今日もしくこつ言うが、人間は無になれば・・・つまり、一切の想念を消せば不可能はない。思うがままである。
想念がないのに思うがまま・・・というのは、違和感を感じるかもしれない。
つまり、願望という想念がなければ、思うがままも何もないじゃないかというわけである。
だが、無になった時に初めて、本当の願いが起こるのだと言えば分かると思う。
様々な想念を起こしている人間には、自分の本当の願いが分からない。
頭であれこれ考えている人間が望むのは、真の願いではなく、単なる欲望である。
とはいえ、賢者も欲望を否定するわけではない。
だが、今の人間は、欲望を肥大化させ、「もっと欲しい、もっと欲しい」と欲望の亡者になり果てている。
そして、欲望と不安はセットだ。
不安があるから欲望があり、欲望があるから不安がある。
たとえば、貧乏になることを恐れるあまり、お金に対する過剰な欲望を持ち、逆に、欲望が満たされないかもしれないと思って不安になる。
ところで、欲望を消すことは難しいのに、聖者達が「欲望を捨てよ」とだけ言うのは、ちょっと困ったことだと思う。
欲望を消すには、不安を消すしかないのである。
だから、イエスは、「神(潜在意識)はお前達が必要なものくらい、とっくにご存じだ。それは与えられると思って安心せよ」と言ったのである。
しかも、イエスは、ギリギリ最低限が与えられるなどとは言わなかった。
「これでもか、これでもか」というほど与えられると言ったのである。
それは、不安を消し、安心して神(潜在意識)にまかせれば与えられる。
よって、我々は、是非とも不安を消さないといけない。
不安を消す最も簡単な方法は、少し前にも書いたが、胸に両手を当てることだ(片手でも良い)。
手を当てる位置は、胸の中央、鎖骨のやや下というのが標準的だが、自分が気持ち良いと思う位置で構わない。
さらに、胸の上で手を滑らせるように、時計回り、あるいは、反時計回り(好きな方、あるいは、片方ずつ両方)に手を回すと、さらに効果が上がる場合が多い。
そして、決定的なものが、中今(今この一瞬)に生きることだ。
今やっていることに全集中することであるが、別に、必死で頑張れと言うのではない。
「今やっていることを、はっきりと自覚する」という感じかと思う。
歩いているなら、歩いていることを、はっきりと自覚する。
食べているなら、食べていることを、はっきりと自覚する。
猫を撫でているなら、猫を撫でていることを、はっきりと自覚する。
だが、普通の人間は、他所事ばかり考えていて、自分がやっていることを意識していない。
そのことをイエスは、「彼らは自分がやっていることが分からない」と言ったのである。
そこで、今やっていることを、はっきり自覚すれば、つまり、中今(今この一瞬)に集中すれば、未来の空想でしかない不安は消え、安心するのである。
そうすれば、不安の原因である過去の記憶も消え、すると、信じ難いだろうが、過去も消えるのである。
過去も未来も幻でしかないからだ。
不安が消え、想念がなくなれば、あなたの欲しいものなど、イエスが言うように、「入れ物を揺すって宝が入れられ、いっぱいになったポケットにさらに詰め込まれる」のである。
想念がないのに思うがまま・・・というのは、違和感を感じるかもしれない。
つまり、願望という想念がなければ、思うがままも何もないじゃないかというわけである。
だが、無になった時に初めて、本当の願いが起こるのだと言えば分かると思う。
様々な想念を起こしている人間には、自分の本当の願いが分からない。
頭であれこれ考えている人間が望むのは、真の願いではなく、単なる欲望である。
とはいえ、賢者も欲望を否定するわけではない。
だが、今の人間は、欲望を肥大化させ、「もっと欲しい、もっと欲しい」と欲望の亡者になり果てている。
そして、欲望と不安はセットだ。
不安があるから欲望があり、欲望があるから不安がある。
たとえば、貧乏になることを恐れるあまり、お金に対する過剰な欲望を持ち、逆に、欲望が満たされないかもしれないと思って不安になる。
ところで、欲望を消すことは難しいのに、聖者達が「欲望を捨てよ」とだけ言うのは、ちょっと困ったことだと思う。
欲望を消すには、不安を消すしかないのである。
だから、イエスは、「神(潜在意識)はお前達が必要なものくらい、とっくにご存じだ。それは与えられると思って安心せよ」と言ったのである。
しかも、イエスは、ギリギリ最低限が与えられるなどとは言わなかった。
「これでもか、これでもか」というほど与えられると言ったのである。
それは、不安を消し、安心して神(潜在意識)にまかせれば与えられる。
よって、我々は、是非とも不安を消さないといけない。
不安を消す最も簡単な方法は、少し前にも書いたが、胸に両手を当てることだ(片手でも良い)。
手を当てる位置は、胸の中央、鎖骨のやや下というのが標準的だが、自分が気持ち良いと思う位置で構わない。
さらに、胸の上で手を滑らせるように、時計回り、あるいは、反時計回り(好きな方、あるいは、片方ずつ両方)に手を回すと、さらに効果が上がる場合が多い。
そして、決定的なものが、中今(今この一瞬)に生きることだ。
今やっていることに全集中することであるが、別に、必死で頑張れと言うのではない。
「今やっていることを、はっきりと自覚する」という感じかと思う。
歩いているなら、歩いていることを、はっきりと自覚する。
食べているなら、食べていることを、はっきりと自覚する。
猫を撫でているなら、猫を撫でていることを、はっきりと自覚する。
だが、普通の人間は、他所事ばかり考えていて、自分がやっていることを意識していない。
そのことをイエスは、「彼らは自分がやっていることが分からない」と言ったのである。
そこで、今やっていることを、はっきり自覚すれば、つまり、中今(今この一瞬)に集中すれば、未来の空想でしかない不安は消え、安心するのである。
そうすれば、不安の原因である過去の記憶も消え、すると、信じ難いだろうが、過去も消えるのである。
過去も未来も幻でしかないからだ。
不安が消え、想念がなくなれば、あなたの欲しいものなど、イエスが言うように、「入れ物を揺すって宝が入れられ、いっぱいになったポケットにさらに詰め込まれる」のである。
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本日の内容も実に素晴らしいものです
我々はどうも不安や過去未来の時の幻にとらわれがちですが、中今そして無を常に意識することを実践します 感謝