しつこいほど繰り返すが、無になれば、すなわち、想念を消せば不可能はなくなる・・・つまり、万能である。
そして、想念を消すための、あまりにも常識的に感じていて、自分で使っているとすら思わず、よって、人に言うこともなかった方法が、今朝も述べた、頭頂の空間(頭頂数十センチから数メートル)に意識を持って行くことだ。
私は、すぐに願いを叶えたい時などは、何も考えず、本能的に使っていたのである。
もちろん、胸や額、あるいは、指先に意識を置いても、ある程度、想念を消すことは出来るが、頭頂の上の空間の場合は、「想念のノイズが残らず」クリアになる度合いが非常に高いのである。
なるほど、思い出してみれば、確かに、いつもそうやっていたのである。
たとえば、何かの不手際で凶暴な大型犬が小屋から出ているのに遭遇し、こっちに向かって来た時、これをやると、どうなったか憶えていないが、とにかく、その犬は目の前からいなくなったのである。
あるいは、状況は少し複雑だが、恨みの思念のようなものが送られてきた時、これをやると、その恨みの思念は、発した者のところに帰っていくのでる。
ある世界的な自己啓発プログラムの日本代理店をやっている社長にこの話をしたら、その社長(50代後半)は、「危険な世界にいれば、歳を取ると自然にやるようになることだと思う」と言われていたのを思い出したが、今は誰もが危険な時代である。

なぜ頭の上かというと、今朝も、関英男博士の仮説を述べたが、それ以外にもいろいろある。しかし、複雑な話やオカルティックな話も多く、説明しても、あまり有益でないと思う。
天使の光輪とは何か関係があるかもしれないとは思っているが、はっきりしない。
よって、試してみて、良いと思えばやれば良いというだけのことである。
だが、私に関しては効果は絶大だったし、極めて少数の人にであるが、教えたこともあり(一番最初は幼稚園の時だ)、いずれも、魔法的効果があったと証言を得ている。
とにかく、当たり前過ぎて、ほとんど思い出しもしないことである。

願いを思いながら、これをやるというのは、あまりお勧めしない。
ただ、何かを願った直後に、これをやることは私もよくあり、その場合、これをやっている間は何も考えていないが、おそらく、大抵、願いは叶っているのである。
とはいえ、叶うことがためにならない場合は(当たり前のことだが)叶わない。
例えば、危険な場所に行って、本当に危険な目に遭った時、これをやっても、多少はマシになるかもしれないが、それなりに酷い目に遭うものである。
危険が楽しいのは、本当にリスクがあるからであり、その楽しさが奪われるはずがないし、遭うべきでない危険であれば、最初から賢く回避すべきなのである。
いくら術や魔法があっても、馬鹿になって良いということではない。
親鸞だって、念仏に関し、「薬があるからといって毒を好むな」と言っているのである。

不思議な術であるが、単に得をすることを考えて使うよりは、研究・・・というのもおかしいかもしれないが、ちょっとした探求のつもりでやると有意義だし、面白いと思う。
簡単であるが、今朝の話の補足とする。








  
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