少しは知られていることだが、小説や映画や、あるいは、漫画やアニメで、それがごく娯楽的なものであろうと、その国の神話や伝承に秘められた何かが、意図的、あるいは、偶然に引用されていることがある。
キリスト教圏の作品には、聖書や、旧約聖書の深い解釈であるタルムードの知恵が、さりげなく表されていることがあり、聖書やタルムードを読まなくても・・・いや、むしろそれらを読むより容易に、その英知を得る者もいる。
例えば、イーロン・マスクは、少年時代に『銀河ヒッチハイクガイド』というSF小説を読み、そこから何かを得て人類を救う決意をするが、その小説の中にも、やはりタルムードの英知が込められていたのである。

ジュリアーノ・ジェンマ主演で成功を収めた、1966年のマカロニウエスタン(イタリア西部劇)『南から来た用心棒(原題:Arizona Colt)』は、旧約聖書の創世記32章と共に読むと面白い。
この『南から来た用心棒』の中で、高額な賞金をかけられた悪党ゴルドーが率いる数十名の盗賊集団の前に、恐れもせず颯爽と立った若いガンマンは、ゴルドーに名を問われると、こう答える。
「この銃と、この砂漠の大地が俺の名だ。コルト(コルト社の拳銃)、アリゾナ・コルト!」
つまり、彼は、自分の名は「アリゾナ・コルト」だと言うのだ。
もちろん、親が付けた戸籍上の名であるはずがない。
しかし、彼は、この名で生きていた。

旧約聖書の創世記32章に、こんな話がある。
大勢のしもべを伴って旅をしていたヤコブは、宿営地で1人でいると、何者かが彼に格闘を挑み、彼らは夜明けまで戦った。
この格闘の場面は、レンブラント、ドレ、ドラクロワといった、そうそうたる画家達が名画で現した、聖書の中でも特筆すべきハイライトと言える。
【リンク Wikipedia】天使とヤコブの闘い
人間であるヤコブが強い天使に負けなかった。
天使は、ヤコブに名を問うた。
ヤコブは「ヤコブです」と答えた。
すると天使は、
「あなたの名はもうヤコブではない。イスラエルと名乗りなさい」
と言った。

アリゾナ・コルトの名も、この聖書の話を元にしたものだろう。
名前ほど重要なものはないのに、誰もそのことを顧みない。
顧みないように、知恵を奪われたからだ。
我々は、自分の名前の通りのものになる。
そんな重要な秘法を、一般人は知らないようにさせられた。
自分で自分に、2つ目、3つ目(あるいはもっと多く)の名を付けなさい。
『古事記』には、大国主命は沢山の名を持っていることが記されている。
彼は、それほど多くの力を持つ神なのだ。
金持ちになりたければ「金持ち」「富豪」という名を付けなさい。
美しくなりたければ、「美男」「美女」といった名を付けなさい。
もちろん、それらを意味する、自分好みの名を付ければ良いのである。








  
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