結局、念仏にしろ、真言の詠唱(唱えること)にしろ、坐禅にしろ、静坐にしろ、「自分は、今これをやっている」という意識を持ってやれば、望むあらゆる効果が得られるが、そうでないなら、ほとんどの場合、時間の無駄になるのではないかと思う。
坐禅や静坐の場合は、「今座っている」と心で想う・・・何なら心の中で、そう唱えても良いと思う。
念仏や真言の場合でも、「今、念仏を唱えている」と意識して行うことが肝心かと思う。
言い換えれば、念仏や坐禅に全集中するということだ。
そのためには、「今やっている」と意識することが重要になる。
集中とは、「今やっていること」「今見ているもの」「今聴いている音」に意識を向けることなのであるからだ。

今をしっかり意識してやれば、それほどの困難なく、創造的で超越的な意識状態に達し、真我が輝き、自然に引き寄せが出来る状態になると思われるし、そうとしか考えられない。

『歎異抄』の中で、著者と思われる唯円が、親鸞聖人に、
「念仏を唱えていても、躍り上がるような喜びが湧かない」
と、念仏に対する疑念を述べる。
つまり、念仏という有り難いものを唱えれば、喜びが湧くはずなのに、そうでないのはなぜですかと問うているのである。
すると、親鸞聖人は、
「私もそうなのだよ」
と言う。
そして、親鸞聖人は、そうであるのは(念仏を唱えても喜びが湧かないのは)煩悩のためであり、だからこそ、阿弥陀如来に救っていただくために念仏を唱えるのだといったことを話す。
だが、この親鸞聖人の説明は良くないと思う。
唯円の欠点は、「今、念仏を唱えている」という意識がないことだ。
それがうまく出来ないなら、まずは仏像を見て、「今、仏様を見ている」と思う練習をすれば良い。
別に、仏像でなくても、ロウソクの炎でも、それこそ、茶碗でも紐でも何でも良い。
それを、何も考えずにじっと見て、「今見ている」と思えば、心は自然に、深い大きな心につながっていることを感じると思う。
とはいえ、ただ、「今念仏を唱えている」と意識しながら、念仏を唱えれば良いだけであるのだが・・・

我々の場合、身体の健康も兼ねて、腕振り運動をしながら、「今、腕振り運動をしている」と意識すれば、非常に容易く、今に没入出来、意識は創造の場に導かれ、引き寄せの力も得られる。
腕振り運動は、私は今は、下の1冊目に紹介した電子書籍のようにやっているが、一応、簡単に書くと、
(1)安定した床、畳、地面の上に立ち、足を肩幅に広げて平行にし(つま先が真っすぐ前を向き、外股・内股にならない)、顎を引き背筋を伸ばす。
(2)真っすぐ伸ばした両腕を、少し力を入れて同時に後ろに振る。
(3)後ろに振ったら力を抜き、両腕が自然に前に戻ってくるにまかせる。
(4)(2)に戻る。
振る回数は多いほど良いが、一度に最低100回、出来れば300回以上振る。
腕振り運動は、主に肩甲骨をほぐすことで血行が良くなり、また、身体を真っすぐに保つために腹筋と背筋、それに、足腰の筋肉が鍛えられる。また、体幹が鍛えられる。
これだけでも、大きな健康効果があるが、「今腕振り運動を行っている」と意識することが秘法中の秘法で、これによって、無意識に通じ、引き寄せが出来るようになるのである。
仙人は、極めて長時間、腕振り運動を行うと言われるが、今を意識しながら、数多く腕振り運動をすれば自ずと不可思議な力を発揮出来るようになると思う。

腕振り運動と並んで、私が重要視しているのが、大東流合気柔術の達人、佐川幸義が開発した、佐川流四股だ。
これは、相撲の四股と違い、ほとんど足踏みに近いものだが、達人達は、寝食を忘れて佐川流四股を行い、超人化した。
そして、佐川流四股も、今を意識するために絶好のものである。
私は、佐川流四股を何年も研究し、最近、ようやく、満足出来るやり方が分かった。
本来、佐川流四股は門外不出の秘儀のようなものと思われ、佐川幸義は、弟子達にも、なかなかやり方を教えなかったし、高弟の間でも、やり方が異っていたりする。
だが、私は、佐川流四股の様々な達人達のやり方や、日本古来の歩行法であるナンバを研究するうち、効果の高いやり方が分かったのである。
これについては、また、明日にでも述べる。








  
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