引き寄せの純粋にして明晰な原理は「想念を消す」ことである。
しかし、これは人々を混乱させる。
想念を起こすのはエゴ(自我)である。
そして、インドの聖者達はエゴを持たないと言われている。
しかし、インドの聖者ニサルガダッタ・マハラジの弟子のラメッシ・バルセカールによれば、師のマハラジは怒りっぽかったと言う。
それは、エゴがあるということであり、想念があるということだ。
もっと有名なインドの聖者ラマナ・マハルシは、まさに「無の人」と思える。
マハルシ自身、エゴを消滅させるべきと教えた。
だが、マハルシの幼馴染の者がマハルシを訪ね、昔の話をすると、マハルシは、覚えていると言うし、他にも、マハルシは愉快な思い出を楽しそうに話すことがあった。
それは、想念がなければ出来ることではない。

つまり、人間である限り、聖者であろうがエゴはある。
この問題に関し、賢者達はいろいろ説明している。
釈迦は、「聖者は想念の連鎖を起こさないだけだ」と言った。
つまり、簡単な例で言えば、聖者だって殴られたら怒るかもしれないが、普通の人のように、いつまでも恨んだりしないのである。
上で、インドの聖者ニサルガダッタ・マハラジが怒りっぽかったという話を取り上げたが、マハラジは怒っても、すぐに上機嫌になったという。
つまり、釈迦の言う通りで、聖者は粘着質でないというわけだ。

また、ジョージ・アダムスキーは面白いことを述べている。
「神を心より上位に置かないといけない」
つまり、エゴ(心)より潜在意識(神)の方が重要だということだが、実際は、「比較にならないほど重要」とくらい言わないといけない。
ところが、引き寄せや潜在意識の本には、「潜在意識には善悪が分からない」などと書かれていて、潜在意識を軽く思わせてしまうのだ。
これも、正しくは、「潜在意識はあまりに強大過ぎて、エゴが考える善悪など、あまりに些細なので関わらないように見える」ということなのだ。

こういう矛盾を解決しようとして、非常に難しい引き寄せのやり方を教える者もいるが、そんな難しい方法など、誰も使えない。
私には、矢追純一さんのやり方が最も賢いと思える。
それは、「私は頭が悪いから考えることを諦める」と決めることだ。
つまり、たとえIQ200の人間でも、潜在意識のIQは1憶の1憶倍以上で比較にもならないのだから、潜在意識と比べると、圧倒的に頭が悪いのである。
フォレスト・ガンプのようにIQ75だろうが、ジョン・フォン・ノイマンのようにIQ300だろうが、潜在意識から見れば全く同じなのである。
そして、フォレスト・ガンプは「僕は考えることが苦手だ」と言って、考えることを放棄したので億万長者にもなれた。
自分の頭が良いと思っている馬鹿には引き寄せは出来ない。
矢追さんは、人間の頭は大して性能の良くないパソコンみたいなものと言い、関英男博士も、人間はコンピューターの端末のようなもので、神(潜在意識)はスーパーコンピューターだと言っている。
このように、賢い人達の意見は本質的に一致しているのである。

どんな願いを持つかも、潜在意識にまかせた方が良い。
そりゃ、潜在意識は万能なのだから、エゴの望み・・・例えば、あの女性を恋人にしたいとか、1憶円欲しいといった願いを叶えることは簡単だ。
しかし、願いによっては、代償として大切なものを失ってしまうかもしれない。
ある有名な引き寄せの本を書いた人は、40代で亡くなっているが、その本を見ると、確かに、エゴの願いを叶えることについて書かれていたのだ。
一方、潜在意識から起こった願いであれば、悪い反作用みたいなものはない。願いはごく自然に素早く叶う。
イエスが言ったように、「お前達に必要なものなど、神(潜在意識)は願わなくても知っている」といった通りで、願わずとも、十分なお金や愛は得られる。
自分の力がちっぽけであると本当に悟り、潜在意識にまかせるほど、潜在意識は大きな額をくれるようにも思われる。
だが、口先で「神様(潜在意識)、私はつまらない人間です」と言ったところで、エゴは、「俺はあの馬鹿よりは賢い」と思っているものだ。
だから、出来るだけ想念を起こさず、エゴが潜在意識の邪魔をしないようにしなければならない。








  
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