特に私の場合、人間や世の中を嫌悪し、憎んでいたと言って良いので、そのままだと地獄のような人生であったはずが、ロクに働きもしないのに不自由(特にお金に)したことが一度もない。
幼い頃から持ってしまった心の闇は今も抱えていて、それによる不都合はあるが、それで悲惨に落ち込まないのであるから、やはり引き寄せは偉大である。
だが、私は、引き寄せを行っていたとはいえ、何でも思い通りというわけではなく、実は、引き寄せの効果はないとすら思っていたことがあったが、後で振り返ると、もう奇跡の連続であったことが分かる。
つまり、引き寄せを疑っていてすら、少しでも実践すれば、確実に効果があることが分かるのである。
最近流行の、実名を言わない、あるいは、社会的なステイタスが高くない人物による引き寄せの情報は、それこそ玉石混交で、確かに素晴らしいものもあるが、馬鹿げたもの、未熟なものも多い。
とはいえ、著名であれば良いというわけでもない。
引き寄せで、世界で最も有名なものの1つであるロンダ・バーンの「シークレット」についても、『ザ・シークレット』の本を読み、DVDを見たが、素晴らしいところもあるが、あきらかに矛盾し、学ぶ人を混乱させる部分もある。
そもそも、「シークレット」は、ロンダ・バーンのオリジナルの手法ではなく、過去の情報の寄せ集めであるから、貴重な情報が集まっているというところは良く、また、情報の解釈に齟齬は少ないと思うが、現代の成功者の個人的意見も入れてあり、それには未熟なものもあって、場合によっては学習者を混乱させる危険がある。
だが、賢く取捨選択をする自信があるなら、やはり貴重なものである。
ジョセフ・マーフィーの著書は、マーフィー自身の温厚な人柄や賢明さから、最もお奨め出来るものだと思うが、宗教的(キリスト教)と思い、抵抗を感じる人も多いと思う。しかし、マーフィー自身は、確かに、キリスト教の牧師ながら、あらゆる宗教を平等に見ており、無神論者すら肯定している。そこを誤らずに読めば問題はないと思う。
不安な予想は良くないのだが、現実として、世界は不穏な状況になっているのだと思う。
ただし、それはやはり、人類全体の想念が不穏になっているからで、その理由が、多くの人が引き寄せを知らなかったり、信じていないからだ。
しかし、引き寄せを使う限り、その人が悪い状況になることはない。
使えば使うほど、そうである。
以下、世界的に評価の高い書籍を上げておく。
尚、私が読んだマーフィーの本でお薦めは下段3冊である(その1冊目は19歳の時に読んだもので、人生を救ってくれた)。
例えば、大卒とそれ以外、高身長と低身長、貧困かそうでないか、既婚と未婚、異性愛かそうでないか、神を信じるか信じないか・・・等である。
犯罪歴があるかないかも、刑期を終えている場合は問うてはならないが、微妙というより、明確に区別すべきと考える人は少なくない。
神を信じるかどうかは自由であるはずが、アメリカ合衆国の公式標語は「IN GOD WE TRUST(我々は神を信じる)」である。
ところが、私は、2人の人による、人間の区別というものを気に入って覚えている。
1つは、人間全体ではなく、テニスプレーヤーの話であるが、ジミー・コナーズという歴史的な元プロテニス選手が言った「ウィンブルドン(全英オープン)のタイトルを持つかそうでないか(優勝したことがあるか)」である。
コナーズは2度優勝している(彼は4大大会では全仏のタイトルだけ持たない)。
コナーズと同じ、4大大会で8回優勝のイワン・レンドルは、ウィンブルドンのタイトルだけは取れずに(準優勝2回)引退したが、確かに、レンドルが最も欲しかったタイトルはウィンブルドンのタイトルだったと思われる。
もう1つは、心理学者のアブラハム・マズローが言ったものだ。
「偉大な人間とそうでない人間の違いは1つしかない。それは、至高体験があるかそうでないかだ」
至高体験は明確に定義することは難しく、忘我、没我、無我、法悦といったものと共通するところが多いと思われるが、今日でいう、ゾーンやフローと似ているか同じとも言われる。
しかし、ゾーンやフローを体験することは、それほど特殊ではない。
そして、マズローと交流のあったイギリスの作家コリン・ウィルソンは、「至高体験は誰にでもある、ありふれたもの」と言い、マズローもそれを認めたが、偉大な人間には、至高体験が顕著に見られることは確かと思う。
だが、これらのことは、我々にとって切実な問題ではない。
特に、世界が不穏な状況になりつつある時にはそうだ。
しかし、どんな人間にとっても重要だと思える・・・というより、最重要だと断言出来る、人間の2つの分け方がある。
それは、今は世間では全く認められていないが、「自発的に引き寄せを行っているかそうでないか」である。
人間が幸福かそうでないかは、これだけで決まる。
引き寄せは、誰でも必ず行っているので、あえて「自発的に」と付けたが、普通は略して「引き寄せを行っているかそうでないか」と言っても良いと思う。
「引き寄せを知っているかどうか」でも良いが、知ってはいても使っていない、あるいは、信じていない者、さらには、半信半疑の者もいるので、やはり、「(自発的に)引き寄せを行っているかそうでないか」の方が良いだろう。
「引き寄せ」という言葉を使わないだけで、実質同じことを意味するものも多いが、語り出すと長くなるので省く。
要は、引き寄せとは、概ね、「意思の力で望ましい現実を創造すること」である。
同じ状況にあっても、引き寄せを知っている者は、非常に良い状況になったり、少なくともひどい状況になることは免れるが、引き寄せを知らない者は悲惨な状況や、そこまででなくても、かなり苦しい状況になることがある。
あまり自分のことは言いたくないが、私は高校卒業後、名ばかりの大学生の引きこもりのニートで、更生の見込みはなかったが、19歳でジョセフ・マーフィーの本を読んでからは良い想いばかりしている。特に私の場合、人間や世の中を嫌悪し、憎んでいたと言って良いので、そのままだと地獄のような人生であったはずが、ロクに働きもしないのに不自由(特にお金に)したことが一度もない。
幼い頃から持ってしまった心の闇は今も抱えていて、それによる不都合はあるが、それで悲惨に落ち込まないのであるから、やはり引き寄せは偉大である。
だが、私は、引き寄せを行っていたとはいえ、何でも思い通りというわけではなく、実は、引き寄せの効果はないとすら思っていたことがあったが、後で振り返ると、もう奇跡の連続であったことが分かる。
つまり、引き寄せを疑っていてすら、少しでも実践すれば、確実に効果があることが分かるのである。
最近流行の、実名を言わない、あるいは、社会的なステイタスが高くない人物による引き寄せの情報は、それこそ玉石混交で、確かに素晴らしいものもあるが、馬鹿げたもの、未熟なものも多い。
とはいえ、著名であれば良いというわけでもない。
引き寄せで、世界で最も有名なものの1つであるロンダ・バーンの「シークレット」についても、『ザ・シークレット』の本を読み、DVDを見たが、素晴らしいところもあるが、あきらかに矛盾し、学ぶ人を混乱させる部分もある。
そもそも、「シークレット」は、ロンダ・バーンのオリジナルの手法ではなく、過去の情報の寄せ集めであるから、貴重な情報が集まっているというところは良く、また、情報の解釈に齟齬は少ないと思うが、現代の成功者の個人的意見も入れてあり、それには未熟なものもあって、場合によっては学習者を混乱させる危険がある。
だが、賢く取捨選択をする自信があるなら、やはり貴重なものである。
ジョセフ・マーフィーの著書は、マーフィー自身の温厚な人柄や賢明さから、最もお奨め出来るものだと思うが、宗教的(キリスト教)と思い、抵抗を感じる人も多いと思う。しかし、マーフィー自身は、確かに、キリスト教の牧師ながら、あらゆる宗教を平等に見ており、無神論者すら肯定している。そこを誤らずに読めば問題はないと思う。
不安な予想は良くないのだが、現実として、世界は不穏な状況になっているのだと思う。
ただし、それはやはり、人類全体の想念が不穏になっているからで、その理由が、多くの人が引き寄せを知らなかったり、信じていないからだ。
しかし、引き寄せを使う限り、その人が悪い状況になることはない。
使えば使うほど、そうである。
以下、世界的に評価の高い書籍を上げておく。
尚、私が読んだマーフィーの本でお薦めは下段3冊である(その1冊目は19歳の時に読んだもので、人生を救ってくれた)。
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先月こちらのブログを知ったばかりですが、大変参考になっております。
いつも有益な記事をありがとうございます。