昔、カルトとされる宗教団体の信者達が、一般の人々に向かって「最高ですか?」と呼びかけ、「変な連中」「気味悪い連中」と思われていた。
ところが、案外に、一流の人物・・・たとえば、事業家やプロスポーツ選手の中には、「最高です」を口ぐせにしている人がよくいる。別に、そんな人達は、その宗教と関りはない。

「最高」に類するような肯定的な言葉を口ぐせにすることが推奨されることは多い。
よく知られているものでは、「大丈夫」「絶好調」「順調だ」「これでいいのだ」などがある。
また、巷では「天国言葉」というものがあり、検索すると、「愛してます」「ついてる」「うれしい」「楽しい」「感謝してます」「しあわせ」「ありがとう」「ゆるします」であるらしい。
ところが、人気映画にもなった、アラン・パーカーの小説『小さな恋のメロディ(原題:メロディ)』では、主人公の11歳の少年ダニーは、良いことがあると、なぜか「天国」という言葉が浮かぶようだ。だから、メロディという可愛い少女と出逢った時にも、「天国」と思ったのだ。
そして、「天国だ」「極楽だ」を口ぐせにしている人達もいる。

これらの肯定的な言葉は、どれも良いものだ。
だが、「大丈夫」「最高」「極楽だ」と、どれを唱えても、エゴ(自我)は反発する。
「大丈夫なはずがないじゃないか?」「最高のはずがないじゃないか?」といった感じだろう。
それで、心の中で葛藤が生まれ、良い言葉を唱えていながら、案外に気分が悪くなる。
しかし、それでもしつこく言い続け、エゴをねじ伏せた者が成功するらしいが、誰もが、そこまでやれるとは限らない。

ところが、1つ、エゴが反発しない言葉があった。
それは、「完璧」である。
この「完璧」という言葉は、面白いというか、変わっている。
まず、何が面白いかというと、かなり多くの人が、「完璧」を「完壁」と間違えている。
つまり、「璧(たま)」と「壁(かべ)」の違いだ。
確かに、よく見ないと分からない。
下が「玉」と「土」の違いで、「玉」は最上の宝石なのだから偉い違いである。
つまり、「完璧」とは、傷一つない宝石(元々は翡翠を指した)のことだ。
このことを知らなくても、「完璧」という言葉には、確かにそんな雰囲気がある。

「大丈夫」とか「最高」等には、判断というものが含まれている。
判断とは、善悪、良否、是非、好悪といった区別をすることだが、エゴはそれが大好きだ。つまり、エゴは判断にこだわり、執着する。
だから、「大丈夫」と言ったら、エゴは必ず「大丈夫じゃない」と言い、「最高」と言ったら、「最高じゃない」と騒ぐ。それがエゴだ。
ところが、「完璧」に関してはそうではない。
だって、実際には傷があっても「完璧」と言えるからだ。
つまり、「欠点があることで完全になる」ことが多いのである。
『老子』にも、「完全なものはどこか欠けている」と書かれているが、それが宇宙の真理だ。
しかし、そんなことをエゴが知らなくても魂は知っているし、いくらエゴだって、ここまでの真理には逆らわない。
まあ、理屈はどうでも良い。
大事なことは、「完璧だ」を口ぐせにすれば、全てうまくいくということだ。
とはいえ、「完璧」の「璧」が、最高の宝玉であることは知っておくと良いだろう。
昔の中国では、「璧」を指す最上の宝玉は、さっきも述べたが翡翠(ひすい)で、翡翠は魂の象徴だった。
魂は傷付かないので、「璧」も傷付かないのである。
いかなることがあっても、いかなる状態であっても、完全な宝玉、全き魂を指す「完璧だ」と唱えることを口ぐせにすれば、全てはうまくいくのである。








  
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