実をいうと、今回の記事を書いている途中、かなり書きあがったところで、久々に、間違えて全部消してしまった。
もちろん、記事復活のやり方は誰よりも知っているが、全て不能な状態であった。
これも何かの必然だろう。
そこで、昨日書いた、自分の理想とする姿を示す名を、自分の2つ目、3つ目の名にするという話を具体的にしよう。

西洋では、アポローンやヴィーナスといったギリシャ神話の神の名を持つ者は珍しくはない。
また、シンシアというよく聞く(?)名も、月の女神(本来は狩猟の女神)アルテミスの別名であるキュンティアの英語読みだ。
そして、ご存じのように、西洋では、1人の人間が多くの名を持つ国が多く、自然に、好ましい名を沢山持つことが出来る。

別に、役所に届けたり、公的に使う必要はなく、自分で「これは私の名」と承認すれば、それが自分の名になる。そのくらいの自律の心構えがなくてはならない。
野茂英雄という有名な野球の投手がいたが、やはり名付け人は、英雄(えいゆう)のような男になるよう願いを込めたのだと思う。
しかし、世間で使うことを考えれば、当然「ひでお」のような読み方になるが、我々は、英雄(えいゆう)のような男になりたければ、そのまま「英雄(えいゆう)」と付ければ良いのである。
『古事記』にも、英雄である神、可憐な女神などは多く、是非、自分の名とすれば良い。
ちなみに、私も「大国主(おおくにぬし)」とか「ホオリ」という名を持っている。大国主命(オオクニヌシノミコト)は博愛で知恵があり、ホオリノミコトは美男子だ。

世間で使われているような名にする必要は全くない。
例えば、あくまで分かり易くするために言うが、天使のような少女が好きになる男でありたいなら、名は「天使のような少女が好きになる男」で良いのでる。
1つくらいは、こんな長い名も良い。
「誰もがうっとりする美女」「天下一の美男子」など、もう何でもありだが、実際に、付けた名の通りになるのである。
仙人になりたいなら「仙人」という名にすれば良い。それで仙人になれるのである。
誰かに、「仙人」と呼ばれ、当たり前に「はい」と返事をする場面を想像したりなどで、その名を自分の心に焼き付けると、早く仙人になるだろう。
「大金持ち」「天才」「超人」「魔法使い」など、好ましい名前は沢山あり、いくつでも付けて良いのである。

エマーソンのエッセイ『歴史』の冒頭に付けられた詩の書き出しは「私は世界の所有者」だ。
このくらいの自信があることが好ましい。
さすが、アメリカ一の賢者である。
それなら、我々は。「世界」「宇宙」、あるいは、「世界の所有者」という名を持てば良いのである。
「キリスト」「ブッダ」、あるいは、お好みなら「ソクラテス」「プラトン」も良い。
「アインシュタイン」「シェイクスピア」「レンブラント」「モーツァルト」・・・全く良い。

ただ、沢山ある自分の名前を忘れるのはよくあることなので、何かに書いておくと良いだろう。








  
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