科学文明が進むと、データの重要性が理解されてくる。
言うまでもなく「正しい」データが必要なわけである。
それで、何かの主張がなされると、「その主張が正しいことを証明するデータは何ですか?」と尋ね、主張者は、そのデータを提示しなければならない。
この「正しいことを示すデータ」を、エビデンス(根拠)、ソース(出典)と呼ぶことがあり、この科学時代では、「エビデンスはありますか?」「ソースは何ですか?」という言い方がまっとうなのである。
だが、これまでは、力を持つ者が、「これが正しい」と言えば、それが正しいことになることが多かった。
それが、必ずしも悪いとは限らないが、当然ながら、万事がそれでは困るわけである。
例えば、「黒人は白人に劣る」という主張が長年正しいとされてきたが、これが、力がある者である白人の主張が、ソースやエビデンスとなるデータなしに正しいとされた悪い例である。
科学や哲学は、真理を探究するのだから、正しいデータであるソースやエビデンスを探すことが重要であることは共通し、そのため昔は、科学と哲学は一緒にされていた。
ところが、科学では、ソース、エビデンスが絶対的に必要なのに対し、哲学は、ソース、エビデンスがあるとは思えないような真理を探すという違いがはっきりしてきて、今日では、科学と哲学は違うものと考えるのが当たり前だ。
科学では「愛とは何か」が分からないのは、「愛とはこれである」ということを示すソースやエビデンスなど示せるはずがないからだ。
しかし、哲学では、ソースやエビデンスがいらないわけではないが、ソースらしきもの、エビデンスらしきものでも、示し方が上手ければ認められてしまう。
だから哲学がいい加減で、科学が優れているかというと・・・まあ、そうとも言える。しかし、科学だけでは、分からないことが多過ぎ、人間は、一応の真理を必要とすることもあるので、哲学にも価値があるのである。
こういうことを分かった上で、科学や哲学をやらないといけない。
ただ、科学が進歩すれば、今は哲学の領域の問題とされるものも解いてしまうかもしれないが、そのためには、現在は示すことが出来ないソースやエビデンスが必要になる。
で、それが哲学なのか、未来科学なのか分からないが、究極の真理というものがあり、それを神と言うことがあるが、それ(あるいはその一部)が、人間の脳の中や潜在意識の中にあるという主張がある。
もちろん、それが正しいことを示すソースやエビデンスがあるわけではない。
だが、引き寄せの法則というものは、そんな主張の上に成り立つものである。
だから、同じ引き寄せの法則と言っても、それぞれの流派で、大小の違いがあり、流派どうしで否定し合うようなこともあるのである。
で、どれが正しいのかというと、誰でも確実に引き寄せが出来る方法を持つ流派が正しいのであるが、それはないように思える。
なぜ、引き寄せのやり方に違いがあるのかというと、引き寄せは、人それぞれで有効な方法が異なるというのが、もっともらしい説明である。
しかし、それは言い訳である。
本当は、正しい方法というものがあるが、それは、現代科学を超え、哲学の領域にあるので、今の人類には分からないのである。
それは残念・・・と思うしかないかというと、そうではない。
分からないと分かることに救いがある。
分かると思うから、間違ったことをやるのである。
ただ、潜在意識の中に絶対の真理があるという仮定だけは認めなければならない。
これには、ソース、エビデンスはない。
だから、信じないという人がいるのである。
つまり、「引き寄せの法則には、ソース、エビデンスはない。だから、これを信じるのは科学的でない馬鹿である」という言い分が通用する。
まあ、そもそも、潜在意識とは何かということすら、曖昧な定義しかない。
そこで、引き寄せの法則においては、心の深奥とか深い心のことを、仮に、心理学や精神医学の用語である潜在意識という言葉を使うのであり、人によっては無意識であるとか、純粋意識、超越意識と言う者もいるが、引き寄せの法則においては同じものである。つまり、かなり大雑把なのだ。
万能の潜在意識を働かせるためには、エゴ(自我、顕在意識、思考する心)が邪魔をしないことだけが必要である。
その良い方法を知っている者が引き寄せを行えるのである。
つまり、2つの仮説を正しいとしなければ、引き寄せはないことになる。
1つは、潜在意識は万能であること。
もう1つは、潜在意識の邪魔をするものはエゴであること。
現代は、これらのソース、エビデンスが乏しいので、引き寄せの法則自体を否定した方が、社会では無難である。
だが、アリストテレスが一応のエビデンスを示すまで、なぜ、太陽が昇って沈むのかは分からなかったが、それでも、太陽は昇り沈んだ。
ご存じのように、アリストテレスが示したものは天動説であり、間違いはあったが、正しい部分もあったのである。
引き寄せの法則に関しては、アリストテレスレベルの真理まで、もう少しといったところであるが、引き寄せは行われている。
言うまでもなく「正しい」データが必要なわけである。
それで、何かの主張がなされると、「その主張が正しいことを証明するデータは何ですか?」と尋ね、主張者は、そのデータを提示しなければならない。
この「正しいことを示すデータ」を、エビデンス(根拠)、ソース(出典)と呼ぶことがあり、この科学時代では、「エビデンスはありますか?」「ソースは何ですか?」という言い方がまっとうなのである。
だが、これまでは、力を持つ者が、「これが正しい」と言えば、それが正しいことになることが多かった。
それが、必ずしも悪いとは限らないが、当然ながら、万事がそれでは困るわけである。
例えば、「黒人は白人に劣る」という主張が長年正しいとされてきたが、これが、力がある者である白人の主張が、ソースやエビデンスとなるデータなしに正しいとされた悪い例である。
科学や哲学は、真理を探究するのだから、正しいデータであるソースやエビデンスを探すことが重要であることは共通し、そのため昔は、科学と哲学は一緒にされていた。
ところが、科学では、ソース、エビデンスが絶対的に必要なのに対し、哲学は、ソース、エビデンスがあるとは思えないような真理を探すという違いがはっきりしてきて、今日では、科学と哲学は違うものと考えるのが当たり前だ。
科学では「愛とは何か」が分からないのは、「愛とはこれである」ということを示すソースやエビデンスなど示せるはずがないからだ。
しかし、哲学では、ソースやエビデンスがいらないわけではないが、ソースらしきもの、エビデンスらしきものでも、示し方が上手ければ認められてしまう。
だから哲学がいい加減で、科学が優れているかというと・・・まあ、そうとも言える。しかし、科学だけでは、分からないことが多過ぎ、人間は、一応の真理を必要とすることもあるので、哲学にも価値があるのである。
こういうことを分かった上で、科学や哲学をやらないといけない。
ただ、科学が進歩すれば、今は哲学の領域の問題とされるものも解いてしまうかもしれないが、そのためには、現在は示すことが出来ないソースやエビデンスが必要になる。
で、それが哲学なのか、未来科学なのか分からないが、究極の真理というものがあり、それを神と言うことがあるが、それ(あるいはその一部)が、人間の脳の中や潜在意識の中にあるという主張がある。
もちろん、それが正しいことを示すソースやエビデンスがあるわけではない。
だが、引き寄せの法則というものは、そんな主張の上に成り立つものである。
だから、同じ引き寄せの法則と言っても、それぞれの流派で、大小の違いがあり、流派どうしで否定し合うようなこともあるのである。
で、どれが正しいのかというと、誰でも確実に引き寄せが出来る方法を持つ流派が正しいのであるが、それはないように思える。
なぜ、引き寄せのやり方に違いがあるのかというと、引き寄せは、人それぞれで有効な方法が異なるというのが、もっともらしい説明である。
しかし、それは言い訳である。
本当は、正しい方法というものがあるが、それは、現代科学を超え、哲学の領域にあるので、今の人類には分からないのである。
それは残念・・・と思うしかないかというと、そうではない。
分からないと分かることに救いがある。
分かると思うから、間違ったことをやるのである。
ただ、潜在意識の中に絶対の真理があるという仮定だけは認めなければならない。
これには、ソース、エビデンスはない。
だから、信じないという人がいるのである。
つまり、「引き寄せの法則には、ソース、エビデンスはない。だから、これを信じるのは科学的でない馬鹿である」という言い分が通用する。
まあ、そもそも、潜在意識とは何かということすら、曖昧な定義しかない。
そこで、引き寄せの法則においては、心の深奥とか深い心のことを、仮に、心理学や精神医学の用語である潜在意識という言葉を使うのであり、人によっては無意識であるとか、純粋意識、超越意識と言う者もいるが、引き寄せの法則においては同じものである。つまり、かなり大雑把なのだ。
万能の潜在意識を働かせるためには、エゴ(自我、顕在意識、思考する心)が邪魔をしないことだけが必要である。
その良い方法を知っている者が引き寄せを行えるのである。
つまり、2つの仮説を正しいとしなければ、引き寄せはないことになる。
1つは、潜在意識は万能であること。
もう1つは、潜在意識の邪魔をするものはエゴであること。
現代は、これらのソース、エビデンスが乏しいので、引き寄せの法則自体を否定した方が、社会では無難である。
だが、アリストテレスが一応のエビデンスを示すまで、なぜ、太陽が昇って沈むのかは分からなかったが、それでも、太陽は昇り沈んだ。
ご存じのように、アリストテレスが示したものは天動説であり、間違いはあったが、正しい部分もあったのである。
引き寄せの法則に関しては、アリストテレスレベルの真理まで、もう少しといったところであるが、引き寄せは行われている。
人気ランキング参加中です |