想念を消せば、どんなことでも可能になるのだが、それはハードルが高かったり、あるいは、今はまだ納得出来ないと思う人もいると思う。
そこで、まず、「考えるな」という指針が適切なのかもしれないが、この「考えるな」すら、難しい、あるいは、納得出来ない人もいるのである。
しかし、「余計なことを考えるな」なら分かるだろうし、これが分からないなら、その人の現在の状況はかなり良くないに違いない。

ブルース・リー主演の『燃えよドラゴン』という映画に「考えるな、感じろ」という有名な言葉があるが、感じようとしたら、感じることを考えてしまう。
正しくは、考えなければ、必要なことを感じるということなのだ。
従って、「考えるな」だけで良く、普通の人にとっては、現実的には「余計なことを考えるな」である。

よく、「少しは頭を使え」「ちゃんと考えろ」などと言うことがあるが、そう言われた者の本当の欠点は、余計なことを考えたか、誤った観念を持っているかである。
禅の公案に、こんなものがある。
ある古寺でのことだ。
大雨が降り、古い寺なので、ひどい雨漏りがした。
和尚さんが、小坊主達に雨受けになるものを持って来いと言うが、適当なものがなくて、小坊主達はあたふたする。
ところが、1人の小坊主が、すぐに、藁のざるを持って来た。
そんなもので雨受けが出来るはずがないが、和尚さんは、ざるを持って来たその小坊主を褒めた。
なぜ和尚さんが、ざるを持って来た小坊主を褒めたかというのが問題であるが、簡単なことだ。
他の小坊主が、余計なことを考えてあたふたしていたが、その1人の小坊主は何も考えなかったので、同じ役に立たないとしても、あたふたしなかった。このあたふたしないということは、大きな利点なのだ。
だが、学校や会社では、同じ役に立たないなら、あたふたしたり、役にも立たないのに走り回る馬鹿が褒められるというか、何も考えない者は不真面目だと怒られる。
汗をかいていることを見せる者が褒められるというなら、そこが愚かな考えに支配された場所であるに違いない。
それに、ざるでも持ってきたら、それが役に立たないことがはっきりし、それなら、どうすればそれを役に立つように出来るかも分かるかもしれない。
「なぜ役に立たないか?」は、ざるは水を溜めないからで、今みたいにビニール袋はないにしろ、何か水を通さない(通し難い)素材があれば、ざるにそれを乗せれば良いと気付くかもしれない。

それに、考えなければ、潜在意識が手を貸してくれる。
完全に考えを捨てれば・・・すなわち無になれば奇跡も起こるかもしれない。
たとえそうでないにしても、考えても仕方がないことは考えるべきでない。

ところで、不安や心配がある時は、余計なことを考えている場合が多く、考えることをやめれば余計な不安はなくなるし、案外に潜在意識が解決してくれるかもしれない。
「いや、出来るところまでは考えて」と言いたい者もいるだろうが、それなら、論理的な範囲で考えられるだけ考えれば良いのだが、解決策が出て来ないと、感情的に余計なことを考える場合が多いのである。
そして、人間の頭なんてたかが知れているので、考えて名案が出ることは実際にはなく、名案は何も考えていない時に直観で浮かぶのである。

さて、では、余計な考えが起こるのを止め、不安を和らげる良い方法を述べる。
それは、両手のひらを胸に当てることだ。まあ、片手でも効果がある。
位置は、胸の真ん中の、高さは心臓くらい・・・ただ、心臓は思っているより上にある場合が多いので、いろんな高さに手を当てて試してみると良い。
それに、人によって、最も効果的な高さは異なり、鎖骨の高さが良いと思う人もいる。
普通はそっと当てるが、まあ、好きなように当てれば良い。
胸に手を当てていると、心が安らぎ、余計な考えが起こらなくなる・・・まあ、実際は、余計な考えが消えて心が安らぐのだが。
心のざわめきが大きい場合は、手を胸の上で時計回りにゆっくり回してみると良い。さらに安らぐはずだ。反時計回りの方が良い人もいるし、両方やると効果が高い場合もある。
いろいろやってみると良いが、せかせかやらず、ゆっくり丁寧にやることだ。
胸に手を当てずとも、胸に意識を持ってくるだけで心が落ち着く人もいる。また、胸に手を当てることをやっていると、胸に意識を置くだけで同じ効果が得られるようになる。
心が安らいだ状態では、潜在意識が活発化するので、潜在意識に任せれば、問題は簡単に解決する。潜在意識は、少なくとも、あなたの千の千倍は賢いし強いのだからだ。








  
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