実験を重ねると、現実化のイメージングは「一瞬でやる」が最上という結論になった。
言い換えれば、時間をかけてイメージしてはいけない。それには現実化の力はない。
スピリチュアルの名著とも奇書とも言われる『ローム太霊講話集』の中で、太霊ロームは、1秒の統一が長時間の統一に優ると述べていたと思うが、これも同じことを言っていたのだと思う。
また、私の知人の世界的ビジネスマンが面白いことを教えてくれたことがある。
彼は、横になって眠ることがないのだそうだ。
漫画家の藤子不二雄のどちらかだったか忘れたが、やはり、横になって寝たことがないという話があるので、それ自体は、珍しくはあっても、あり得ない話ではないと思っていた。
ところが、その世界的ビジネスマンは、眠り方がもっと変わっている。
時間がある時に、座ったまま、瞬間的に眠るのだそうだ。瞬間と言うからには、1秒以下と思うが、とにかく、1年365日、見かけ上は全く眠らないのだ。
しかし、そんなふうに、瞬間的に眠ることを何度かやれば、それで十分なのだそうだ。
瞬間では眠りが浅いと思うかもしれないが、そうではなく、それどころか、普通の人の眠りの数百倍深いのである。
我々は、瞬間というものを見誤っている。
瞬間の中に永遠がある。
逆に、認識出来るような長い時間の中には、五感で感じるだけの時間しかない。
そして、その神髄は、私は、政木和三さんから直接教わったように思う。
政木さんの話の前に、こんな話をしておく。
大阪大学の有名な科学者であったN教授に会った時のことだ。
大阪大学ということで、私は、「政木和三さんをご存じか」と尋ねたら、N教授は「政木は親友だ」と言う。
そして、N教授は、全く真摯な顔でこう言われた。
「私は、政木の話を半分以上、信じていない。しかし、政木は嘘を言う男じゃない」
私も同感だった。政木さんは嘘は言わない。
政木さんがされたのは、こんな話だ。
政木さんは、キャップを閉じた薬瓶の中にビー玉のようなものを瞬間移動させたことがあると言う。
どのようにやるのかというと、単に、キャップを空けてビー玉を入れ、また、キャップを締めるのである。
ただし、1万分の1秒でやるから、瞬間移動したように見えるのだ。
脳波がシータ波になると、このように時間の流れる速さが大きく変わる現象が発生すると言う。
脳波がシータ波になるというのは、これも、一瞬の統一の結果である。
人間は、一瞬を味方にすれば強大な力を得る。
それは難しくはない。
私が7歳の時に、目をつぶって交通量の多い車道を安全に渡ったのも、瞬間の統一の力と思う。ただ、それが分かったのは最近だ。
瞬間で念じるのである。確かに、私はそれをしていた。
普通の思考的に、どんな映像を思い浮かべるかとか、どんな言葉を使って念じるかなどは、全く不要である。
人間には、もしかしたら、右脳には、そんなことが可能な「加速装置」みたいなものがあるのではないかと思う。
これほど簡単なことがあろうか?
7歳の、あまり賢くない子供でも簡単に出来るのだ。
ただ、我々は、家庭や学校や社会から、こんな精神の使い方と全く逆のことばかりやらされたのだ。
他にも、強い精神エネルギーを発動させる方法はあるのだろうが、それが一番簡単だ。
やり方は、瞬間に「念じた」と思うだけで良い。
実際に念じたかどうかは、当たり前の思考に分かるはずがないが、それをやったと思ったらやっているのである。
上の世界的ビジネスマンの例で言えば、眠ったと念じたと思えば良いのである。
尚、「念じた」という言葉を使ったが、この言葉にこだわる必要はないし、こだわってもいけない。
思った、イメージした、宣言した、命じた・・・何でも良い。なんとなく「念じた」が便利そうなので使っただけだ。
可愛いあの子を彼女にしたいのなら、一瞬で、そう念じたと思えば良い。
病気や怪我を治す、金持ちになるのも同様だ。
だが、すぐに結果が出ないと思い、がっかりするようでは何も出来ない。
念じた瞬間、それが実現した世界が存在し、進行しているのである。
その世界にいるのが当たり前に感じられれば、もうその世界に居る。
敢えて言えば、練習・・・と言うか、慣れである。訓練みたいなものはないので、練習と言うよりはやはり慣れであるが、何度もトライするという意味では練習と言えなくもない。
言い換えれば、時間をかけてイメージしてはいけない。それには現実化の力はない。
スピリチュアルの名著とも奇書とも言われる『ローム太霊講話集』の中で、太霊ロームは、1秒の統一が長時間の統一に優ると述べていたと思うが、これも同じことを言っていたのだと思う。
また、私の知人の世界的ビジネスマンが面白いことを教えてくれたことがある。
彼は、横になって眠ることがないのだそうだ。
漫画家の藤子不二雄のどちらかだったか忘れたが、やはり、横になって寝たことがないという話があるので、それ自体は、珍しくはあっても、あり得ない話ではないと思っていた。
ところが、その世界的ビジネスマンは、眠り方がもっと変わっている。
時間がある時に、座ったまま、瞬間的に眠るのだそうだ。瞬間と言うからには、1秒以下と思うが、とにかく、1年365日、見かけ上は全く眠らないのだ。
しかし、そんなふうに、瞬間的に眠ることを何度かやれば、それで十分なのだそうだ。
瞬間では眠りが浅いと思うかもしれないが、そうではなく、それどころか、普通の人の眠りの数百倍深いのである。
我々は、瞬間というものを見誤っている。
瞬間の中に永遠がある。
逆に、認識出来るような長い時間の中には、五感で感じるだけの時間しかない。
そして、その神髄は、私は、政木和三さんから直接教わったように思う。
政木さんの話の前に、こんな話をしておく。
大阪大学の有名な科学者であったN教授に会った時のことだ。
大阪大学ということで、私は、「政木和三さんをご存じか」と尋ねたら、N教授は「政木は親友だ」と言う。
そして、N教授は、全く真摯な顔でこう言われた。
「私は、政木の話を半分以上、信じていない。しかし、政木は嘘を言う男じゃない」
私も同感だった。政木さんは嘘は言わない。
政木さんがされたのは、こんな話だ。
政木さんは、キャップを閉じた薬瓶の中にビー玉のようなものを瞬間移動させたことがあると言う。
どのようにやるのかというと、単に、キャップを空けてビー玉を入れ、また、キャップを締めるのである。
ただし、1万分の1秒でやるから、瞬間移動したように見えるのだ。
脳波がシータ波になると、このように時間の流れる速さが大きく変わる現象が発生すると言う。
脳波がシータ波になるというのは、これも、一瞬の統一の結果である。
人間は、一瞬を味方にすれば強大な力を得る。
それは難しくはない。
私が7歳の時に、目をつぶって交通量の多い車道を安全に渡ったのも、瞬間の統一の力と思う。ただ、それが分かったのは最近だ。
瞬間で念じるのである。確かに、私はそれをしていた。
普通の思考的に、どんな映像を思い浮かべるかとか、どんな言葉を使って念じるかなどは、全く不要である。
人間には、もしかしたら、右脳には、そんなことが可能な「加速装置」みたいなものがあるのではないかと思う。
これほど簡単なことがあろうか?
7歳の、あまり賢くない子供でも簡単に出来るのだ。
ただ、我々は、家庭や学校や社会から、こんな精神の使い方と全く逆のことばかりやらされたのだ。
他にも、強い精神エネルギーを発動させる方法はあるのだろうが、それが一番簡単だ。
やり方は、瞬間に「念じた」と思うだけで良い。
実際に念じたかどうかは、当たり前の思考に分かるはずがないが、それをやったと思ったらやっているのである。
上の世界的ビジネスマンの例で言えば、眠ったと念じたと思えば良いのである。
尚、「念じた」という言葉を使ったが、この言葉にこだわる必要はないし、こだわってもいけない。
思った、イメージした、宣言した、命じた・・・何でも良い。なんとなく「念じた」が便利そうなので使っただけだ。
可愛いあの子を彼女にしたいのなら、一瞬で、そう念じたと思えば良い。
病気や怪我を治す、金持ちになるのも同様だ。
だが、すぐに結果が出ないと思い、がっかりするようでは何も出来ない。
念じた瞬間、それが実現した世界が存在し、進行しているのである。
その世界にいるのが当たり前に感じられれば、もうその世界に居る。
敢えて言えば、練習・・・と言うか、慣れである。訓練みたいなものはないので、練習と言うよりはやはり慣れであるが、何度もトライするという意味では練習と言えなくもない。
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