『人生を変える魔法の物語(原題:The Magic Story)』に、こんな感動的な言葉がある。

プラスの自分に不可能はない。世界は自分のものだ。自分の王国だ。何ものも彼を恐れさせることはない。何ものも彼を止めることはできない。彼が人に何かをお願いすることはない。単に要求するだけだ。
彼は支配者であり、ひざまずくことはない。彼の要求は絶対だ。彼の態度を前にして、敵対者は逃げだしていく。彼は山のように高く、大河のように豊かである。そして平原をゆくように、何の困難もなく進んでいくのだ。

※このKindle書籍は現在、販売を中止しているようである。紙の書籍は『マジック・ストーリー』で、こちらも絶版である。

ここで、「プラスの自分」と表現されているのは、「本当の自分」「真の自分」「魂」、そんな意味に捉えて良いだろう。
そして、「プラスの自分」に、夢の中で上のように言われた、この物語の主人公は、目覚めた時、既に「プラスの自分」になっていたのだ。

では、我々はどうすれば「プラスの自分」になれるのか?
難しくはない。
中今(今この瞬間)に生きれば良いだけである。
いや、そもそも、中今に生きているのが「プラスの自分」である。
中今に生きるには、今やっていること、今見ているものに全力で集中するのだ。
かといって、顔を真っ赤にして必死でやるのではない。
何も考えず・・・即ち、優劣の判断や好き嫌いの区別をせずに行い、見るのである。

中今に生きる簡単な練習法は、密教でよく行われているが、歩いている時、心で「歩いている、歩いている」と唱えて、歩くことに集中することである。
食べている時なら、「食べている、食べている」だ。
そして、もっと良い方法が、腕振り運動をすることだ。
腕振り運動には、中今に入ることに関しても、大きなメリットがある。
「腕振り運動をしている。腕振り運動をしている」と唱えるより、もっと自然に中今に入れる方法があるのである。
腕振り運動は、元々、数を数えるものであり、それはそのまま数える。
そして・・・丁寧にやることを心掛けるのだ。
中今の秘儀とは「丁寧」なのだ。
人は、丁寧にものごとを行う時、自ずと中今になるのだ。
「真面目に」とか「真剣に」でも良いのだが、「丁寧に」の方が愛がある。
たとえば、子猫や愛しい少女を撫でる時のことを考えたら、「真面目に」「真剣に」より、「丁寧に」という方がぴったりくるはずである。
中今は愛なのだ。
丁寧に腕振り運動を行えば、自ずと中今になり、「プラスの自分」になるだろう。
尚、私の場合は、佐川幸義流四股を若干改造した「ナンバ四股」で中今に入ると同時に足腰を鍛え、身体を磨き上げている。
ナンバ四股とは、単に、足を平行に(つま先の方向を真ん前に)して、手を膝につけて行う足踏みで、足を降ろす時、つま先からそっと降ろすというだけのものである。
これを30分とか1時間行う。もちろん、1分でもやらないよりはマシである。これで、私のように美しい身体になるのであるが、これを「丁寧に」行うことで、中今に入る術を徐々に得ていくのである。
もちろん、腕振り運動も同じなので、好みに合う方でやれば良く、両方ならさらに良いのである。








  
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