武蔵坊弁慶が、後の妻になる玉虫と初めて出逢った時、弁慶が18歳で、玉虫が10歳だったというのを何かで読んだ覚えがある。
既に弁慶は超巨漢の逞しい男で、玉虫は小柄な童女だった。
その時、弁慶は、玉虫を馬に乗せるために、両手を組んで、玉虫のための踏み台にした。
ところが、玉虫が足を乗せると、弁慶は自分の手が震えるのを感じて驚いた。
確かに極めて可憐な娘だが、まだほんの子供である。
弁慶は実際は全身が震えていたのだが、玉虫への気配りで意識を集中していた手の震えを感じたのだろう。
弁慶に何が起こっていたのかというと、弁慶は、手に感じる玉虫の重みに、今この瞬間を感じていたのである。

前にもご紹介した話だが、ある母親が、夫と小さな子供たちが朝食を食べながらお喋りをしているのを見た時、その愛しい光景に心が惹き込まれて頭が空っぽになった。すると、彼女は今この瞬間を鮮烈に感じ、恍惚となった。
弁慶が感じたものも、これと同じである。

サルトルは若い頃、無法地帯の町で夜に出歩くことを好んだ。
危険の中にいると、今この瞬間を感じ、生命エネルギーが活性化する感覚があり、それが忘れ難かったからだ。

また、「アラビアのロレンス」として知られるT.E.ロレンスは、ある朝、目が覚めたばかりで、まだ頭に過去の記憶や未来の空想といった思考が戻って来ない時に砂漠を見た時、今この瞬間の砂漠を感じ、それに圧倒された。

こういった、今この瞬間を強く感じ、意識が超越状態(至高体験とかフローと呼ばれる)になった経験は、実は誰にでもあるはずだが、ほとんどの人は、それを憶えていない。
もし、それを憶えていて、思い出すことが出来れば、大きな精神の力を発揮出来る。
そのためには、冒険が・・・つまり、結果を予想できない未知の経験がもっと必要なのだ。
しかし、現代では、子供のうちから、結果が分かり切ったことばかりやらされる。
そのため、我々は、過去の記憶や、未来の目標や不安ばかりが頭を占領し、今を感じる能力を失くしてしまっているのだ。
だが、引き寄せの能力を発揮出来るのは、今この瞬間を感じている時だ。
良い気分でいれば、良い気分になる状況を引き寄せるとも言われるが、実のところ、本当の良い気分とは、今この瞬間にしかなく、他は偽物の良い気分で、それでは引き寄せは出来ない。

人気アダルト作家だった川上宗薫(かわかみそうくん)の『眩(めまい)』という作品がある。
川上の作品の中でも異例であるのは、ヒロインが中学2年生であることだ。
彼女は、やや大人っぽく、医者の娘で裕福な家庭に育ち、頭も良かったが、中学2年生らしい幼い少女だった。
主人公の男は、28歳で、かなりのモテモテで女に不自由しないばかりか、ヤクザの女や金持ちの人妻にまで手を出しまくっていた。しかし、彼は別にワルというわけでもなく、普段は常識のある大手企業の社員だった。
彼が、そんな危ないことをするのも、どこか、今この瞬間を鮮明に感じるための冒険のつもりかもしれない。
しかし、そんなことでは、求めるものが得られなかったのかもしれない。
それで、彼が、その中学2年生の美少女を見かけた時も、初めは、ただの子供と見ていたが、何かを感じて、彼女に接触するようになる。
そして、彼女に好意を寄せられるようになり(抵抗も持たれていたが)、彼女のセーターに中に手を入れてその小さな胸に触ると、これまでに感じたことのない鮮烈な何か・・・即ち、今この瞬間を感じたのだろう。
ある大学教授が、教育関連の著書の中で、この作品を引用していたが、この大学教授は「川上宗薫が、なぜ中学2年生の少女を登場させたのだろう?」と述べながらも引用したのは、その教授も、この作品に、今この瞬間の輝きを見い出したのかもしれない。
特に今の時代、実際に出来ることではないが、小説を通して今を想像出来るかもしれない。








  
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