「今、どんな状況だろうと、それは自分の願いが叶った状態である」という話がある。
まあ、その通りだ。
不満は感じるかもしれないが。
それなら、英国の偉大なSF作家H.G.ウェルズが自伝小説『ポリー氏の人生』に書き、英国の世界的作家コリン・ウィルソンが座右の銘とした言葉、
「人生が気に入らないなら、変えてしまえばいい」
をすれば良い。
どうやって変えるかは考えなくていい。
願いが起こったら、どうすれば叶うかなど考えなくても、既に叶っている。
では、ロクでもない願いの場合はどうだろう?
「イカしたギャングになりたい」とか(笑)。
それも叶っているのだが、後ろめたさを感じる願いの場合、その後ろめたさが影響する。
だが、何も考えずにいると、必要でない願いは消えてしまう。その叶った願いは、短い夢のようなものになる。変な夢や悪夢を見るのはそのためだ。
夢も現実も全く違いはない。
そして、何も考えずにいると、必要な願いは既に叶っているが、悪夢と違って消えずに残り、現実と認識される。

悪い夢を見るのは良いことだ。
悪い・・・と言うか、自分に合わない願いを実現して消してくれるのだからだ。
妹をレイプする夢というのはよくあるらしいが、そんな夢を見る兄は、現実には、そんなことをする必要がなくなったのだ。
だから、むしろ、夢で見ておいた方が良いくらいだ。
大いに後ろめたく思えば良いが、だからこそ、現実では実現しないのだ。

願いは起こった時に既に叶っている。
それが科学的事実だ(未来科学的と言うべきかもしれないが)。
もっと気の利いた言い方をするなら、願いが叶った世界が出現している。
画家になりたいと思ったら、画家になった世界が存在しているので、その事実を受け入れるなら、その世界で過ごすのである。
だが、「私が画家になれるなんておかしい」と思ったら、やっぱり夢で終わってしまう。この夢とは、夜見る夢とか白昼夢だ。
実は、私はよく白昼夢を見るようになった(笑)。いや、本当である。
凄い美人を彼女にしたという白昼夢も見たような気もするが、チャンスをフイにしたのだろう(笑)。
夢も白昼夢も、すぐに忘れてしまうものだ。
だから、「忘れたけど夢を見たなあ」とか、「今、白昼夢を見たのだが、内容をほとんど覚えていない」と言う者は、願いを沢山キャンセルしたのだ。
そんな人は多くの場合、ロクでもない妄想をし勝ちなのである。
思い当たるのではないだろうか?

考えずにいる・・・想念を起こさない方が良い。
想念は自然に起こる。
だが、「金持ちになる」という願いも、実を言えば、自然に起こった想念で、潜在意識からのものだ。
人間は、本当の意味で、自分で考えることは出来ない。
しかし、長年の習慣から、「金持ちになる」なんて願いは夢と消えてしまう。
けれども、「私は既に金持ちだ」「私が金持ちである世界にいる」と肯定すれば、それが現実になる。
だが、大抵は、習慣的思考が勝つ。
しかし、「もうなっている」という考え方をクセにしていれば、願いを簡単に叶えられるようになる。








  
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