私はかなり前に、インドのヨギ(ヨガ行者)であるパラマハンサ・ヨガナンダの本で読んだ覚えがあるが、あるヨギは、1日8時間の瞑想を何年も欠かさず続けて、ついに解脱(悟りを開くことと思う)を果たした。
こんな話を聞くと、肯定的に捉える人の多くは、「よく頑張った」とか「困難なことをやり遂げた」「素晴らしい忍耐、努力」「尊敬します」みたいなことを言う人が多いと思うが、本人は、好きで楽しくやっていただけだ。
ゲーム中毒がゲームをやるのと同じで、ただ、やることがゲームではなく瞑想だったというだけの話だ。
よって、少しも困難ではなく、忍耐も努力もしておらず、本人にしてみれば尊敬される理由なんて何もないだろう。

まあ、このヨギも、最初のうちは、それほどでもなかったかもしれないが、やがて面白くなったから続けたのだ。
野球の大バッターが、暇があればバットを振っているのも同じで、単に、楽しいからやっているのだ。
メジャーリーグの歴史でも屈指のバッターだったテッド・ウィリアムズも、子供の時から、起きている時間全部でバットを振りたがり、夜も、両親がベッドに押し込まないとやめなかった。子供が、面白くもないことを無理にやるはずがない。やはり、楽しくて仕方がなかったからやったのだ。

本当か嘘かは分からないが、脳科学者の茂木健一郎博士が言っているのを動画で見たことがあるが、ビル・ゲイツは高校時代、プログラミングが好きで熱心にやっていたが、それを見た高校の教師が「お前はそれだけやっていろ。他のことはしなくても卒業させてやるから」と言い、ゲイツは好きなだけプログラミングに没頭出来たらしい。

引き寄せでも、例えば、「神様の奇跡が起こる」と唱えるメソッド(手法)を毎日長時間やるために、根性や克己心が必要なら、果たして効果があるか疑わしい。
このアファーメーション(あるいは呪文)を1日中唱え、1憶円を2回当てたホームレスの男も、やっぱり、これを行うことは辛くはなく、むしろ、楽しくやっていたはずなのだ。
そもそも、そうでなければ続かない。
彼は、ホームレスだったのだから、働くことは嫌いで向いてなかったかもしれないが、アファーメーションは向いていたのだ。

我々も、引き寄せを行うなら、上に上げたヨギやテッド・ウィリアムズやホームレスの男のようであることが望ましいが、それほどではなくても、1日2~3時間は、楽々と行えるメソッドに取り組むことが必要と思う。
もちろん、なかなか時間が取れなくて思うように出来ないのは、ゲーム好きのゲームも同じだろうが、「忙しかったから」と言い訳するようでは、引き寄せは出来ないかもしれない。

それで、最も楽しいメソッドは何かと考えたら、もちろん人にもよるが、私なら、「今を意識する」ことだと思う。
これは、スピリチュアル界隈では「今今メソッド」と呼ばれ、あるいは、「今メソッド」と言う者もおり、私は「中今メソッド」と呼ぶこともある。
いずれににろ、人気のあるメソッドだ。
インドの聖者ニサルガダッタ・マハラジは、「常に存在の感覚にしがみつけ」と言ったと本に書かれているが、これは訳(英訳か、そこからの和訳)が拙いのか、あるいは、マハラジの表現が適切でなかったのだと思う。
これも、「今を意識する」ということなのだと思う。
私は、この「今を意識する」を、うまく表現出来ないか考えているが、そのうち、良い言葉が閃くだろう。
とにかく、暫定的に言えば、今感じている、あるいは、今行っている1つのこと以外に意識を向けないことだ。
『バガヴァッド・ギーター』でクリシュナ神が、
「亀が手足を甲羅の中に引き込むように、感覚を外界に向けず、内面に向けろ」
と言ったが、これも、正しくは、
「1つに向けた感覚以外は全て引き上げろ。その1つの感覚も、五感から心に移せ」
と言ったのだ・・・おっと、なかなか良い表現になった(笑)。
これが、私が子供の時から行っていたやり方に近い。
これをやっている時、ふと、「猫3匹」と思うと、ドアを開けると、3匹の猫が控えていたものだ。
やり方をもっと具体的に言えば、たとえば、目の前にある初音ミクさんの絵を見ていたら、初音ミクさんを見ていることだけを意識し、他のことに意識を向けてはならない。
そして、目で見るのではなく、心で見る。
まだ少し難しいかもしれないが、基本的にはこういうことである。
テッド・ウィリアムズだって、腕でバットを振っていたのではなく、心で振っていたのである。
そして、心でたった1つのものを見たり、たった1つのことを行うことは至福なのである。








  
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